概要

ルセーンの戦いとは、蜉蝣時代の戦乱の中で、アルファ689年3月、シャリアル国軍とバルド国軍の間に起きた戦いである。

戦闘に至るまでの背景


▲687年3月における勢力図

バルディゴス討伐連合軍解散後、バルド国とシャリアル国の関係は、イージル国の旧領土の争奪戦で小規模な激突はあったものの、決して険悪ではなかった。
しかし、メスローは、ロー・レアルス国、リューグ国、アル国に対して終始主導権を握る戦いを繰り広げていたこともあり、バルド国との間にも戦端を開く決意をした。
自軍の強さに絶大な自信を持っていたメスローは、自らの師であるディグドの猛反対を押し切り出陣を決定、逆に彼を総指揮官に任命する。

ただし、カルディスはこの時期ロードレア国との戦いを視野に置いていたため、シャリアル国に対しては防衛に専念していたことを考えると、結果的にこれはメスローの慢心であった。
それでも、彼がそう思いたくなるほど、当時シャリアル国の軍勢が各国の軍勢を圧倒していたことは事実である。

戦闘経緯



後にディースの戦いの舞台となるディース高原のすぐ近くにあるルセーンの地で両軍は対峙した。
バルド国の指揮官は、名門の血筋であるナルザード
これに対して、シャリアル国の指揮官にして、メスローの師であるディグドは、勝負を焦らず各地に陣地と柵を作り、持久戦に持ち込んだ。

すぐに決戦に及ぶと思っていたナルザードは、短期間の食糧しか用意していなかったが、ディグドの持久戦は思いのほか長期にわたり、元々諸将をまとめるほどの器量のなかったナルザードは、早期開戦を主張するグラインたちを抑えきれなくなる。
その一方で、単ににらみ合いを続けていただけではないディグドは、リッシンバーを密かに動かしてバルド国軍の食糧庫を焼き討ちし、更にバルド国軍の後方にある小城を陥落させたという虚報を流す。
この報告に動揺したバルド国軍に向かい、それまで動きを見せなかったシャリアル国軍が一気に攻め込む。

グラインの必死の防戦によって、かろうじて戦線を持ちこたえさせていたバルド国軍だが、名将と呼ばれるフォールケーズ部隊に強襲を仕掛け、部隊を壊滅させて戦線離脱させる。
これをきっかけに、バルド国軍は総崩れとなり、全軍退却した。

戦いの結末

戦いに勝利したディグドの元に、メスローから更なる進軍が命令される。
しかし、アル国の動きを察知したディグドは、このまま進めば鉢合わせになることを計算し、それ以上の進軍をせずに帰国する。
帰国してきたことにメスローは怒るが、ディグドは「戦場に立てば、現場の判断を最優先するべき」と譲らず、メスローも「さすがは我が兵法の師匠」とその場は笑って済ませるが、自室では一切怒りを隠さなかったと当時のメイドの証言にある。
事実、これ以後ディグドは、メスローの戦略から外されていくこととなる。

アル国の侵略

バルド国の敗戦を知ったアル国は、ラウラの戦いカルドの戦いの連敗によって落ち込んでいた戦意を高揚させる為、便乗してバルド国の西部、エィディス平原に侵略している。
ただし、その地はほとんどが無人地帯であり、最初から形だけの勝利を得るためのものであった為、単独の戦いではなく、ルセーンの戦いの中の局地戦としてまとめられている。

国境守備隊の指揮官として、これまでもアル国と戦っていたデイルは、先陣を務めるアル国四天王フェルドに勝利を収めるが、追撃戦において深追いしすぎてレディナスに敗れ、ボルゾックの勘気に触れ、これ以後は主戦力から外されることとなる。
また、アル国軍においても、撤退するデイルを追撃して領土深く進入したガズドが捕虜となり、説得を受けて以後はバルド国の将となるが、この裏切りに怒ったルドリアによって本国に残っていた家族が処刑される。

デイルガズドは、後にエィディスの戦いで二人同時にヴィルガスに挑みながら返り討ちにあうという、数奇な運命を辿ることとなる。


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