童実野病院まで送り届けるなり、野暮用がある、とジャックは走り去り、
遊星は一人で十六夜アキのいるその場所へと足を踏み入れた。
――彼女を救えるとすれば、お前しかいない。
そうジャックは言った。
……だが、と重い足取りでリノリウムの床を踏みながら遊星は思う。
――俺は十六夜になんと言ってやればいいのだろう。
ジャックによれば、アルカディアムーブメントは壊滅し、
総帥であり彼女の心の拠り所でもあったディバインも行方が知れないと聞く。
アルカディアムーブメントが彼女の唯一の居場所だったなら、
そしてダークシグナーが彼女を狙ってアルカディアムーブメントに現れたのなら。
彼女は、自分がそれを守れなかったと思ってはいないだろうか。
肉体的にも精神的にも傷ついた彼女に……自分は一体、何を語ればいいのだろう。
……ダークシグナーと、地縛神と対峙した恐怖は誰よりも自分自身が知っている。
だが結局それは、自分もまた地縛神とダークシグナーに、手も足も出なかったというだけの話だ。
十六夜が倒れたと聞いて、思わず言われるまま来てしまったが……
今の俺に――一体、何ができるというのだろう。
考えるうち、いつの間にか立ち止まって俯いた――その時。
「遊星」
「……龍可!」
突然かけられた声に振り向くと、そこにはなぜか一人、双子の片割れの少女がいた。
「どうして、ここに」
「龍亜が今、ここで検査を受けてるの。
今は別に何ともないし、命に別状はないらしいけど……
ディバインのサイコデュエルを受けたから、一応ね」
「サイコデュエル!?まさか……」
「ええ。わたしたちも、あの時アルカディアムーブメントにいたの。
龍亜の提案で、アキさんにこれからの協力を求めに行ったんだけど……」
龍可は残念そうに頭を振る。
「みんなは、無事なのか」
「平気よ。ちょっと危なかったけどね……氷室さん、大活躍だったんだから」
「そうか……。どうして、龍可一人でここに?」
「龍亜にはヤナギのお爺ちゃんと氷室さんがついてるから、私はここで待ってたの。
なんとなく……遊星が来ると思ったから」
「……!」
遊星は目を見開いた。
「最近ますます強くなっているみたい……シグナーの共鳴――って、いうのかな。
今じゃ一人ひとり区別がつくくらい――
遊星は……アキさんに会いに来たんでしょう?」
「……ああ」
僅かに目をそらして答えた遊星に、龍可は言った。
「まだ意識は戻ってないわ。
……ねえ……少し、いい?
私、遊星に聞いてほしいことと……訊きたいことがあるの」

「……わかった」
遊星が頷くと、ちょっと待ってて、と龍可は近くの自販機に向かった。
背伸びしながら硬貨を入れ、ボタンを押して缶コーヒー二本を手に戻って来る。
片方のプルを起こし――遊星に差し出す。
「はい。外、寒かったでしょ?」
「……ありがとう」
既に買ってしまっている以上遠慮するわけにもいかず、つい受け取る。
二人で並んで病院の長椅子に座った。
時おり缶を傾けながら、忙しく動き回る人々を眺める。
「遊星こそ、大丈夫だった?この間、戦ってたでしょ」
「……ああ。もう平気だ」
一口呷って、喉に熱い液体を流し込んだ。
「そう……」
龍可も一口飲む。
暫らくの沈黙の後、缶を両手で包むように持って、龍可は口火を切った。
「アルカディアムーブメントで……アキさんと話したわ。ちょっとだけ」
「……そうか」
「あんな綺麗な人を捕まえて魔女だなんて酷いわよね。
アキさんはむしろ……そう、茨姫よ。
心を鎖し、茨の森で眠り続ける孤独な姫君――
トゥーランドットじゃちょっと……ハマりすぎね」
「……」
「……怖い人じゃなかった。ただの女の子だった。
淋しがりやで危なっかしい、ただの女の子……私と同じ。
でも、私には龍亜がいたけど、アキさんにはいなかった。
あのディバインって人しか……いなかったのよ」
「……そうだな」
「ディバインが私の力で何をさせる気だったかは知らないけど――
少なくとも、テストと称して平気で子供を痛めつけるような人物がいい人だとは、
私には思えないわ」
龍可はわずかに語気を強くし――手の中の缶を、強く握った。
「アキさんだって、きっとほんとはそのくらいわかってたんじゃないかと思う。
……でも、それでもアキさんには、彼しかいなかったのよ。
たとえ打算でも、自分を肯定してくれたのは」
「……」
「アキさんは――いずれ、みんな私の力を怖れるようになって、
私は孤独になるって言ってた。
それはきっと、アキさんがそうだったから。
アキさんにとっての世界がそうだったから。
人はみな、自分を怖れるか利用しようとするかしかない――そんな世界」
「……」
「その唯一の例外が遊星だった。……わかる?この意味」
そう言って龍可は遊星の方を見やる。
「意味……」
「だから――アキさんを救えるのは、遊星しかいない」
「俺は、そんな……」
誰かを救えるような人間じゃない。
言葉を呑み込んだ遊星に、龍可は宙を見つめて言う。
「愛されなかった人は人を愛せない人間に育つって、何かで読んだわ。
遊星は、誰かに愛してもらうのではなく自分で自分を愛するんだって言ったけど……
それはその通りかもしれないけど、でも、
……そんな人に、自分を好きになれるのかな」
龍可は静かに顔をあげる。
「だけど、人を好きになるのって、必要に迫られてすることじゃないわよね。
きっとごく自然に、いつのまにかそうなってしまうものよね。
……だから、私が今遊星に聞きたいのはね」
ただまっすぐに――遊星の目を見つめて、問う。
「――遊星は、アキさんのこと、好き?」
「……っ!」
絶句した遊星に、龍可は更に畳み掛ける。
「遊星にとってアキさんは、どういう存在?」
「……俺は……」
赤き竜。シグナー。
確かに、奇妙な因縁で結ばれているのは確かだ。
彼女に何かしてやりたいと思うのも本当だ。
だが……一体、自分にとって彼女は、なんなのか?
「遊星でもそんな風に迷ったりするのね……」
考え込んだ遊星を見て、龍可がふわりと笑った。
「こんなに困ってる遊星、見たことない」
「俺だって……迷うさ」
「そんな風に弱気なところも、はじめて見た」
「……」
「この間のダークシグナーとの戦いで何かあったのかもしれない。
でもきっとそれだけじゃなくて……アキさんにたいしてどう接するべきか、
自分でもまだ決めかねている。……違う?」
「……そうだな」
また一口コーヒーを流し込んで、手持ち無沙汰に缶を見つめた。
商標名の下に小さく印字されたキャッチコピーは――
『タフでなければ生きられない、優しくなければ意味がない』。
……飲んだのは無糖でもないのに、口の中がやけに苦い気がした。
そんな遊星を横目に見て、龍可は尋ねた。
「じゃあ聞くけど……滅多に他人とかかわろうとしない遊星が、
ほとんど初対面のアキさんのために、あそこまで必死になれたのは、どうして?
同じ痣を持っていたから?いずれ仲間になるって思ったから?」
そうだと思っていた。
ただ、当然のように。
だが、本当の理由は――違ったのだろうか。
あるいは、意味など――なかったのか。
どうして、自分のことが――わからない。
「ねえ、遊星は決勝戦でアキさんと戦ったとき……怖くなかったの?」
龍可は淡々と問う。
「普通はあそこまでされたら……逃げ出したくなってもおかしくないわ。
誰だって……今までの対戦相手みたいに」
「それは……」
怖かった。
棘の鞭で身体を地面に叩きつけられる直前に目にした、あの歪んだ笑み。
興奮に上気した頬と、喜悦に爛々と輝く瞳から――目が離せなかった。
だが、それは決して恐怖からだけではなく――
「それなのに、遊星は決して屈しなかった。
敵意さえも向けることなく、アキさんに呼びかけ続けた。
あんなに必死に……ぼろぼろになってまで。
それは、どうして?」
龍可はかすかに微笑む。
「遊星は真面目だし、優しいから……
苦しんでる人を見て、つい手を差し伸べてしまったとか?」
「違う!俺は……」
思わず大声で否定して、すぐに黙り込む。
――忌むべき印だ――
ダイモンエリアで初めて向かい合ったとき…
あれほどの距離を隔てても、はっきりと耳に届いた――悲痛で冷たい声。
――たす、け――
フォーチュンカップで見た――仮面の下の、あの泣き顔。
違う、俺が望んだのは、本当は――
「……そうだ。
遊星に訊いてばっかりで、私の答、まだ言ってなかったわね」
龍可が何気ない調子で語り出す。
「アキさんって……私が言うのもなんだけど、ほんと、自分の殻にこもりきりよね。
人に慣れていなくて、傷つきやすい。
ディバインの言いなりで、主体性ってものが全然ない。
大人に見えても、ちっとも年上って感じがしなかったわ」
常にない……強気で、やや辛辣とも言える発言。
「龍可……」
「だけど……私、アキさんが好き。仲良くなりたい。
不器用で、臆病で、可愛くて……なんだか、ほっとけないもの」
屈託なく笑って、遊星に向き直る。
「遊星はどう?……私と同じ、ってのはだめよ。
ちゃんと、遊星だけの答えを、聞かせて」
再び、まっすぐに――目を見つめる。
「……どうしてだろうな」
遊星は――困りきった調子で、息を吐いた。
「好きか嫌いかなんて――考えたこともなかった。
だけど……十六夜のことを嫌いだと思ったことは一度もない。
自分でも不思議なくらいだ。
俺は十六夜のことを、まだ何も知らないのに」
前を見やり、静かな口調で言う。
「初めて会ったときから……どうしてか、気になって仕方がない。
いくら拒絶されても、近づくことを止められない」
言葉を選びながら、ゆっくりと。
「俺は……誰かを救えるような人間じゃない。それでも」
正面から、龍可の目を見据えて。
「十六夜の、心からの笑顔が見たい」
自分の解を、示した。
「……合格」
大真面目な言葉に、龍可は微笑んだ。
「……だが……どうしたらいいか、わからない」
「……かなり重症ね……色んな意味で」
缶に目を落とす遊星に、龍可は大人びた表情でため息をつき、
自分も手元の缶に目を向けた。
「『タフでなければ生きられない、優しくなければ意味がない』、か。
……男の人は大変ね。
だけど……遊星が不安なときや疲れたときは、私が労ってあげる。
私だけじゃない、龍亜もお爺ちゃんも氷室さんも……みんな遊星を助けたいって思ってるわ」
そっと語りかける。
「今の私は無力だけど……エンシェントフェアリードラゴンの力を借りるには、
まず私が彼女を助けなくちゃいけないの。
でも、それにも必ず誰かの助けが必要なの。
……一人で何もかも解決することなんて、きっと誰にも出来ないんだわ。
人と人との絆が力になるって、いつも言ってるのは遊星でしょ?
だから――しっかりしてよね!」
「……!」
目を見開いた遊星に、強い調子で言う。
「伝えるのよ。
自分がどんなふうにアキさんのことを思っているか。
アキさんは一人じゃないって……伝えてあげて。
何も知らないっていうのなら、今度こそよく話して、しっかり知り合って来ればいいわ」
「……そうだな」
頷いた遊星に、龍可は微笑んだ。
「女の子は結局、いつだって最後には王子様を待ってるものなんだから。
私だって――あの時」
「……どういう意味だ?」
あの時と言われてもいつのことかわからず、つい問い返す。
「それは……えっと、その」
龍可はうろたえて下を向き、もごもごと口を動かした。
…と思うと急にきっと顔をあげ、
「あのね遊星、いくら大人びてみえても、
強がってても、恥ずかしがっても、
女の子には本当は甘えたいときがあるの!
抱きしめて欲しいときがあるの!」
「龍可……」
真っ赤になってまくしたてる龍可の剣幕に気圧される。
「だから…一番心細いときには、ぎゅってしてほしいな」
龍可は急に声のボリュームを下げ、俯いて小さく搾り出した。
龍可は気まずそうに遊星から顔を背けて、窓の向こうに咲く薔薇に目を向けた。
「…あ、アキさんといえば……遊星、知ってる?
薔薇の仲間には、イザヨイバラっていう名前の花があるんですって」
「イザヨイバラ?」
「十六夜っていうのは十五夜を過ぎた欠けはじめの月のことよね。
それで……一部が欠けたような歪な形の花しか咲かないから、そう名付けられたんだとか」
「……よく……知っているんだな」
「わたし……小さいときからずっと、家にこもって本ばかり読んでたから」
龍可は子供らしくない笑みを浮かべた。
「……でも実際のところ、そんなに歪ってほどでもないのよ。
きっと名前と、その由来を知らなければ…ただの、綺麗な赤い花よ」
「ただの……花か」
「そう。別に特別なんかじゃない……魔女なんかじゃない。
普通に生きていいんだって、教えてあげるべきよ。
もっとも――シグナーとしての宿命っていう問題も、あるわけだけど」
「……そうだな」
遊星は重々しく、どちらにともなく同意を返した。
「あとね……これ、もしかして、って思ったことなんだけど……」
「……なんだ?」
「遊星って実は、同年代の女の子に、慣れてないんじゃない?」
「……確かに、今まであまり…身近には、いなかったな」
「やっぱりね。ちょっとそういう感じ、したもの。
ぎこちない、っていうか」
「……」
ぎこちなかっただろうか。
確かに、フォーチュンカップの廊下で出くわしたとき――
話しかける前に少しばかり注視してしまった気もするが。
いや、龍可が言っているのはその時のことではなくて――
……傍目にわかるほど自分はおかしかったのだろうか。
人知れずショックを受ける遊星をよそに、龍可は続ける。
「クールに見えてけっこうすぐ熱くなる。
その癖肝心なところでは今一歩押しが弱い」
「……」
以前旧友に指摘されたことを思い出して――遊星は閉口した。
「遊星は私よりずっと大人だし、責任感が強くて思慮深いのがいいところだけど、
たまに考えすぎだと思うわ。人間ができすぎてる、っていうか」
「……手厳しいな」
「ほんとのことでしょ?
……アキさんがブーイングを受けていたとき、ヤナギのお爺ちゃん言ってた。
あんな子供に向かってひどい、って」
「……」
「お爺ちゃんに較べたら、私もアキさんも遊星も、きっとまだまだ全然子供よ。
だから、この際年齢も性別も気にすることなんてないわ!
思いっきりぶつかってきて!」
「……無茶苦茶だな」
「無茶苦茶よ」
龍可は笑う。
「……生意気なこといってごめんなさい。
でも、自信持ってよ。
遊星は無口で無愛想で朴念仁だけど、笑ったらけっこう素敵だから」
「……ありがとう」
遊星は――表情からは窺い知れないが――少々複雑な気持ちで答えた。
「頑張ってよね……『全部受け止めてやる』んでしょ?」
「……聞いていたのか」
「響き渡ってたわよ!会場の隅々まで!」
今度こそ苦りきった遊星に、龍可はくすくすと可笑しそうに笑う。
「……」
ばつが悪そうに顔を背ける遊星を見て、龍可は呟いた。
「ほんとは、最初から――わかってたんだけどね、
遊星がアキさんを嫌いなはずないって。
嫌いな人のためにあそこまでできるわけ、ないもの。
でも、肝心の遊星本人がそこのところあんまり自覚してなかったみたいだから……
ちょっぴり、意識してもらおうと思って」
龍可は残ったコーヒーを一気に飲み干し――向き直った。
「誰かの笑顔のために頑張る人が、そんな難しい顔してるのはいただけないわね」
「難しい顔……」
――俺には、今目の前にあるのがそれのように思えるのだが。
「そこで、最後に一つ……おまじないを教えてあげる」
「まじない……?」
発言よりもむしろ真剣すぎる表情をいぶかる遊星に、龍可は言う。
「いいから、耳、貸して」
「……?」
言われた通り姿勢を低くすると、龍可の唇が遊星の耳に近づき――通り過ぎた。
「……!」
頬に触れた――柔らかな感触。
「真剣なのはいいけど、あんまり怖い顔してちゃだめよ」
呆気にとられる遊星に向かって、龍可ははにかんだ笑顔で、悪戯っぽく片目を閉じた。
「とにかく、そういうこと!」
「龍可!」
ぱっと離れて駆け出そうとしたところで呼び止める。
「お前も……もう少し、素直に振舞ってもいいと思うぞ」
「……馬鹿」
振り向かずに答えると、龍可は今度こそ階段を駆け下りていき、
その姿はすぐに見えなくなった。
遊星はかすかに笑って――ゴミ箱に缶を捨て、
十六夜アキのいる病室へと、足を向けた。

「いたいた、おーい、龍可ちゃん」
「おじいちゃん!」
下の階に出てすぐ老人の声に呼びかけられ、
龍可は検査を終えた三人と合流した。
「どこ行ってたんだよー、心配したんだぞ」
「危ないから一人になるなと言ったろう」
口々に声をかける龍亜や氷室に答えた。
「ごめんなさい……今、遊星と話してたの。
アキさんに会いに行くって」
「ええ!?……あの二人、大丈夫かなあ?
フォーチュンカップのときみたいに、
ここで会ったが百年目!なんて感じにならなきゃいいけど」
「大丈夫よ」
龍可はそっと呟いた。
「ここで会ったが百年目――だから呪いは、もう解ける」
だって彼は……王子様なんだから。

――差し詰めわたしは妖精の名付け親ね。
龍可が一人思っていると、龍亜が声をかけた。
「ところで龍可、なんか顔赤いよ」
「え?」
「おや、ほんとだ。もしかして熱でもあるんじゃないのかい」
「な、なんでもないわよ」
「おいおい大丈夫かよ、ついでに龍可も検査を受けてった方が」
「ほんとに平気だってばー!!」
病院の廊下に、心配症の保護者に囲まれた少女の叫びが響き渡った。

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