部屋へと向かう前に姿見で確認する。
控えめな薄化粧、適度に情欲をそそる薄い衣装、濡れた唇に誘うような黒い瞳。
準備を万全に整え、仕事に赴く。
今日の相手は海馬グループの若き社長だ。
実入りも良い分だけ、きっちり仕事を果たさなければならないだろう。

ベッドの側に寄るなり、引き倒されるようにシーツへと押しつけられる。
控えめに声を上げてみると、男は煩わしそうに部屋の奥を見た。
できるだけ声を出さないようにと心掛けながら、仕草も控えめに誘いかける。
こちらからの誘いを全て鬱陶しそうに流しながら、男は自分のペースでことを進めていく。
ぞんざいな扱いの割に、かけられる言葉だけが非常に熱っぽい。
「何者より究極にして気高く…」
衣服を剥ぎ取る荒っぽい手つきと、満足感に溢れた賛嘆はどこか噛み合わない。
そして男は囁いた。
「美しい。ブルーアイズ…」
「え…?」

わたしの目は漆黒だ。
見つめていると吸い込まれそうだとも言われる、この目のことではない。
混乱のまま突き放され、寝台にうつ伏せに倒れ込んだところを押さえつけられる。
そのまま足を開かされ、割り入れられた。
急な圧迫感にのどがつかえながら、それでも身体が熱くなってくる。
気遣うそぶりもない性急な責めに身をゆだね、内側から滲み出てくるような快楽をたどっていく。
そして深く穿たれることに耐えきれず顔を上げたその瞬間、わたしは青い光を見た。
まるであらゆる青を溶かし込んだかのような、深く鋭い青の瞳を。

なるべく気付かれぬように首をねじって視線をそっと上げる。
男はわたしなど見ていなかった。
うつろに見える視線のその先には、あの青い光がある。
凪いだ瞳は水面のように静かだが、その奥には禍々しいまでの輝きが潜んでいる。
そのまま視線を辿って部屋の奥に視線を移す。
何か生き物の気配を感じた。
汗だけがだらだらと流れ出していくのに、熱くなったはずの体はどんどんと冷たくなっていく。
「そうだ、ブルーアイズ、最強にして気高いお前こそが俺の…」
背の上から聞こえる溜息のような賛辞に恐怖が加速していく。
すでに快感など無く、ただ異物感だけが出入りを繰り返している。
緊張によって体がこわばる。
内部まで収縮することでさらに増す不快感に耐えながら、わたしは何とか意識をつなぎ止めるのに必死だった。
「っや、あ、ぁ…」
こみ上げる絶叫を押し殺しながら、のどから漏れ出る喘ぎでさえない悲鳴を必死で飲み込む。
得体の知れない恐怖にも関わらず、ひきつり絡みつく下腹部だけがぐちょぐちょと湿った音を立てている。
恐怖により失神するのは簡単だけれど、ここで意識を手放したら、わたしが目覚めることはきっと無い。
理由はないが、今までの経験で養ってきた直感がそう告げる。
揺さぶられる視界のなかで、目を凝らすと部屋の奥のそれは、かすかに白銀色に輝いた。
人間ではない。この世に存在するものですらない。
神話と想像の狭間にいる生き物。
白銀の肌と青い目を持った竜。

行為が終わると男は即座に身を離し、ほとんど乱れていない服装を軽く直した。
そして、手を振り払う仕草で部屋を出ていくように指示を出す。
常には考えられないこんな屈辱きわまりない仕打ちなのに、涙が出るほどわたしはほっとした。
すぐにも駆けだして出ていけたのならと思いながら、
背を見せ走り出した瞬間に自分は殺されるだろうと考えると、息が詰まる。
ベッドのきしむ音に、男が立ち上がったのだと知れる。
ただゆっくりと部屋の奥だけを見つめながら男はすすみ、
わたしは窓辺へと顔を向け、なるべく物音を立てないようにローブへと手を伸ばした。

暗い窓に反射して映る部屋の奥で、ずるずると男の足下に、あの竜の尻尾が巻き付いている。
金属のような光沢を放ち、硬質な印象を持つ青眼の竜に女性的な印象はあまり無い。
けれど、信頼関係にあるのであろうその男と竜は、
ペットと主人というにはあまりにも濃密で、不穏な関係を築いているように見えた。
男が手をさしのべると、竜は至極自然に掌に頭を寄せる。
硬い鱗に覆われた皮膚を撫ぜる指は、まるで愛撫するかのように滑らかに輪郭を辿っていく。
窓から差し込む冴えた月の光に照らされる光景は、何もかもが不自然だ。
「至高にして崇高なる我が僕(しもべ)よ」
統べるような声色でありながら、陶然とした様子で男は竜へと語りかける。
睦言ともいえるような甘ささえともなって。
その口元は不敵な笑みを象っている。
そしてわたしは、音を立てぬように扉から滑り出た。

扉を閉め切るってしまうと、全身の力が抜けて壁に寄り掛かる。
今までに老人の悪趣味な趣味も、叶わぬ思いを身代わりにぶつけてくる御曹司の慰めも、
何だって経験してきたつもりだった。
依頼主の敵対者が狙うベッドの上であっても、幾度も痴態を繰り返してきた。
けれど、今日の出来事は根本的に何かが違った。
男はわたしのことなど全く目を向けていなかった。
わたしに向けられた欲望も激情も全てそれは。
だが、これ以上詮索すべきではない。

恐怖と嫌悪感で竦む足を引きずって何とか部屋にたどり着き、荷物を手早く片づけ出ようとすると、
わたしに今回の仕事を依頼した男が部屋へと入って来た。
「失礼いたします。磯野と申します」
「仕事は終わったわ、無粋な人ね。何の御用かしら」
「他言は無用にてお願いします」
「顧客の個人情報を漏らすような、ケチな女に見えたかしら?心外だわ」
男の耳元に、湿った息と一緒に吹き込んでやる。
磯野という男は微動だにせず、ただわたしから一歩離れた。
「いえ、失礼いたしました。それではお約束した金額を口座の方に振り込んでおきますので。お確かめ下さい」
それ以上何も言わずに磯野は去っていった。
海馬グループは、今はエンターテイメント産業の会社だが、少し前までは軍需産業の一翼を担っていた会社だ。
しかもきな臭い話など、掘り出さなくてもその辺にごろごろ転がっていたような。
いくら割の良い仕事であっても、これ以上関わり続けるのは危険だ。
そしてこの場所に不用意に留まることも。
あの部屋で今宵あったことも、これから起こる出来事も、全てわたしにはもう関係のないことだ。

外に出る。
何事も知らないかのように、冷え込んだ夜風が吹き付ける。
ただ今夜の記憶を塗りつぶすために、わたしは次の仕事へと手帳を開いた。

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