葉鍵キャラを政治家に見立て葉鍵国を統べる仮想政界「葉鍵政界」の派生wikiです。葉鍵板を参考に、99%のネタと1%の知性で盛り上げ楽しんでいきましょう。(元は葉鍵政期スレのまとめwiki的位置づけでしたが、現在は三次創作サイトの方向に突き進んでいます。)

葉鍵政界の政治家
人名水瀬 秋子
出身Kanon
所属(葉鍵新党→)無所属
政治的思想・立場自由主義、民主化統一?
葉鍵政府の官僚
人名水瀬 秋子
出身Kanon
所属会計検査院
官職検査官
前職葉鍵新党代表

 水瀬 秋子(みなせ あきこ)は葉鍵新党の創設者で、同党元代表。現在は検査官。

葉鍵国建国まで


 鍵族の有力者であり、神聖麻枝帝国?の建国以来同国の議会にて議席を保持し続けいていたが、久弥信者と麻枝信者の抗争には中立を保ち、とりわけKanon県において絶大な権力を誇っていた。
 ところが神聖麻枝帝国による久弥信者や涼元派への弾圧が始まると、自由主義を掲げて次第に神聖麻枝帝国への反発を強めていった。反神聖麻枝帝国・葉鍵統一を掲げる葉鍵連合が結成されると、秘密裏に連絡を開始する。
 が、内陸高原のKanon県では独立や葉鍵連合への造反は、即周囲を神聖麻枝帝国に包囲されることを意味する上、Kanon県では倉田佐祐理の父親(帝国軍総司令官であり、この後倉田グループの基礎を築くことになる)もまた絶大な力を持っていたため、明確な造反の意思を示すことはできなかった。

 葉鍵連合軍が蜂起すると対等和平と民主化統一を主張する。葉鍵連合軍は鍵島の半分近くを占領、一時は押し返されるも最萌ケ原の戦いで勝利を収めたことで神聖麻枝帝国側も趨勢は葉鍵連合側にあると判断、葉鍵連合側も葉側の内戦が終結していないなどの理由から長期の戦いは望んでいなかったことから、水瀬秋子の提案通り対等和平と民主化統一により「葉鍵国」(第一共和国体制)が建国されることとなる。

 葉鍵国建国後、葉鍵連合は議会政党として再出発し、第一回葉鍵国会総選挙で単独過半数を取り与党として葉鍵国の政権を担うこととなる。この時に水瀬秋子にも葉鍵連合への合流を求める意見もあったが、水瀬秋子側は社会民主主義路線の葉鍵連合とは一線を画する意思でおり、葉鍵連合側も、内部に様々な政治的主張・思想を持つ勢力が割拠し、微妙なバランスの上に中道左派が主導権を握っていたため、秋子の加入によりそのバランスが崩されることを危惧する意見が強く、合流には至らなかった。

全年齢問題と新党構想


 2004年、CLANNAD地区の開発完了と共に「全年齢問題」が発生し、これをきっかけに葉鍵連合から大量の離党者が出る。さらに、葉鍵連合に協力していた旧帝国会議派穏健派や杏さん党分裂事件杏さん党から分裂した古河派も加わりうぐぅ民主党が結成される。うぐぅ民主党は[[月宮あゆ]を党首に据え、その後の総選挙で第1党に躍り出たが、単独過半数は取れず、CLANNAD地区で協力関係を結んでいた公芽衣党と連立政権を樹立した。

 このとき秋子はうぐぅ民主党には加わらなかったが、月宮あゆのうぐぅ民主党総裁就任、および月宮内閣発足の際に後見人役を務めた。一方で、「全年齢問題」に対して、性行為やエロ表現などは完全自由とした上で、18歳未満にも参政権などの諸権利の保障を行う「局外中立政策」による解決を掲げ、うぐ民党に働きかけを行うが、性行為やエロ表現の規制にこだわる古河派や公芽衣党の反発で実現しなかった。
 この結果うぐ民党に失望し、政権交代可能な中道政党の結成を画策するようになる。
 ちょうどこの頃娘の水瀬名雪がメインヒロイン交代を掲げて眠主党を結党したことに目をつけ、葉鍵労働組合総連合会?(通称連合葉鍵?)に働きかけて鍵地区の連合葉鍵を眠主党の支持勢力にした。
 一方で、超先生の理念を継承しリベラル・構造改革派の大衆運動「ニュー・セントラリズム?」を影から支援、保守派のうぐぅ民主党鍵社民党(後の葉鍵社民党)、同人主義杏さん党、学術文化系リベラルのことみん新党、宗教政党の公芽衣党が割拠する中、明確なリベラル政党が存在しない中でニュー・セントラリズム?の大衆運動は無視できない勢力となっていく。

 さらに水瀬秋子は連合葉鍵の全面支援を受けていた葉鍵連合にも眠主党への合流を求めたが、葉鍵連合側では、市民運動系等の非労組系議員は反発し、同じ市民運動出身の坂上智代率いる鍵社民党(当時)への合流を逆提案した。これに対し、連合葉鍵・眠主党側は鍵社民党も含めた大連合を画策したが、労組嫌いの坂上智代*1に拒絶されて頓挫した。
 もとより連合葉鍵に関しては、労使協調路線の名のもとにおける企業経営陣との癒着、一部の大企業正社員のみの利益団体化しつつあることなどの問題点が指摘されており、水瀬秋子は連合葉鍵は労働者全体を代表する団体とは言いがたく、これを母体としたリベラル・構造改革派の大衆運動の統括・中道政党の結成には限界があると判断、自ら全く新しい自由主義政党の結成を画策するようになっていく。

葉鍵新党結成とジャム送りつけ事件


 2008年5月、「文芸竹林?」誌上で「自由葉鍵連合」を提唱。政治腐敗や既成政党の活動の低迷を批判し、自由主義政党の結成の必要性を訴えた。新党は公募で党名を「葉鍵新党」とした。この構想に最初に来栖川綾香が同調し、その後の党員公募で美坂香里来栖川綾香保科智子相楽美佐枝向坂環らが集まり、葉鍵新党が結成される。この際、最初に結成宣言を出したのは党の実質的な中核である美坂香里政策委員会責任者(当時)と来栖川綾香代表幹事(当時)の二人であった。

 ところが、香里は当時杏さん党に在籍していた。一方で、その後、香里は葉鍵新党の議員として、眠主党の「次の内閣」総務大臣にも名を連ね、また眠主党に対して「公芽衣党を次の内閣のメンバーに加えない」「うぐ民党が公芽衣党との連立を解消しない限り、うぐ民党との大連立を組まない」よう圧力をかけていた(ただし、杏さん党も公芽衣党と対立関係にあることに注意する必要がある)。
 一連の事態に杏さん党の藤林杏代表・委員長は激怒、香里に事実確認を行う。その際香里は葉鍵新党が自らが属する杏さん党も含めた野党結集・政界再編の核となる存在になると水瀬秋子から説明を受けていた為、その先兵的役割として葉鍵新党への参加を表明したと語り、また、後の会見では水瀬秋子からジャムによる脅しを受けていたと語った。ただし、関係者によると単にテーブルの上にジャムの瓶が置かれていただけという話もあり、客観的にその真偽を判断するのはきわめて難しい。
 また、杏さん党中央の説明により、香里は葉鍵新党の結成を杏さん党サイドは何も知らされておらずまた政界再編に加わる意思もないことを知り、水瀬秋子に騙されたという感情を持った。
 美坂香里は杏さん党への残留を決め、後の会見で美坂香里の杏さん党残留が認知・確定され、葉鍵新党側が矛を収める形になる。

 ところが、秋子はお騒がせしたお詫びにとお中元の名目で藤林杏・美坂香里の両名にジャムの詰め合わせを送りつけた。この時美坂香里は送り主と中身を見て速攻で捨てたが、藤林杏はジャムに関する十分な知識がなかった為に食べてしまった。その為に深刻な食あたりに罹り、同時に精神的な後遺症から党代表の職務を果たせない状態にまで追い込まれた。この為、杏さん党は緊急に代表代行として牧村南を選出することになる。
 この事態に、食と福祉を考える会を中心に葉鍵新党に猛烈な抗議の声が寄せられた。代表幹事の来栖川綾香が釈明会見に望み、これが明確な政治テロであることを認めた上で秋子に謝罪と党代表の辞任を求めた。
 が、秋子は頑なに「これはただのお中元である」と主張し、代表の座を降りようとせず、それどころか今度は身の潔白を証明すると称してうぐ民党古河派の古河早苗?と共謀し、総裁選まっただ中のうぐ民党の議員全員に彼女の作ったジャムを使ったジャムパンを送りつけるという暴挙に出た。
 事前にこの動きを察知した来栖川綾香と保科智子選挙対策委員長(当時)からうぐ民党長岡派に極秘の情報が伝達された為、幸いにしてうぐ民党からは被害者は出なかったものの、相次ぐ政治テロに葉鍵政界は震撼し、秋子は「政界の魔女」とまで噂されるようになった。

 一連の暴挙に怒った来栖川綾香は葉鍵新党を離党し新党魁に移籍する事態となった。このとき他の党員も離党し葉鍵新党は崩壊するという予測もあったが、離党したのは来栖川綾香一人に留まった。また、綾香離党の直後に香里も新党魁に移籍してしまう。
 葉鍵新党の実質的な中心メンバーであった香里・綾香の離党により葉鍵新党は存亡の危機に立たされるが、保科智子が代表幹事に、松原葵・立法調整委員が政策委員会責任者に就任して存続した。しかし、秋子は一連の騒動の結果実権を失ってしまう。

 その後、秋子はうぐ民党か眠主党への移籍や、友人の神尾晴子?裏葉篠塚弥生に加え柏木千鶴杏さん党葉地区代表を引き入れての新党再結成を考えたが、うぐ民党や眠主党はトラブルの続く秋子の受け入れに難色を示し、千鶴は牧村南代表代行を通じて離党の意思がないことを示し、いずれの計画も頓挫した。

2008年葉鍵政界総選挙以降


 2008年葉鍵政界総選挙では、地方区では決戦投票の同率3位候補(月宮あゆ天野美汐)と一票差の5位で落選、ブロック区でも決戦投票候補と一票差で落選してしまう。

 こうして実権を失った代表となったが、その後も党員からの執拗な批判にもかかわらず今なお葉鍵新党代表の座に居座り続け、復活のときを虎視眈々と狙っており、今後とも党内外から恐れられ、葉鍵政界の不安定要素として存在感を発揮していくものと思われる。

 会計検査院の検査官に応募し、2010年葉鍵政界総選挙には出馬しなかった。その後、3月19日に検査官に任命される。


 ところが、2010年5月13日にオカル党革命が勃発、さらに6月14日に美坂栞甘党代表の首班指名およびオカル党伊吹風子の議長指名を巡って混乱が生じる。発足した美坂栞内閣はこれといった施策や行動を取らず、一方で伊吹風子議長が代わりに執政に取り掛かるが、この事態を見て水瀬秋子はオカル党による独裁の危機を感じ、葉鍵国会掌握に乗り出す。
 水瀬秋子は会計検査を理由に、職員と共に国会議事堂に乗り込みこれを制圧する。そして、一方的に「葉鍵国会の会計検査中は、会計検査院の認可を得ない予算審議は認めない」と宣言し、様々な予算案や組み換え動議などを却下するという行為に出、事実上葉鍵国会を支配してしまう(裏パープル革命)。結果、伊吹風子も議長でありながら国会議事堂を活動拠点にできず、首相官邸やオカル党本部で執務を続け、国会の制圧により事実上施策を行えない状況となった。
 しかし、この動きに各政党とも静観の構えを見せる。というのは、杏さん党葉鍵社民食福連合?は連立政権樹立を優先し、オカル党・甘党はその杏さん党・葉鍵社民食福連合の動きに備え力を蓄えることを優先したからである。

 2011年に入り、杏さん党・葉鍵社民食福連合はようやく連立に向けて進み出す。一方甘党も杏さん党との和解に乗り出して藤林杏内閣の成立に至るが、その際、両政権は当面は並存を認めることで合意。

 この間にRewrite開発特別地区(現・Rewrite県)聖女会筆頭の加島桜?と連携して同地区の内戦状態解消工作に乗り出す。葉鍵新党新党魁と連携しつつ、ジャムを使い藤林杏政権・美坂栞政権双方に圧力をかけて交渉のテーブルに着かせ、純粋無所属である吉野晴彦?を県知事とするなどの条件により停戦合意に成功する。

 一方、中央政界では藤林杏政権の成立後も、なおも葉鍵国会の占拠を続け、これを拠点として中央省庁や地方自治体に対して会計指導を続けることで、隠然たる影響力を持っている。また、この結果、中央省庁や地方自治体が両政権間の争いに巻き込まれる事態は防止されている。


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         < `ш´>
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     /旦/三/ /|    有志諸君による有意義な文書の編集を望む。
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