ロシア宇宙主義についてのノート・調べものメモ

人物

ヌースフィアと同様の概念を「霊圏」として考えていたフロレンスキー


ヌースフィア(精神圏)とほぼ同様の概念を「霊圏」という名称で考えていたフロレンスキーは、そのことを1929年9月21日付けのヴェルナツキイー宛の書簡で書いていた。

ヴェルナツキイへの手紙

深く尊敬するヴェルナツキイ様。ずっと以前からわたしは、最近あなたが地球化学についてお書きになったもの、とりわけ生命圏についてお書きになったものを読んで感じた喜びについて、お話しようと思っていました。しかし直接お会いすることができませんので、こうして手紙で感謝の気持ちを述べることをお許しください。全体としてあなたの思考の方向はわたしにとって新しいものではありませんでした。宇宙に関する科学の根拠と方法についてよく考えてみようとし、わたしたちの知識の歴史的な歩みを考えようとしている人にとっては、あなたの思考の方向は新しいものではないように思います。これはあなたへの最高の賛辞です。宇宙に関する科学と書いたのは偶然ではありません。恣意的に図式を作りあげたり、体系を信仰したりすることとは違って、科学にとっての宇宙には、生命圏という限界があります。あるいは宇宙は生命圏によってほとんど限定されています。それ以外のものはすべて憶測の域を出ないか、あるいは形式的な相関係に属するもので、しかもこの相互関係の具体的な意味は曖昧なものです。あなたが勇気をもって、地球の内部についての知識は見せかけのものだ指摘されたことを、心から歓迎します。わが国の半ば文盲の知識人たちに(多くの「教授たち,もそのなかに入ります)、一般に見せかけの知識の根拠となっている敷衍的な推論がまちがっていると繰り返し言ってやることは、社会的にきわめて重要なことだと思います。わが国の知識人たちがこの種の敷衍をよくやっているという顕著な実例を、小話の形でお話することをお許しください。あるとき電気総局である報告が提出されました。報告では実験の結果得られたらしい、ある考えが展開されていました。それは、ある条件を広げる(この条件には多額の融資が必要なのですが)ことに関連して、ある工程の経済的な合理性を高めようとするものでした。この考えを証明するものとして、実験によって得られたいくつかの点に沿った曲線が書かれていました。机ほどの大きさの巨大な図は文字通りこんな形でした[1]。

この曲線は多くの科学的な「理論構成」を思い起こさせるものです。

あなたが地球の内部について書かれているのと同じようなものを、生命圏の外の空間に関しても発展させる必要があります。地球化学の基礎とその典拠となっている精神生理学と物理学についていくらかでも深く考えてみたことのある人には、天文学の実験データの解釈が恣意的であることははっきりしているはずです。ここでも間題となっているのは、生命圏での実験データから敷衍された推論が信じられないようなものだということです。そこでわたしたちはこのデータを、それが信憑性を失うだけではなく、具体的な内容をも失ってしまうような条件のもとに置いてみるのです。タルムードには賢明な言葉があります。「〈わたしは知らない〉という言葉をできるだけ何回も繰り返すよう、おまえのロに教えなさい」というものです。現代の人々がこの言葉に注意を払い、スローガンにして、実験室に「体系信仰は迷信である」Systemglaube ist Aberglaubeという言葉を掲げておくことは非常に有益だと思います。この「迷信」は、わたしたちの手の届く範囲にあるものを現実に認識し、研究しようとしない態度につながるのですから。あなたは、生物の組織についての完全な化学的分析がひとつもないと指摘されています。それに加えて次のように言うこともできます。どの分野を勉強しようと思「たとしても、最初の第一歩からわかることは、きわめて単純で、きわめて切実な不可欠の現象でさえも、なにひとっ体系的に研究されていないそこにあるのは恣意的な図式のなかに無秩序に並んだばらばらの断片だけだということです。その結果、現実に存在していること、わたしたちにとってあらゆる点で重要なことが、中途半端に認められたり、あるいはまったく認められていなかったりするのです。生命現象はわたしたちにとってもっとも近くてわかりやすく、疑問の余地のない事実なのですが、社会的な意識の歴史のなかで非常に重要なできごとは、あなたとあなたの学派がこの生命現象に特別の注意を向け、それを研究対象にし、宇宙的なカテゴリーにしたことです。特にわたしがきわめて期待がもてると思うのは、生命の循環に引き入れられている(あるいは、おそらくもっと正確には、単に参加している)物質が生命から切り離せない、という命題をあなたが述べておられることです。あなたはこの物質が特別な同位性をもっと仮定しておられます。こうした契機はありうるものですし、またおそらく存在するはずですが、経験的な探究の目標は物質の構造のもっと深いところに設定すきだと思います。現代の原子モデルは素朴で図式的なものですが、その出発点となっているのは形面上学的な機械論であって、それはその根底で生命現象を否定しているのですから。

新しい道に移り、「地球に忠実なること」、すなわち生命圏的な経験に忠実になることを宣言するとき、わたしたちは、生命という概念がカテゴリー的な性格をもっていることを主張しなければなりません。つまり、生命という事実は根源的なものであって、どんな場合でも、素朴な機械論モデルから結論づけることのできないものであり、逆にそれが機械論のモデルを生み出すのだと主張しなければならないのです。いまわたしたちは経済的な唯物論者です。そして機械論的なモデルは古い経済形態の上部構造、とっくに乗り越えられた産業の上部構造にほかなりません。したがって、このモデルは現時点の経済に対応していないのです。それは社会的に、経済的に有害であると言うことさえできます。反動的な経済的思考へと導き、したがって産業の発達を妨げ、歪めてしまうからです。現時点において産業が電気経済であり、部分的には熱経済であって、けっして機械経済ではないとすれば、そして物理学が電気物理学なのだとすれば、産業の発展を注意深く見守っている人には充分にわかっていることですが、将来的には、おそらくは近い将来には、産業は生命産業となり、蒸気機関関係の技術にとって代わった電気工学に続いて生物工学が現われ、それに対応する形で化学と物理学が再編成されて、生化学と生物物理学となるはずです。わたしは確信しているのですが、あなたの生命圏というスローガンは、質料そのものの内奥になんらかの生形態と生関係を経験的に探し求める方向に向かうことでしよう。この意味では、この問題を扱うときに現在存在しているモデルから出発しようとするなら、すなわち質料に関する理論に関して積極的ではなく、受動的にこの間題を扱おうとするなら、そのような態度は知識の発展を阻害し、反動的なものとなるかもしれません。たぶん、タルムードにしたがって「わたしは知らない」ときっばりと口にし、他の人々を探究へいざなう方がはるかに目的にかなっています。プラトン学派のクセノクラトスによれば、魂(すなわち生命)が物を区別するのは、物のひとつひとつに形式と刻印(μορφη και τυπος)を押しつけているからです。エメスの主教ネメシオスは、肉体が壊れるとき、その「質(ποιοτηος)は滅びず、変化しない」と指摘しています。ニュッサのグレゴリオスは、魂が物質に印を押しつけるという印影論を展開しています。この理論にしたがえば、人間の個人のタイプ(ειδος)は、印章とその印影と同じように、魂と体に押しつけられており、そのために体の要素がが散り散りになったとしても、その印影(σφραγις)と魂にある印章が一致することによって、それらを再び知ることができるのです。こうして霊的な力は体を作っている粒子のなかにとどまり、この粒子がどこでどんな形で散り散りになっていても、また他の物質とと混ざり合っていても、そのなかにつねにとどまるのです。したがって生命の、しかも個体の生命の過程に参加してる物質は、たとえ生命0過程の凝縮がある瞬間にきわめて小さなものであったとしても、つねにこの領域のなかにとどまっているのです。こうした見解について触れたのは、情報としてお伝えしょうとしているだけなのですが、たぶんあなたも興味もおもちだろうと思います。わたしはひとつの考えを述べたいのです。この考えにはまだ具体的な根拠がなく、それはむしろ発見法的な原理とでもいうべきものです。それは、生命圏のなかに、あるいは生命圏の上に、霊圏 pneumatosfera と名づけることのできるようなものが存在しているという考え、つまり文化の循環、より正確には精神の循環に引き込まれている特別な一部の物質が存在しているのだという考えです。この循環を生命の循環全体に還元することができないことは、はとんど疑う余地がありません。しかし、確かにまだ充分に仕上けられたデータではありませんが、精神によって綿密に仕上げられた物質的な形成物、たとえば芸術作品が安定したものであることを示唆するようなデータがたくさんあります。ですから、宇宙にはそれに対応する特別な物質領域が存在するのではないかと疑わざるをえないのです。現時点ではまだ霊圏が科学的な研究の対象だということはできません。このような問題は手紙で書くべきことではなかったのかもしれません。しかし、お会いしてお話することができないので、手紙で述べさせていただいた次第です。

一九二九年九月二一日
モスクワ、ポリシャヤ・スパスカヤ、一一号棟、一号室


[1] 双曲線y~1/xの四分円の部部を思わせる曲線が描かれ、その下の座標のはじまり近くには六つの点があつまっている。

[セミョーノヴァ, ガーチェヴァ (西中村浩 訳);"ロシアの宇宙精神", せりか書房, 1997/01]





コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

管理人/副管理人のみ編集できます