錯誤に加担した
理性的にいえば、サリンを製造し、それを放出させて、故意にしろ偶然の不注意にしろ、無差別に無関係の人々を殺傷したと立証できないかぎり、どんなに警察や報道機関が限りなく黒にちかいという印象を与える発表や報道をやったとしても、その会社員を犯人扱いにして誹謗したり、極めつけたり、村八分にしたり、悪魔のようなどぎつい色彩で塗りつぶしたりすべきではない。法を侵犯しているかどうかと、道徳を侵犯しているかどうかとは、げんみつには関わりのないことは、法治社会での大原則だからだ。また法の判定にたずさわる者が違法だとも法の侵犯だとも決定していない以前に、その人物を違法者や罪人とみなすこともまったく不当で、社会の公器を自称する報道関係者がなすべきことではない。またもっといえば違法者や罪人にたいして道徳的に排除を施すことは市民社会の成員として必ずしも正当な振舞いといえない。ここまで理性的な内省を加えたとき、松本サリン事件でサリン発生源の近くにいて、自身も被害をうけて入院していた第一通報者の会社員を、一時的にせよ犯罪人のように思い込んでその印象をじぶんにたいして固定してしまったわたし(たち)は、決定的な錯誤に加担したといってよかった。ましてや、そんな印象を与えて恥じなかった長野県警も、そういう印象を流布した新聞、テレビなどの報道も、決定的な行き過ぎで不当だというほかない。ことに新聞やテレビの常軌を逸したきめつけは心底から不快感を禁じえなかった。
(「情況との対話第27回−サリン考−」徳間書店「サンサーラ」1995年6月号)
隆明鈔--吉本隆明鈔集
(「情況との対話第27回−サリン考−」徳間書店「サンサーラ」1995年6月号)
- 道徳倫理と法を混同してしまっている現代日本の現状が嫌になってしまう。そして、法によるよりもまず道徳的に何かを決めつけ、相手を徹底的に排除してしまおうという思考に、怖ろしいくらいの不快感を感じてしまう。それがもうなんらの内省することもなしに、ますます拡大していってしまう傾向を感じている。
隆明鈔--吉本隆明鈔集
2006年12月10日(日) 15:25:40 Modified by shomon