冷戦時代の核実験や民間防衛をめぐるカルチャー

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1982年の英国内務省の核攻撃後机上演習 (Exercise Regenerate)



(Threadsのシーン)

1982年、内務省の秘密演習は、核攻撃後の英国の再建能力の検証した。最近National Archiveに公開されたファイルには、秩序維持にサイコパスを採用するという、すぐに却下された提案があった。

16時間の核の応酬で、英国では300メガトン以上の核爆弾が爆発する。多くの都市が破壊され、何百万人が爆風で死亡し、何百万人が生き延びて放射線障害となる。バンカーでは、12の地域責任者がスタッフとともに待機して、任に備える。彼らはどう行動するだろうか? 彼らはどう秩序を回復し、再建を始めるだろうか。

これは、最近National Archivesに公開された文書によれば、1982年に検証しようとした、内務省の秘密演習の内容である。楽観的な名称"Exercise Regenerate"と名付けられた演習は、第3次世界大戦の核の応酬後の6か月をカバーしたウォーゲームである。これは、中央地域と、Derbyshire, Leicestershire, Lincolnshire, Nottinghamshire, South Yorkshireの5郡にフォーカスしたものである。

ゲーム参加者は、核爆弾投下後に何が起きるか考える。彼らは、地域の最も可能性の高い標的を知らされており、損害リングが英国に如何影響するか予測する。爆心では、想像しがたい被害があり、リング外側では、壊れた窓や道路の瓦礫がある。科学顧問たちは、英国の50%は攻撃を受けないと推定した。ただし、生存者たちは放射性降下物の影響を受ける。



ウォーゲームの計画で、ある公務員が、法と秩序がどのように維持されるか考えようとした。内務省の科学担当者Jane Hoggは、警察が災厄に見舞われた地域の「不適切な」人々の対処に忙殺されると予想し、秩序維持に別のグループを投入する必要があると考えた。彼女は「人口の1%がサイコパスであると広く知られている。甚大な損害を被ったコミュニティで心理的影響を受けないと思われるのは、そのような人々だ。サイコパスは、他人や倫理コードを気にすることがなく、知的かつ論理的な傾向があり、危機の時に適切な人材となるだろう」と書いている。

Jane Hoggの上司たちは納得しなかった。ある担当者は「まったく納得できない。核戦争後対応機関に採用するか否かに関わらず、サイコパスは危険である」と書いている。サイコパスオプションは、地方政府オペレーショナルリサーチユニットによって作られたゲームに取り入れられなかった。

演習は、戦争が迫り、核爆弾が投下された後の状況を含む、一連の地方の出来事を設定している。公務員や警官や消防や軍のプレイヤーたちが、シナリオが提示するオプションから選択する。



(Threadsのシーン)

たとえば、核攻撃が間近に迫ると、ゲームは、South Yorkshireの責任者に、核戦争時の生存可能性について、非常に悲観的な声明を出すことをイメージさせる。1.5万家族が彼の担当する地域を離れ、近くのDerbyshireで、テントやキャラヴァンで滞在する。何をすべきかと、ゲームは問う。

状況報告後、核の応酬が行われ、演習"Exercise Regenerate"は、地域本部が大きな被害を被ったことをイメージさせる。Leoicesterのバンカーは破棄され、Lincoln本部は消滅し、Sheffield本部は消滅する。Derbyshireだけが、Matlockの本部とともに、被害を免れる。

これは、どこかで聞いたような話だと思う人もいるだろう。それは、1984年に放映されたBBCの受賞ドラマ"Threads"のプロットに非常に近いものだからだ。Threadsは、South Yorkshireの2家族の、核戦争前後を追ったものだ。Threadsは、核攻撃の影響を驚くほど詳細に描いたことで、当時称賛されたが、それは演習"Exercise Regenerate"をたどったものだった。ドラマのプロデューサーMick Jacksonは、このゲームについて知っており、記録によれば、彼は演習の見学を申請していた。しかし、その申請は却下された。Threadsが描いた秩序崩壊は、演習が核攻撃数日後及び数週間後を想像したものだった。当局に歯向かう自警団が出現する。バンカー内では士気が低下する。一部の生産設備は生き延びるが、誰がどうのように運営するのか? 統治は脆弱だった。



1982年5月、YorkshireにあるEasingwold training centreで、担当者たちはゲームをプレーしようとした。しかし、うまくいかなかった。あるプレイヤーによれば、十分にプレイを進められなかった。核攻撃後18か月までに起きることをモデル化することになっていたが、攻撃前の期間に時間を使いすぎた。担当者たちが「back to the drawing board (ドローイングボードにもどる)」と、コンピュータが壊れたことになっていた。それが、どうやら演習の終了だった。

"The Secret State"の著者Lord Hennessyは「簡単に言えば、核攻撃後の秩序を維持するためにサイコパスを採用することを示唆するような、民間防衛演習を見たことがなかった」と述べた。彼はまったく途方もないことだと記述したが、要素は迅速に進んだと記述していた。彼は多くの核戦争について秘密計画文書を見てきた。「私はいつも息をのむ。奈落の底を見なければならない公務員たちの思いは想像を絶する。」

冷戦終結から25年、秘密計画の大半は公開されている。しかし、Lord Hennessyは言う。「女王のシェルターとして、Royal Yachtを使う計画の詳細は、今も航海されていない。核戦争時は、ヨットは、女王とフィリップ王子と内務相を載せて、ソ連のレーダーの届かない、スコットランドの入り江に停泊することになっていた。しかし、私は電話を取って、女王に『陛下、ハルマゲドンファイルを見せてください』と願うことはできない。それは非常に悪い形式だと見なされるだろう。」

[ Sanchia Berg: "The nuclear attack on the UK that never happened" (2014/10/30) on BBC ]


なお、この当時のRoyal Yacht (1954-1997)は退役している。排水量5789トン、全長126メートル、乗員271名。

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