周の漢詩入門
はじめに
私は長年詩吟をやってまいりました。詩吟というのは漢詩を吟(うた)うわけです。実は漢詩だけではなく、短歌や俳句も詠うことがありますし、ちかごろは新体詩のみならず、現代詩を吟われる方もいます。でもなんといっても漢詩を吟ずるのが基本といえるでしょう。
漢詩というのは、日本の私たちにとっては、日本の詩人のみならず、李白や杜甫の詩にしても、私たち日本の古典と言えるのではないかと思っています。
私はその漢詩を読むのが昔から好きでした。パソコン通信をやりはじめたときに、この漢詩についてもっといろいろと話をしてました。その続きをこのインターネットでもやり続けたいと考えるのです。
実は日本の一番古い詩集というのは、和歌の「万葉集」ではなく、漢詩集であった「懐風藻」なのです。実に20年の差があるのです。私は字を持っていなかったとされる私たちの祖先たちが、漢字だらけの書籍を目の前にしたときの、そのとまどいを思います。だが、私たちの祖先は、その漢字だらけの白文に、「漢文」として日本語で読み下してしまいました。そして「万葉集」よりもはるか前に、その困難な漢文を使って漢詩集を作ってしまったのです。
このことは、今インターネットを目の前にして、私は深く考えてしまいます。インターネットの世界では、ほとんど英語という言葉が使われています。このことは私たちがまずいろいろな情報を仕入れたり、意見を交換する前に、まず困難なこととして立ちはだかってしまいます。だが、おそらくそれは私たちの祖先が昔に漢字だらけの白文の書籍に接したときよりもはるかに楽なはずなのです。
こんなことを考えたときに、私はこのインターネットの世界で漢文の世界をもう一度確認してみたいのです。そして、私自身が長年詩吟をやってきました関係で、「漢詩」を解説していきたいのです。
私の好きな三曹(曹操、曹丕、曹植)をはじめとする中国の詩人たちの詩も、日本の多くの漢詩人たちの詩も扱っています。→「周の三曹の詩」
そうですね、例えば、どこでお話しても乃木希典のことを「無能だった」と決めつける人ばかりなのですが(これは日本陸軍と司馬遼太郎がしつこく言っているので、その影響なんでしょうが)、私のこのページで彼の詩を読んでみてください。郭沫若が乃木の「金州城」を「日本人の作った漢詩中の最高傑作である」と激賞しているのがよくお判りになるかと思います。
現在UPしてある以外にも、いくつもの詩のことを書いたものがあります。校閲してUPしていかなくちゃと思っております。
作者の名前のあいうえお順に並べております。 (2003.12.31)
私のこの周の漢詩塾のためなのでしょうが、かなりな方から、漢詩および詩吟に関してメールをいただいています。ほぼ私よりも年上の方々ばかりです。内容は、ほぼなんらかのご質問が多いのです。やはり、どこかで聞いてみたいとしても、このインターネットの世界のどこで質問したらいいのか、判らないというところなのでしょう。
それと、「長年この詩について詳しく知りたいと思ってきたが、それがかなわず残念だったが、インターネットで検索してみて、ここにあるのを知って大変に嬉しい」というメールもいただいています。これまた実に嬉しいお便りであるわけです。
こうしたお便りを読みますと、「あ、やってきて良かったな」と思うと同時に、「もっとやり続けなくちゃいけけないな」と思うばかりです。ただ思うばかりでUPが進んでいません。どうしても、資料を確実に2点以上は確認してから書くようにしていますので、たった今は、長く自宅からは離れていますので、そうした資料が参照できないのです。
なんとか、そうした資料も手にしてまたUPを続けていきます。
(2006.07.01)
Wiki 将門
私は長年詩吟をやってまいりました。詩吟というのは漢詩を吟(うた)うわけです。実は漢詩だけではなく、短歌や俳句も詠うことがありますし、ちかごろは新体詩のみならず、現代詩を吟われる方もいます。でもなんといっても漢詩を吟ずるのが基本といえるでしょう。
漢詩というのは、日本の私たちにとっては、日本の詩人のみならず、李白や杜甫の詩にしても、私たち日本の古典と言えるのではないかと思っています。
私はその漢詩を読むのが昔から好きでした。パソコン通信をやりはじめたときに、この漢詩についてもっといろいろと話をしてました。その続きをこのインターネットでもやり続けたいと考えるのです。
実は日本の一番古い詩集というのは、和歌の「万葉集」ではなく、漢詩集であった「懐風藻」なのです。実に20年の差があるのです。私は字を持っていなかったとされる私たちの祖先たちが、漢字だらけの書籍を目の前にしたときの、そのとまどいを思います。だが、私たちの祖先は、その漢字だらけの白文に、「漢文」として日本語で読み下してしまいました。そして「万葉集」よりもはるか前に、その困難な漢文を使って漢詩集を作ってしまったのです。
このことは、今インターネットを目の前にして、私は深く考えてしまいます。インターネットの世界では、ほとんど英語という言葉が使われています。このことは私たちがまずいろいろな情報を仕入れたり、意見を交換する前に、まず困難なこととして立ちはだかってしまいます。だが、おそらくそれは私たちの祖先が昔に漢字だらけの白文の書籍に接したときよりもはるかに楽なはずなのです。
こんなことを考えたときに、私はこのインターネットの世界で漢文の世界をもう一度確認してみたいのです。そして、私自身が長年詩吟をやってきました関係で、「漢詩」を解説していきたいのです。
私の好きな三曹(曹操、曹丕、曹植)をはじめとする中国の詩人たちの詩も、日本の多くの漢詩人たちの詩も扱っています。→「周の三曹の詩」
そうですね、例えば、どこでお話しても乃木希典のことを「無能だった」と決めつける人ばかりなのですが(これは日本陸軍と司馬遼太郎がしつこく言っているので、その影響なんでしょうが)、私のこのページで彼の詩を読んでみてください。郭沫若が乃木の「金州城」を「日本人の作った漢詩中の最高傑作である」と激賞しているのがよくお判りになるかと思います。
現在UPしてある以外にも、いくつもの詩のことを書いたものがあります。校閲してUPしていかなくちゃと思っております。
作者の名前のあいうえお順に並べております。 (2003.12.31)
私のこの周の漢詩塾のためなのでしょうが、かなりな方から、漢詩および詩吟に関してメールをいただいています。ほぼ私よりも年上の方々ばかりです。内容は、ほぼなんらかのご質問が多いのです。やはり、どこかで聞いてみたいとしても、このインターネットの世界のどこで質問したらいいのか、判らないというところなのでしょう。
それと、「長年この詩について詳しく知りたいと思ってきたが、それがかなわず残念だったが、インターネットで検索してみて、ここにあるのを知って大変に嬉しい」というメールもいただいています。これまた実に嬉しいお便りであるわけです。
こうしたお便りを読みますと、「あ、やってきて良かったな」と思うと同時に、「もっとやり続けなくちゃいけけないな」と思うばかりです。ただ思うばかりでUPが進んでいません。どうしても、資料を確実に2点以上は確認してから書くようにしていますので、たった今は、長く自宅からは離れていますので、そうした資料が参照できないのです。
なんとか、そうした資料も手にしてまたUPを続けていきます。
(2006.07.01)
Wiki 将門
2006年12月01日(金) 00:08:58 Modified by shomon