予言者は故郷や家では軽べつされる
マチウ書十三で、「故郷へもどって、かれが教会で説教したところ、それをきいたものはおどろいて言った。かれは、どこで、かかる智恵と奇蹟とにたっしたのか。かれは大工の子ではないか。かれの母は、マリではないのか。ジャック、ジェセフ、シモン、ジェドは、かれの兄弟ではないのか。そして、かれの姉妹も、みなわれわれの間にいるのではないか。だから、かれは何処でこれほどまでになったのか。そして、かれは、かれらにとって、さてつの機会となった。しかし、ジュジュは、かれらに言う。予言者は、故郷や家では、軽べつされるのだと。そして、かれはかれらの不信によって、ここでは、多くの奇蹟はなさなかった。」という描写が、長いロギアのあとで、ほつんと孤立しておこなわれているが、この一見すると何でもないような挿話は、ジュジュの肉体を、つまり実在性を、メンタルにささえているじつに確かな描写であるということができる。
(「マチウ書試論」1954.6「現代評論」1号に掲載「芸術的抵抗と挫折」1959.2未来社に収録された)
隆明鈔--吉本隆明鈔集
(「マチウ書試論」1954.6「現代評論」1号に掲載「芸術的抵抗と挫折」1959.2未来社に収録された)
- マタイ伝の作者は、イエス・キリストを作り出したわけだが、こうした描写の中にこそ、たしかなイエスの姿を描き出しているのだ。そして、それにはものすごい「憎悪」がこめられている。「なんだ、あいつは大工ヨセフの子じゃないか」と言われるイエスは、そこでは奇蹟を起こせないのだ。そうした目で見る故郷に対して、イエスはいやマタイ伝の作者は、憎悪の目を向ける。だがこれは吉本さん自身の目でもあるかもしれない。
隆明鈔--吉本隆明鈔集
2006年12月03日(日) 12:50:38 Modified by shomon