冷戦時代の核実験や民間防衛をめぐるカルチャー

資料集

核戦争の危機を訴える文学者の声明 (1982)


作家中野孝次 (1925-2004)を発起人として、「核戦争の危機を訴える文学者の声明」への賛同を呼びかける文書が、作家・著述家たちに発想されたのが1981年12月のこと...:
署名についてのお願い

拝啓 年の瀬を迎え、寒さも一段と深まって参りましたが、お元気にお過ごしのことと存じます。

さて今春、アメリカでレーガン政権が発足して以来、軍備増強論がにわかに高まり、限定核戦略が唱えられ、中性子爆弾の製造が決定されて、核戦争の脅威が人類の生存にとっていっそう切実に感じられるようになってきました。

ご承知の通りヨーロツ。ハでは、一九八三年末にアメリカの新しい戦域核兵器が配備されれば、核戦争への歯止めが失なわれるという危機感から、歴史に例を見ないほどの巾広い反核、平和の連動が拡がっております。

いうまでもなく核戦争の危機は、ヨーロッパに限られるものではありません。新聞報道によれば、一九八四年には巡航ミサイルなどの新しい戦域核兵器が日本をふくむアジア地域にも配備されると伝えられながら、アジアではその配備を防ぐための軍縮交渉が問題にさえもなっておりません。

世界最初で唯一の悲惨な被爆体験を持っ私たちは、いまこそ核戦争の惨状を全世界に訴え、日本政府および東西の核大国に対して、日本の非核三原則を厳守してこれを全世界に拡大し、核兵器の全廃のための措置を取るように文学者として主張すべきときではないかと存じます。

こうした考えから、私たち有志で、とりあえず別紙のような声明文を用意しました。私たちはいかなる党派、組織、団体からも独立した文学者個人として、それぞれに手弁当で、日本の文学者の核戦争に反対する声を集め、核兵器全廃への私たちの強い願いを表明したいと思います。

つきましては別紙の声明文について賛成のご署名をお寄せ頂きたいと存じます。なおご意見があれば声明文と合せて発表したいと思いますのでおつけ加え下さい。また、この趣旨にご賛同頂ける方をご紹介、ご推薦頂ければ幸に存じます。

声明は新年に発表したいと存じますので、ご多用のところを恐縮ですが、折り返しぜひご返事を頂きたく、よろしくお願い申し上げます。

一九八一年十二月

井伏鱒二 井上靖 井上ひさし 生島治郎 尾崎一雄 小野十三郎 小田切秀雄 小田実 木下順二 栗原貞子 古浦千穂子 小中陽太郎 草野心平 高橋健二 巖谷大四 黒古一夫 住井すゑ 中村武志 夏堀正元 南坊義道 埴谷雄高 林京子 三好徹 西田勝 藤枝静男 本多秋五 中里喜昭 星野光徳 堀田善衛 真継伸彦 高野庸一 伊藤成彦 安岡章太郎 吉行淳之介 大江健三郎 中野孝次

[「核戦争の危機を訴える文学者の声明」署名者: 核戦争の危機を訴える文学者の声明 : 全記録, 1982.8]
その後、1982年5月末には562名の署名が集まり、まずは岩波ブックレットという形で公開され...
核戦争の危機を訴える文学者の声明

地球上には現在、全生物をくりかえし何度も殺戮するに足る核兵器が蓄えられています。ひとたび核戦争が起これば、それはもはや一国、一地域、一大陸の破壊にとどまらず、地球そのものの破滅を意味します。にもかかわらず、最近、中性子爆弾、新型ロケット、巡航ミサイルなどの開発によって、限定核戦争は可能であるという恐るべき考えが公然と発表され、実行されようとしています。

私たちはかかる考えと動きに反対する。核兵器による限定戦争などはありえないのです。核兵器がひとたび使用されれば、それはただちにエスカレートして全面核戦争に発展し、全世界を破減せしめるにいたることはあまりにも明らかです。

人類の生存のために、私たちはここに、すべての国家、人種、社会体制の違い、あらゆる思想信条の相違をこえて、核兵器の廃絶をめざし、この新たな軍拡競争をただちに中止せよ、と各国の指導者、責任者に求める。同時に、非核三原則の厳守を日本政府に要求する。

「ヒロシマ」、「ナガサキ」を体験した私たちは、地球がふたたび新たな、しかも最後の核戦争の戦場となることを防ぐために全力をつくすことが人類ヘの義務と考えるものです。私たちはこの地球上のすべての人々にむかった、ただちに平和のために行動するよう訴えます。決して断念することなく、いっそう力をこめて。

一九八二年一月

[ [[生島治郎 [ほか]編: "反核-私たちは読み訴える : 核戦争の危機を訴える文学者の声明" (岩波ブックレット ; no.1), 岩波書店, 1982.4>https://dl.ndl.go.jp/pid/11925978/1/3]] ]
その後、さらに『核戦争の危機を訴える文学者の声明 : 全記録』として、賛同意見などを増強した形で出版された。

花崎育代 (2006)によれば、「文学者」たちの反応は大きなものだったが、反対意見・批判もあった。現在の我々から見れば、すべて真っ当な批判に見える。
賛成反対署名非署名に関わらず、批判には、反核の自明視のもとに声明が作られていることを自省的に顧慮すべきとする意見(菅、野口など)、特別視的な「文学者」自称への違和(森崎、野島秀勝、中田耕治、矢代静一)、東西両陣営どちらかに政治利用される危惧ーとりわけいわゆる〈利ソ反米〉行為になる(三浦朱門、入江隆則、吉本隆明など)限定核戦争あり得ずとすることはそれほど明白ではないとする意見(加藤、三田、野口、早乙女、富士正晴)がとりわけ目に付くと言えるだろう。

しかしこの「声明」が、反対者にも黙殺されることなく、「核戦争」「核兵器」への危機感のみならす、「文学者」として大同団結してしまうことへの違和感、踏み絵か、という一方、「声明」が「ファシズム」というのも大人げない、さらには自己の立場に無自覚的な「反核」言説への非難など、言論のあり方についての意見が表明されたことは銘記しておくべきであろう。

そしてそうしたなかで、さまざまな疑念がありながらも署名しかつアンケートに答えた者で、ペシミズムにおちいらす「やるよりほかない」といった姿勢を明記した者(金達寿、藤沢周平、大岡信)もいた。

[ 花崎育代 (立命館大学): "「核戦争の危機を訴える文学者の声明」と大岡昇平", 日本文学, 2006 年 55 巻 11 号 p. 57-66 ]





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