ロシア右翼
結局、フルシチョフもソ連科学を再生できなかった
スターリンによって破壊されたソ連科学界を救う形となったフルシチョフだったが、その後の対応はよろしくなく、再生するには至らなかった。
フルシチョフはいずれは西側の急速な科学技術の発展は緩慢になると見て、当面は、ひたすら模倣する政策を採用した。しかし、西側の科学技術の発展は緩慢になることはなく、模倣すら間に合わなくなるという事態に陥った。
結局、フルシチョフもソ連科学を再生できなかった 
スターリンによって破壊されたソ連科学界を救う形となったフルシチョフだったが、その後の対応はよろしくなく、再生するには至らなかった。
フルシチョフはいずれは西側の急速な科学技術の発展は緩慢になると見て、当面は、ひたすら模倣する政策を採用した。しかし、西側の科学技術の発展は緩慢になることはなく、模倣すら間に合わなくなるという事態に陥った。
外国の発達した科学、技術を模倣する試みそして、ブレジネフの停滞の時代を経て、いかんともしがたい状況に至るのは、この後のこと。
しかし、旧世代の党指導者だったフルシチョフは、科学を"社会主義の科学"と"資本主義の科学"に分けて考えることが基本的に誤っていることを依然理解できなかった。彼は科学におけるイデオロギー的偏向が必要であり、マルクス主義の主要原則の一つであると考えていた。ソ連と西側科学、技術の重要な格差は、ソ連の知識層の最良部分に加えられたスターリンの粛清や情報面での孤立、資本主義世界の「階級闘争」によって説明づけられた。それによれば、資本主義世界では、支配層は労働者階級の依存度を少なくし、ホワイトカラー層を増やすための高度な技術設備を開発しようとして科学に投資せざるを得ないというのだ。
たしかにフルシチョフはアメリカの技術と農業にもっとも深い感銘を受けたことは間違いなかった。公式宣伝ではソ連軍の「不敗」の強さが国民に語られ続けたが、ほば全面的な軍事技術分野でのアメリカの優位は、フルシチョフや軍司令部の彼の同僚たちにとっては決して秘密ではなかった。フルシチョフは権力を握ると同時に、スターリンが特別の支援を与えていたのと同じ分野、つまり原子力科学および航空機・ロケット工業にじきじきに特別の関心を示した。この結果、フルシチョフはソ連技術の多くの発展、衝撃的な成果の恩恵を受け、その威信を高めることができた。それらは、最初の核爆発、最初の人工衛星、人類の字宙一番乗り、世界初の原子力発電所、最初の月ロケット、初の民間ジェット機(TU104)による旅客サービス開始などである。それらの多くは実際に世界およびアメリ力の世論にさえ感銘を与えた。しかし、軍事的なバランスはソ連にとって疑いなく不利であった。スターリン死後、まったく当然のこととなった米ソ経済の比較では、ソ連が実質的に経済、科学、技術発展の全側面で遅れており、多くの場合、きわめて深刻なことが明らかになった。同しような状況が大半のヨーロッパ諸国との比較でも現われた。とくに西ドイツと日本がソ連との戦争で負けたにもかかわらず、農工業面で目ざましい発展を示し、その成長率もソ連の社会主義経済よりもはるかに高かったことは、ソ連の国家威信を著しく傷つけた。
しかし、フルシチョフや他の党指導者たちにとっては、ソ連およびその勢力圏の科学は普遍的かつ資本主義諸国の科学から独立しているべきものであり、"世界"科学のような概念は存在しないことは明白であった。彼らの最終目標は、1945年当時のスターリンと同様、外国の科学の水準に追いつき、追い越し、現代の科学、技術の全部門で指導権を握ることであった。しかし、もしこれを可能にするスターリンの方法が、天候を変え、砂漠をなくし、巨大な水力発電用ダムや運河体系を建設することなどを含む全国的な自然改造計画のような壮大な計画に科学者を従事させることであったのに対してフルシチョフの最初に着手した措置は簡単明快で、論理的のようにみえた。彼の計画はアメリカ、西ヨーロッパ諸国の近代的な工業、農業の方法をとり入れ、外国の技術によってもたらされた進歩を模倣し、技術、科学的研究を「創造的に」写し取ることであった。
「技術担当官」、「農業担当官」の地位が外国のソ連大使館で確立し、ソ連科学代表団が工業、科学の特定の部門を研究するため外国旅行を開始した。ソ連科学者の国際会議への参加は、まだ制限つきながら可能となり、外国科学文献の大部分は自由に利用できるようになった。
科学・技術面でのフルシチョフの新政策のもっとも重要な最初の展開の一つは、1955年ジュネープで開催された国連主催の第一回原子力平和利用国際会議に大がかりな代表団を派遣したことであった。この分野の大部分の研究はソ連では機密扱いだった。アカデミー会員、イーゴリ・クルチャートフと政府の特別委員会が代表団の構成にあたった。彼らには二つの選択が与えられた。論文の数を制限し、あまり重要でなく、内容の乏しい研究を発表するか、あるいは多くの研究の機密扱いを解き、ソ連の原子力研究の本当の顔を見せるか、であった。フルシチョフは第二の選択を承認した。彼はアメリカに感銘を与えることを望んだ。これはすぐれた決断だった。もちろん、すべての原子力研究が機密扱いを解かれたわけではないが、氷は破られた。ソ連国内で月刊誌「アートムナヤ・エネールギャ(原子エネルギー)」が一般向けの出版を始め、「サイバネティックスの諸問題」、「宇宙研究」その他の定期刊行物が出始めた。機密という強迫観念にとりつかれたスターリン時代には想像もつかない発展であった。
いくらか留保つきだったが、フルシチョフはバグウォッシュ国際会議へのソ連の参加を承認した。この会議では著名な科学者たちが国際政治問題とさまざまなプロジェクトの社会的意味を討論した。
第一回会議は1957年に行われ、科学者と外交官の合同会議だった。この運動を資金面で援助したアメリカの億万長者、サイラス・イートンはフルシチョフと個人的な友好関係を確立した。バグウォッシュ会議で討議された主な問題は軍縮、軍備管理、国際協力だった。これらの会議は恐らくこうした問題の解決にあまり影響を及ぼさなかっただろう。しかしソ連の科学者たちがこれらの会議を通して自らの社会、および世界におけるその役割に関して良心に目ざめたことは確かである。
ソ連科学の"模倣"志向の利点の一つは、包括的な科学情報システムを創設したことである。科学アカデミー内の特別科学情報研究所は、全ソ科学技術情報研究所に模様替えした。この研究所は世界の科学、技術雑誌の抄録を出版し、スタッフが特に重要と認めた"緊急"情報を翻訳し、科学者たちの需要に応して内外雑誌の写真コピーを提供することができる技術的な設備を備えていた。科学情報研究所は医学アカデミー、農業科学アカデミー、およびその他の工業研究網の一部にも設立された。このシステムは最初こそ迅速かつ効果的に働かなかったが、すぐに必要な経験を体得した。これには上級の科学者や編集者たちがスタッフとして加わり、化学、生物学、エレクトロニクスなどの分野での抄録作りには他の研究所の数千人の科学者が手助けした。
戦後、外国文献翻訳のため設立されたミール出版所もまた大幅に拡張され、外国科学文献のもっとも重要な研究を対象にきわめて大がかりな翻訳計画に着手した。こうした動きは外国の科学研究に関する情報量の急増を意味した。
全ソ科学技術情報研究所は国内の講読用に外国維誌の原本を写真複写する責任を持っことになった。私はこの手続きが遅れを引き起こし、新鮮で独創的な研究情報がしばしば検閲される恐れがあると批判した。1968年に私がこの手続きを批判したころは、すでに時代遅れで、高度に進んだ研究の要請を満足させることがてきなくなっていた。しかし、これが最初に導人され(1053-1955年)、開発された(1956-1958年)当時は、戦後の孤立の不活発な時代のあとだっただけに、科学界に大きな刺激を与えた。1953年当時、原語で外国文献を読むことができる科学者はきわめて少数だった。戦前にはｍ主としてドイツ語が中等学校および大学で学ばれた。しかし、戦後ドイツ語は科学用語としての重要性を失った。このため、ソ連の研究者にとて包括的な翻訳の便宜提供とアプストラクト・サービスはきわめて重要であった。1967-68には、英語がすでに教育体系のあらゆる段階に行き渡っており、大学卒業生は少なくもかなりの読解能力を持っていた。
ソ連国内で多くの外国の展示会が開かれ、世界各国からいろいろな型の機材の見本を購人するための外貨も手に入るようになった。ソ連は特許条約に加入していなかったため、ライセンスを買わずに外国のあらゆる種類の設計を複写することができた。これはしばらくの間は利点と思われた。しかし研究、技術の分野の模��(同化反復)傾向は、必然的に研究、実験体制の増殖作用を引き起こし、科学界の異常発達を招いた。また、著名な科学者の大規模研究所や実験室建設提案がもっとも受け入れられやすい時期でもあった。かくかくしかじかのきわめて重要な部門がアメリカではよく発達しているのに、ソ連でははなはだ遅れているという詳細な報告を党中央委員会か政府に提出するだけで十分という例もしばしばみかけた。
例にひかれたのはアメリカだけではなかった。キエフの全ソ老年学研究所が設立されたのは、アンナ・アスランらルーマニア科学者たちがノボカインの注人により寿命を延ばす方法を発見したという記事が新聞に出たあとだった。ルーマニアの発見がソ連の新聞で報道されると、ソ連保健省は新しい老年学研究所でノボカイン治療計画を開始させた。最初の数年間、研究所はこの長寿法の試験に取り組んだが、より広範な使用の結果出てきた否定的な結論のため、この方法は捨てられてしまった(この方法はほとんどすべての先進国で広く試験されたが、統計的に信頼できる肯定的な結果は得られなかった。しかし、アメリカなどでは依然実際に使われている)。研究所はこうした結論にもかかわらず、生き残った。
老年学者として、私はノボカインによるルーマニアの長寿法がソ連国内で失敗した経過を部分的に知っている。ルーマニアとソ連ではこの方法の効果が違ったことについての理由は見つかった。しかし、これは政治的観点から見た場合、デリケートな問題なので公表されることはなかった。ルーマニアではアスランの診療所が扱った患者の大部分は老人施設出身であり、こうした施設は患者の状態も、医療の点でも問題が残されていた。こうした患者たちはいったん第一級の政府の診療所に移されると、ビタミンや良好な看護と結びついて、ノボカインの注射にきわめて積極的な反応を示した。ソ連では最初にこの若返り療法を受けたのは、フルシチョフ自身を含む政府、党幹部だった。ノボカインの注射は一時的な陶酔感を味わわせただけで、客観的な若返りの効果を生まなかった。
この研究プームの産物の一つは、オプニンスクに設立された放射線医学研究所だった。私はここで1962年に働き出した。この研究所は、国連主催の第二回原子力平和利用国際会議のあと、1959年に設立された。この会議でソ連の放射線医学、放射線生物学がおくれていることが暴露されたあと、さまざまな部門でこれに関する研究所がいくつか設立された。
オプニンスクの研究所はその中でももっとも大きなプロジェクトの一つだった。研究所はまた特別の技術模倣の使命も帯びていた。それは西ドイツ、アメリカ、日本、イギリス、イタリアなどから放射線とX線の装置の見本を購人し、その中から最良のものを選んでソ連型モデルの"オリジナル"を開発する仕事であった。ソ連型最新モデルの製造ができる大工場は研究所の一部であり、約2000人のスタッフを集める計画だったが、これは後に簡単に"超過達成"された。このような大規模なスタッフでも、研究所の実験、臨床部門を満たすのには十分でなかった。研究所は20棟をいっぱいにし、さらに約10年にわたって増築を続けた。しかし隣接の放射線化学研究所や核エネルギー研究所はもっと大きかった。両研究所は3000人の研究スタッフと6000人の作業員および模倣研究のための施設を抱えていた。
外国の科学、技術を同化しようという考えは、科学面での真の協力と世界的規模の科学の統合が伴えば、決して悪いものではなかった。しかし、こうした模倣が、資本主義世界の科学発展は戦後復興の一時的な現象であり、過剰生産による工業危機のため必ず停止するはずだが、現在は戦後の経済プームによってそれが遅れているだけとする間違った仮説に基づいていた。フルシチョフとその同僚たちは西側0科学、技術発展が続くだろうとは想像できず、この仮説に基づいて、彼らはソ連科学が指導的地位を獲得すべき分野を勧告していた。期待に反して、科学、技術の発展(「科学技術革命」と呼ばれた）は停止するどころか、逆に1950年代後半と1960年代にアメリカおよび西ヨーロッパ諸国で加速された。加えて、現代の高度に発達した科学・工業設備の模倣はむしろ進歩を遅らせる結果を招いた。科学の国際協力に関する著書で、私は模倣が技術格差を縮めるどころか逆に拡げている例をいくつか指鏑した。これはいくつかの設備、機材類を模倣している間に、外国の技術が多くのモデルチェンジを導人し、ソ連の"モデル"がようやくエ業生産できるころには、何世代も進んだ新モデルが誕生しており、ソ連型は結局時代遅れになってしまうからである。この現象は多くの分野で起こっていた。フルシチョフの政策はまた研究所および研究員の急激な増加を招いた。研究所数は1953年以来、3倍に増え、1964年には所員数は65万人に達した。研究機関(研究所タイプの)の数は4800となり、1953年当時のほぼ2倍になった。中等専門学校または大学を卒業した技術者数は、1950年にソ連3万7000人、アメリカ6万1000人だったのが、1965年にはアメリカ4万1000人、ソ連17万人となり、劇的な逆転を示した。
しかしこの科学、技術の基盤の急激な成長もソ連の真の経済、農業の発展には反映されなかった。ソ連経済および農業は1958年以来、アメリカ、西ヨーロッパ諸国にますます遅れを取るようになった。深刻な食糧不足のために国民がもっとも身近に感している農業問題は1963年には危機にまで発展し、ソ連は飢饉をけるため、大量の穀物やその他の食料を外国から輸入した。もちろん、この危機の直接の責任は科学ではなかった。フルシチョフの経済政策の失敗の背景については、ロイ・メドヴェジェフと私自身が他の本で書いている。フルシチョフの主要な経済改革--- 機械トラクター・ステーションの1年以内の廃止、工業経営の中央集権化の停止、合理的な率を超えた食肉増産の試み、気候条件からみて不適な地域でのトウモロコシ栽培の促進 --- は、結局のところ否定的な結果をもたらしたことが証明された。党体制を地域的な組織の代わりに工業、農業部門に分割し、あらゆる段階で党機構の強制的改組をおこなおうとする試みは、党官僚の間に不満を引き起こした。兵力削減の決定は必然的にフルシチョフと軍部との対立をもたらした。このほかの多くの失敗や政治的原因のため、1964年10月、フルシチョフは退陣を余儀なくされた。しかし、その後におけるソ連科学の発展の流れをよく理解するためには、フルシチョフの手で行われた、もはや逆転不能ないくつかの特別な改革を考慮に入れることが必要である。
(第6章 フルシチョフ改革とソ連科学の発展(1953-1964), pp.59-67)
[Z.メデヴェジェフ (熊井譲治 訳): "ソ連における科学と政治", みすず書房, 1980]
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