ロシア宇宙主義についてのノート・調べものメモ

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アントワーヌ・フェーヴルのオカルティズムの隆盛と神智学の存続


オカルティズム(英語 occultism)、オキュルティスム(フランス語 occultisme)、ドイツ語Okkultismus、オカルト主義、隠秘学、神秘学とは、アントワーヌ・フェーヴル(1994)によれば、
  • 占星術、錬金術、魔術などの実践を指し、エソテリシズムと同義に使われることがある
  • エソテリシズムを思想、オカルティズムを実践として区別することがある
D) Occultism

In a broad sense, occultism is a dimension of esotericism. Indeed, once esotericism integrates the whole universe into its spiritual praxis, i.e., Nature entire, visible and invisible, it is not surprising to see it take tip very concrete practices. Each has its own method, but the laws establishing them rest on an identical principle, just as the branches of a tree are nourished by the same sap. Essentially this is the homo-analogical principle matching like to like, and this means one of the two can act on the other. This occurs by virtue of "correspondences" that unite all visible things and likewise unite the latter with invisible realities. Experimental science is hardly capable of accounting for them.

広い意味では、オカルティズムはエソテリシズムの一側面である。実際、エソテリシズムが宇宙全体、つまり目に見えるものも見えないものも含めた自然全体をその精神的実践に統合すると、それが非常に具体的な実践を必要とするのを見るのは驚くべきことではない。それぞれに独自の方法があるが、木の枝が同じ樹液で養われるのと同じように、それらを確立する法則は同じ原理に基づいている。本質的に、これは類似したものをマッチさせるホモアナロジーの原則であり、これは二つのうちの一方が他方に作用できることを意味する。これは、すべての目に見えるものを結合し、同様に後者を目に見えない現実と結合する「コレスポンダンス」によって起きる。実験科学ではそれらをほとんど説明できない。

Among these practices it is conventional to arrange all forms of "mancies" with astrology at the head of the list. But it must be realized that on the most elevated plane, the esoteric, astrology is less a science of divination than a body of knowledge -- a gnosis -- of invisible relationships between the stars and men. Likewise, alchemy is a gnosis. To the extent that the Adept undertakes to direct a parcel of matter, and by that act, himself as well, to its glorious state "before the Fall," it is magic in the noblest sense. But when its project is limited to metallic transmutation alone, or to spagyria, we would say it is occultism. Let us mention also occult medicine, which rests on the properties of certain stones or plants gathered at a propitious moment and, more generally, magic in all its forms, white or black. For example, theurgy or the practice of invoking intermediate entities, generally angelic, is a form of white magic. (In this respect, we speak of evocations apropos of occultism, and more appropriately of invocations in a traditional theosophic context.) All these branches of occultism rest on the doctrine of correspondences, or the law of universal interdependence, which expresses a living and dynamic reality. They truly make sense only when directed by the active imagination, which like a catalyst or a chemical indicator puts into action networks of cos-mic and divine analogies and homologies. In the most noble sense, an occultist is simultaneously an esotericist, or a theosopher.

これらの実践の中で、占星術をリストの先頭に置いて、あらゆる形式の「占い(mancy)」を配置するのが慣習である。しかし、最も高度な次元、エソテリックな占星術では、占いの科学というよりは、星と人間の間の目に見えない関係についての知識体系、つまりグノーシスであることを認識する必要がある。同様に、錬金術もグノーシスである。熟練者が物質の一塊を導き、その行為によって自分自身も「堕落の前」の輝かしい状態に導くことを引き受ける限りにおいて、それは最も崇高な意味での魔法である。しかし、そのプロジェクトが金属変換のみ、すなわち錬金術に限定されている場合、それはオカルティズムであると言える。絶好の時期に集められた特定の石や植物の特性に基づいたオカルト医学、そしてより一般的には、白または黒のあらゆる形の魔法にも言及しておこう。たとえば、神術や、一般に天使のような中間存在を呼び出す実践は、白魔術の一形態である。 (この点において、我々はオカルティズムに相応しい召喚について、より適切には伝統的な神智学の文脈での召喚について話す。)オカルティズムのこれらすべての分野は、対応の教義、または普遍的な相互依存の法則に基づいている。現実。 それらは、触媒や化学指標のように、宇宙や神の類似性や相同性のネットワークを作動させる、活発な想像力によって導かれた場合にのみ真に意味を持つ。最も崇高な意味では、オカルティストは同時にエソテリシスト、つまり神学者でもある。

The distinction between esotericism and occultism did not really enter the vocabulary until the middle of the nineteenth century, a time when a need was felt to create this second substantive, which coincided precisely with the appearance of a trivial esotericism. Moreover, esotericism has its practical dimension also. It is not pure speculation to the extent that active knowledge, illumination, and imagination which compose it, correspond to a form of praxis -- just as occultism brings back necessarily to a form of universality. The problem in terminology is complicated by the fact that "occultism" is sometimes used in the sense of "esotericism."

エソテリシズムとオカルティズムの区別は、19世紀半ば、自明なエソテリシズムが登場し、オカルティズムを別に作る必要性が生じたまで実際にはなかった。さらにエソテリシズムには実践的な側面もある。それは、それを構成する能動的な知識、照明、想像力が実践の一形態に相当する限り、純粋な思索ではない。ちょうどオカルティズムが必然的に普遍性の一形態に引き戻すのと同じである。「オカルティズム」が「エソテリシズム」の意味で使用されることがあるという事実により、用語の問題は複雑になる、

Eliphas Levi (1810-1875) is credited with the coining of this term. He derived it from "philosophia occulta", in the sense promulgated by Henricus Cornelius Agrippa in De Occulta philosophia (1533), to designate a group of investigations and practices having to do with such "sciences" as astrology, magic, alchemy, and the Kabbalah. "Occultism" is used in these two meanings: a) any practice dealing with these "sciences." If esotericism is a form of thought, occultism would instead be a group of practices or a form of action that would derive its legitimacy from esotericism. Thus "occultism" is sometimes a synonym of "esotericism" (e.g., Robert Amadou, L'Occultisme: esquisse d'un monde vivant, 1950), but "esotericism" serves more generally today to designate the type of thought that informs these "sciences." b) A current appearing in the second half of the nineteenth century with Eliphas Levi and reaching its apogee at the turn of the century (cf. infra, History of Esoteric Currents, II, 3).

この用語の考案者はエリファス レヴィ (1810-1875) であると考えられている。レヴィは、ヘンリカス・コルネリウス・アグリッパが『オカルタの哲学』(1533) で広めた意味での「オカルタの哲学」から派生させ、占星術、魔術、錬金術、カバラなどの「科学」に関連する研究と実践のグループを指す用語とした。「オカルティズム」は次の 2 つの意味で使われる:a) これらの「科学」を扱うあらゆる実践。エソテリシズムが思想の一形態であるならば、オカルティズムはむしろ、エソテリシズムからその正当性を引き出す一群の実践または行動の形態であろう。したがって、「オカルティズム」は「エソテリシズム」の同義とこともあるが(例:ロバート・アマドゥ、『L'Occultisme: esquisse d'un monde vivant』、1950)、「エソテリシズム」は今日、より一般的に、これらの「科学」に情報を与える思想のタイプを指す。 b) エリファス・レヴィによって19世紀後半に出現し、世紀の変わり目に頂点に達した流れ (下記、エソテリック潮流の歴史、II、3 を参照)。

[ Antoine Faivre :"Access to Western Esotericism", SUNY Press, Dec 5, 1994, pp.33-35 ]

そして、19世紀末から20世紀初頭、科学万能の時代において、エソテリシズムはオカルティズムの思想として生残り、神智学とも重なり合っていった。アントワーヌ・フェーヴルによれば:
  • 隠秘哲学はオカルティズム思想の一形態であり、科学の進歩と唯物論に対抗する対抗思想として登場した。
  • オカルティストたちは科学を排除せず、むしろそれを総合的なヴィジョンの一部として組み入れ、超自然現象や幻想に魅了されていた。
  • 1860年以前の隠秘学の延長ではなく、唯物論的実証主義との対決や象徴主義思潮との関連性からまとまった存在と見なされた。
  • フランスではジラール・アンコース博士や文学上のオキュルティストスタニスラス・ド・ガイタ、サール・ジョゼファン・ペラダンなどが影響力を持っていた。
  • プラハではオランダのフレデリック・ファン・エーデンやドイツのフランツ・ハルトマンが活発に活動し、イニシエーション結社が設立された。
1-880-1914年の期間には占星術が流行し、オカルティズム文献や占星術著作が増加した。
3. 科学万能の時代におけるオキュルティスムの隆盛と神智学の存続 (1860-1914)

<隠秘哲学>がそれの歴史のなかで取った様相のひとつがオキュルティスム思想である。これは勝利を得た科学万能主義に直面して、それに代わるべき選択肢とし登場しきたものであるから、むしろ対抗思想というべきであろう。一般的にいって、オキュルティストたちは科学の進歩と近代を弾効してはおらず、それらを唯物論の空虚をあらわにするための総合的なヴィジョンのなかに組み入れようとしたのである。ここに汎智学や<自然哲学>のプログラムの反響を認めることもできるだろうか、それらとは異なった新たな志向も見出すことができる。それは超自然現象や実見に対する嗜好、ピトレスクなもの、幻想的なもの、しかも自分自身のためにわざわざ培った --- 世界に対する幻減は決定的になっていたのだ --- 幻想の魅力である。このことは別として、オキュルティスムはひとつの均質で統一的な思想運動では全然なく、1860年以前のさまざまな隠秘学の延長にすぎないのだが、当時、唯物論的実証主義と対決し、象徹主義思潮と類縁性をもっていたという点で、まとまった存在と考えられたのである。

幾人かの強力な人物がかなり異質で雑多な大衆を支配した。フランスではジラール・アンコース博士(別名パピュス 1865-1915 [1916が正しい])が「オキュルティスムのパルザック」という異名 --- それほど多作だった --- を得たが、本人はただの医師であり、研究者であり、実験家であると称していた。パピュスは『隠秘学基礎論』の刊行と彼の雑誌『イニシエーション』の創刊はともに1888年であった(この年はロンドンで「心霊研究協会」が創設され[1]、その他いくつもの重要なイニシエーション結社が設立された大事な年である。後述)。パピュスはリヨンの友人L=N=A・フィリップ(通称「フィリップ師」[2] 1849-1905)を伴って、サンクト・ペテルブルクのニコライ二世のもとに何度も赴き、露帝をマルチニスム会に引き入れた・パピュスが「霊的師匠」[著者の誤り、訳注参照[3])と呼んでいるのが、サン=ティーヴ・ダルウェードル (1842-1909)である。サン=ティーヴ・ダルウェードルは1900年頃に魔術的「アルケオメーター」すなわち万物のコスポンダンスの健となる仕掛けを発明し、また音楽のエゾテリスムに関する深淵な研究を著した。以上の人物のほかに、むしろ文学上のオキュルティスムを代表するスタニスラス・ド・ガイタ (1861-97)とサール・ジョゼファン・ペラダン (1858-1918)、および哲学的もしくは科学的思索に重きをおいたアルベール・ド・ロシャ (1837-1914)[フランスの心霊研究家]、チャールズ・ヘンリー (1859-1926)、アルベール・フォシュー(別名フランソワ=シャルル・パルレ 1836-1921)の名を挙げておこう。
[1] (訳注〕「心霊研究協会」の創設は1882年が正しい。
[2] (訳注〕「フィリップ師」は霊術治療家であった。
[3] (訳注〕パピュスの「霊的師匠」は前述のフィリップ師であり、サン=ティーヴ・ダルウェードルのことは「知的師匠」と呼んでいる。

プラハではいくつものオキュルティスムのセンターが1900年頃に活発に活動していた。オランダのオキュルティスムを代表するのはフレデリック・ファン・エーデン(『催眠術と奇蹟』 1887)であり、ドイツを代表するのはカール・ドゥ・プレル[1](『秘儀研究』1894/1895)、そしてとりわけフランツ・ハルトマン (1838-1912)であった。これらの名前の大部分は現代のイニシエーション結社の歴史と重なり合っているが(後述)、とくにアングロ・サクソンの国ではそうであり、結社活動と博識が著名なオキュルティストの特徴となっている。そのなかでも少なくとも三人の名を挙げておかねばなるまい。『ヘルメス選集』(1906)の編纂を行ったG・R・S・ミード (1853-1933)[2]、ウィリアム・W・ウェストコット (1848-1925)[3]、サー・アーサー・エドワード・ウェイト (1857-1942)[4]の三人である。ロシアではこの時期、ピョートル・ウスペンスキー (1878-1947)がその著作の大部分をすでに書きおえている(『テルティウム・アルガヌム』 -- ロシア語版1911、英語版1920、『大宇宙の新しいモデル』 --- 1914年にロシア語で別個に出版された一連のエッセーを1931年に英語版でまとめたもの[5])。以上の著者にはオキュルティスム、きわめて興味深い自然哲学、タロットや夢についての考察が見出せる。これに加えて指摘しておくべきことは、1880-1914年の期間には、占星術が新たな流行を迎えていたことである。そのことをよく証明しているのが、オキュルティスム文献における占星術の地位の増大であり、数多くの占星術専門書の出版であり、ウィリアム・アラン(別名アラン・レオ 1860-1917)[6]のようなスケールの大きいエゾテリストたちによる占星術著作である。
[1] (訳注〕1839-89。哲学者でミュンヒェン大学教授、のちに心霊研究にたずさわる。
[2] (訳注〕生年は1863か。ミードは神智学協会の幹部であったが、1909年に脱会、翌年「探求社」を設立した。
[3] (訳注〕「黄金の夜明け団」の創始者のひとりである、
[4] (訳注〕「黄金の夜明け団」会員、『フリー・メーソン辞典』など多数の研究書を著し、エリファス・レヴィの著作の多くを英訳紹介した、
[5] (訳注〕『超宇宙論』(『宇宙の新しいモデル』)高橋克己訳・工作舎
[6] (訳注〕英国の占星術師で、『近代占星術』誌を創刊した。

オキュルティストと神智家の境界はしばしば曖味である。前者のうちで有力な人物(たとえばパルレ)が同時に神智家であり、後者(たとえばルドルフ・シュタイナー)もオキュルティスム思想を無視することはできず、オキュルティスムを自分なりに採り入れているからだ。自然哲学者でありソフィア学者であったヴラディーミル・ソロヴィヨフ (1853-1900)の場合は、おそらくこのケースには当てはまらないだろう(『神人論講話』1877/1881、『自然の美』 1889、『愛の意味』 1892/1894)[1]。ロシアの哲学者ソロヴィヨフがオキュルティスムから遠い存在であるとしても、自然哲学者であり多才な神智家であったオーストリアのルドルフ・シュタイナー (1861-1915)の場合は、それほど離れていない。ヴィーンでの学生時代にゲーテ流の自然科学を勉強し、ゲーテの科学的著作集の共同編纂も行なったシュタイナーは、以後もヴァイマルの天才の教えのエゾテリックな意味について思索することを止めなかった(『神智家としてのゲーテ』 1906、『ファウスト』と『メルヒエン』についてのエッセーはどちらも1918年)。彼の多産な作品のなかには、戯曲、無数の講演、エッセー、論文が含まれている(『神智学』 1904、『神秘学概論』 1910)[2]。シュタイナーの思考を特徴づけるキリスト教中心主義的進化論によれば、肝要なのは、西洋の霊的な歴史の成果を全面的に受けとめたうえで、それらの変容を目指すことである。神の新たな化身という形をとって原初の伝統が姿を現わすことを受動的に待ちわびる人びとがいるが、けっして、そんなふうに原初の伝統に身を任せることではない。ちなみに神智学協会が若いクリシュナムルティを再臨したキリストだと紹介したことが、1913年の協会とシュタイナーの分裂を決定づけたのである。進歩する人類はいつでも二つの極のあいだでバランスを取るように努めなければならない。拡張する字宙のカ(存在の膨張、高みへの憶憬、しかし同時に自己中心主義でもある)と収縮するカ(硬化、物質化)のあいだのバランスを。再受肉あるいは「カルマ」は解の手段の役割を果たしている。神智学協会の教えとの違いを際立たせるために、シュタイナーは自分のシステムを「人智学」と呼び、この名を1913年に設立した結社に付けた(<人智学協会>)。
[1] (訳注〕『神人論』(『神人論講話』) 御子柴道夫訳・東宣出版。『愛の意味・ドストエフスキー論』(『愛の意味』)御子柴道夫訳、東宣出版。
[2] (訳注〕『メルヘン論』高橋弘子訳・水声社。『神智学』高橋巌訳・イザラ書房。『神秘学概論』西川隆範訳・イザラ書房。

[アントワーヌ・フェーヴル(田中義廣 訳)『エゾテリスム思想』白水社(文庫クセジュ) 1995, pp.106-109]





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