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サロフのセラフィムの奇蹟 (1759-1833)

サロフの聖セラフィム(Seraphim of Sarov, Серафим Саровский)、ロシア名スヴャトイ・セラフィム・サロフスキー (Svyatoy Serafim Sarovsky)、生まれた時の名前はプロコール・モシュニン(Prókhor Isídorovich Moshnín)(1759年7月19日ロシアのクルスク生まれ、1833年1月2日タンボフのサロフ修道院で死去、1903年列聖、祝日1月2日)、ロシアの修道士、キリスト教神秘主義者であり、その禁欲的な実践と良心の助言により、長老(starets, ロシア語の「精神的な教師」)という称号を得た。彼はロシア正教の歴史の中で最も有名な修道士の一人である。

[ Saint Seraphim of Sarov (britannica) ]

1759年 クルスクに商人の子として生まれる。
1778年 サロフ修道院に入る。
1786年 修道士剪髪式を行い修道士となり、セラフィムの修道名を与えられる。修道輔祭に叙聖される。
1793年 修道司祭に叙聖される。
1793年頃 隠遁修道に入る。森林の庵に生活し、沈黙と孤絶の生活を送る。
1825年頃 庵を開いて人々に教え始める。
1831年 モトフィロフの病を癒し、対話を行う。
1833年 生神女マリヤのイコンの前で永眠しているところを発見される。
1903年 列聖される。

セラフィムの奇蹟

奇蹟として挙げられる例は:
  • 7歳のときに、教会の鐘楼から落ちたが、怪我一つなかった。(ロシア・ビヨンド)
  • やはり幼い頃に重い病を患ったが、夢に生神女マリア(聖母)が現れて治癒を約した。まもなく、十字行があり、生神女マリアのイコンが掲げられていたのを見た母は、息子を連れ出し、イコンに接吻させると、病が癒えた。(ロシア・ビヨンド)
  • 21歳の時に再び大病にかかり、三年間、あおむけに寝たまますごした。医薬の助けを借りず、精神治療を行なった。前と同様に聖母がペトロとヨハネとともに現われて、彼の体にふれたので、たちまち全快してしまった。(池田敏雄(1868))
  • 熊、狼、狐、兎などを手なづけてよく餌をやった(池田敏雄(1868))。
  • 二人の盗賊にお そわれて半殺しのめにあい、体が曲がってしまった。その時にも、聖母はペトロとヨハネとを伴ってお現われになり、「セラフィムはわたし共の家族の一員ですよ」と 仰せられた。(池田敏雄(1868))
  • マトスロフという人の不治の病気をなおした。(池田敏雄(1868))
  • 少年コルサコフが、殆んど失明しかけた時にも、息をふきかけ、十字を切って、これをなおした。(池田敏雄(1868))
  • 心深い地主、ニコラス・モトヴィロフのリューマチとはれ物をなおした。(池田敏雄(1868))






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