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チャアダーエフ「狂人の弁明」(1836-1837)

チャアダーエフ「狂人の弁明」(1836-1837) (外川継男 訳)

「愛はすべてを忍び,すべてを信じ,すべてを耐える」と使徒パウロは申しています。しからば,すべてを忍び,すべてを信じ、すべてを耐え,慈悲ぷかくあろうではありませんか。しかしまず最初に,以下のことは申しておかねばなりません。それは,つい先頃,私の哲学的存在を打砕き,全生涯の仕事を吹き飛ばしたあの破局が,私の論文の出版に際して湧きあがった囂々たる非難の不可避的な結果であったということです。しかし同時にまた、あの論文の辛辣な文章は,世人のかまびすしい抗議以外の何ものかを受けるに価するものであったということも,申しておかねばなりません。所詮,政府は,そのなすべき義務を果たしたにすぎません。いや,私に対して政府がとった処置は,まったく寛大であったとさえ,いうことができましょう。なぜなら,それは,大衆の期待以上のものでは決してなかったからです。いかに好意的な政府といえども,大衆の欲するところに従うこと以外に、いったい何ができるでしょうか? しかし大衆の非難の叫びについては,これはまったく別のことだと言わねばなりません。人が自分の国を愛する仕方はさまざまです。たとえばサモイェード人は,自分たちを近視にした故郷の雪を愛しています。このような,生涯の半ばを煤で汚れた小屋の中でちぢこまって過ごし, トナカイの古くなっていやな匂いのする脂と吐気のするような環境を愛している彼らが,あの光栄ある島国の高い文明と制度に誇りをもっているイギリス人と同じ流議で自らの国を愛するなどということは,絶対にありえないところです。またわれわれにしたところで,もし今なお生まれた土地を,サモイェード人と同じように慈しんでいるとしたら,これは少々情ないことだと言わねばなりますまい。

祖国への愛は美しいものです。しかし,それ以上の何ものかがあります。それは真理への愛です。祖国愛は英雄を生みますが,真理への愛は,賢者や人類の恩人を生み出します。祖国愛が諸国民を分裂させ,憎悪をはぐくみ,時には地上を喪服で被うのに対し,真理愛は文明を広め,精神の喜びを生み,人間を神に近付けます。人間が天国ヘ昇るのは,決して愛国心の道によってではなく,真理の道を通ってなのです。われわれロシア人の間に,真理を愛する者がほとんどいないことはたしかです。われわれには,そのような人の例が欠如しています。したがって,何が真理で何が偽りであるかについて,あまり心を煩わすことのなかった国民が,自分たちの欠点に対する多少辛諌な批判にあれほどひどく腹を立てたからといって,それを深く恨んではなりますまい。私は,自分に長いあいだ爪を隠していた親しき大衆に対して,露ほどの恨みも持っておりません。私は,いささかの苛立ちもなしに,冷静に,自分の奇妙な立場を理解しようと努力しています! 狂人たることを余儀なくされた人間は, 自らの仲間や同胞や神との関係において,いかなる立場にあるかを,自分自身に説明すべきではないでしょうか?

かつて私は、一度たりとも大衆を重視したことがありませんでした。民主的趣味などいささかも持ち合せぬ私は,大衆の喝采を浴びようと努めたり,大衆の判断を重んじたりしたことは,一度もありませんでした。いつでも私は,人類というものはその選良に従ってのみ,自らを導くように使命を託された人びとに従つてのみ,進むことができるのだと考えてきました。現代のある大作家が信じたように,一般的理性が絶対的理性だとは,決して考えませんでした。

私は大多数の人の本能は,孤立した人の本能よりも,必然的によりエゴイスチックで,偏見をもち,偏狭であり,またいわゆる民衆の良識なるものも,決して良識ではなく,真理は数字で表わすことができないと考えてきました。要するに私は,常に,人間の英知は自らの存在の中心でもあれば太陽でもあるところの孤独な精神の中で,はじめてその全貌を現わすものだと信じてきたのです。かつて一度たりとも大衆に賛同を求めず, 大衆の愛顧を受けず,かつまた彼らの気まぐれに苛立つこともなかったこの私が,それでは、どうして突如として,怒れる大衆に面と向うことになったのでしょうか? 私は自分の考えを世人に告げたいとは思っていませんでした。また繰返し申しましたように、私のこの考えは当代の人びととは何の関係もなく,もっぱら私はそれを,自分の確信の形で,われわれよりも学識のある将来の世代に伝えたいと思っていたのでした。それなのに,どうしてこの半ば世間に知られた考えが,ある日突然、その足枷を外し,僧院から抜け出て、唖然とした大衆の只中に躍り出たのでしょうか? 実のところ,私にはその理由を説明することはできませんが,以下のことは完全な確信をもっていうことができます。

三百年来ロシアは,西洋と一体化しようと渇望してきました。この国は自分が西洋より劣ることを認め,すべての思想,すべての教育,すべての喜びを西洋から引き出してきたのです。 過去百年についていえば, ロシアはそれ以上のことを為してきました。百年前に、われわれの君主の中でも最も偉大な君主が, 全世界の前に古きロシアを敢然と放棄しました。この君主こそ,われわれの光栄であり,われわれの半神であって,彼はわれわれのために一つの新しい時代を開いたのです。今日われわれの持っている偉大さも,あらゆる宰も,すべて彼のお蔭なのです。彼はその力強い息吹きでわれわれの古い全制度を一掃し,われわれの過去と現在の間に深淵を穿ち,その中にわれわれの全伝統を一緒くたに放り込みました。彼は自ら卑賎な者に身をやっして西洋へおもむき,わが国で最も偉大な人物となって戻ってきました。西洋の前にひれ伏した彼は,われわれの師となり,立法者となったのです。彼はわが国の慣用的語法の中に西洋の語法を導入し,われわれの表記法を西洋のそれにならって変え,われわれの父祖の衣服を軽蔑して,西洋の衣服を身にまとわしめました。さらに彼は,新しい首都を西洋風に命名し、自らの世襲の称号を棄てて西洋風の称号を採用しました。最後に彼は,自分自身の名前すら放棄して,西洋流の名龍で署名さえしたのです。その持以来,われわれの視線は常に西洋に向けられ,われわれはもっぱらそこから来る香気を吸叡し,それを養分としてきました。以来わが国の君主たちは,常に国民の先頭に立って,たとえ国民の意志にさからっても,われわれを完成の道へと引っ張ってきたのです。彼らはまったく動こうとしなかったこの国を,たえず先に立って牽引し,西洋の風習や言語や栄華をわれわれに強制しました。われわれは西洋の本によって読むことを学び、西洋の人たちから話すことを教わりました。われわれ自身の歴史についても,それを教えてくれたのは西洋でした。われわれはあらゆるものを西洋から汲み取り,全茜洋を翻訳し,ついには自分たちが西洋に似ていれば幸福に思い,彼らが自分たちを仲間のうちに数えてくれれば光栄に感じたのです。

このピョートル大帝の創造が見事であったことは認めねばなりません。われわれに道を
示したこの天才の思想は,それ以後われわれがこの道をたどらねばならなかったほど,素晴らしいものだったのです。彼がわれわれに語った以下の言葉には,深い意味がふくまれています。「諸君は彼処に,何世代もの人びとが,多くの汗を流した労働と学芸の成果である文明を見るであろう。もし諸君が,自らの迷信から脱し,偏見を棄て、野蛮な過去への執着を断ち切り,無知のうちに過した何世紀かを誇ることなく、諸国民の事業と全世界の人間精神の獲得せる富とを,自らのものにせんと渇望するならば,すべてそれらは諸君のものになるのである」。この偉大な人物が働いたのは,決して自分の国民のためばかりではありませんでした。神の摂理によって選ばれた人間は,いつも全世界のために遣わされた者です。あたかも大河が広大な国土を潤し,やがて大洋に注ぎ込むように,このような人物はまず一国民の求めによって現われ,ついで全人類のなかに呑み込まれるのです。玉座と祖国をあとにして文明国民の最後列に身を隠した時に,彼が全世界に示したユニークな光景は,祖国という狭い枠から脱して,人類という広い領域に身を置くことを望んだ天才の,新しい努力以外の何ものでもなかったのです。われわれが学ばなければならなかったのは,まさにこのような教訓だったのです。実際に,われわれはこの教えを役立てて,今日まで,この偉大な皇帝が敷いてくれた道を歩んで来ました。われわれの大いなる発達も,この偉大な思想の果実にほかなりません。ピョートル大帝によって作られたロシア国民ほど,自惚れることの少ない国民はありませんでした。この非凡な人物のすぐれた芙知は,何がわれわれの出発点たるべきかを完全に洞察していました。彼は,われわれには歴史的条件が完全に欠如していたこと,したがってこのような空虚な基礎の上にわれわれの未来を建設することはできない,ということを見抜いていました。さらに彼は,古きヨーロッパ文明に直面したわれわれが,自らの歴史の中で窒怠してしまうか,それとも民族的偏見の苦界に落込んで,偏狭な地方的見解を持ちつづけて,西洋の諸国民と同じように,遅々として歩むほかはないだろうということを 理解していました。したがって伎は,われわれに必要なのは,自発的跳躍によって,自分たちに子定されていた運命をかなぐり捨てることだということを,予見していたのです。そこで彼は,歴史的社会の足枷となってその進行を妨げているあらゆる先例をわれわれから取除き,われわれの知性を人間の中のすべての壁大で美しい思想に向って関かせ,幾世紀もかけて作られた全西詳をわれわれに引渡し,その歴史を歴史として,その未来を未来として われわれに与えてくれたのでした。

もし彼が,その国民の中に豊かな歴史や、生き生きとした伝統や、深く根づいた制震を見出していたならば,はたしてためらうことなく、この国民を新しい世界に投じて,その国民性をかなぐり捨てるように仕向けたでしょうか? いや反対に、この国民性そのものの中に,民族再生の手段を求めなかったでしょうか? 一方国民も,自らの過去を力づくで奪われ,いわばヨーロッパの過去を押付けられることに対して,苦痛を感じたりしたでしょうか? しかし事実は そうではなかったのです。ピョートル大帝がこの国民の中に見出したのは,白紙でしかなく,彼はその上に,ヨーロッパと西洋を書き込んだのです。そして,その時以来,われわれはヨーロッパと西洋に属するようになったのです。しかし思い違いをしてはなりません。被がどれほど天才だったとしても,その事業を達成することができたのは,過去の歴史が国民に進むべき道を不可避的なものとして命ずるというようなことがない国だったからこそ,はじめて可能だったのです。この国民にあっては,伝統が未来を創り出す力もなければ,一人の大胆な立法者が,民族の思い出を消し去ることも容易にできたのでした。われわれがあれほど従!震に,言分たちを新しい生活に引入れた君主の声に従ったのは,われわれの過去の存在の中に,抵抗を公認するようなものが,何ひとつなかったからです。われわれの社会生活の最も自立つ特設は,自然発生的だということです。われわれの歴史の中のどの出来事をとってみても,すべて孤立した出来事か、押しつけられたことばかりです。新しい思想といっても,みな孤立した思想であり,輸入された思想なのです。今日と昨日の出来事を結びつける絆が,われわれには生来欠加しています。このような見方に対して,民族的感情から腹を立てたとしても,それが当然だということにはなりません。もしそれが本当だとしたら,真実は受け入れなければなりません。それだけのことです。たとえ人間の論理がわれわれを誤らせたとしても,神の論理はわれわれを見守り、そのめざす所へとわれわれを導いてきました。堅史的に偉大な人物がいるように,偉大な民族が存在しきす。このことは,われわれの理性では決して説明できませんが,至高なる理性は,神秘の中にそのように定められているのです。くりかえして申しますが,民族的誇りのなどは,ここではまったく関係がありません。

ある民族の歴史とは,相つぐ一連の事実だけで止決してなく,互いに結ぼれた一連の思想でもあります。事実は思想によって翻訳されねばなりません。そしてその時はじめて,人は一つの歴史を持つのです。かくして事実は知性の中にその跡を残し,心の中に刻印をきざんで,失われることがなくなるのです。この歴史は決して歴史家の創るものではなく,事物の歩みが創り出すものです。ある日歴史家が現われて,このすっかり出来上った歴史を見て,それを叙述します。しかし,たとえ歴史家が現われようと否とにかかわらず,この歴史は存在するのであって,各人はその存在の根底にこの歴史を持っているのです。しかして,われわれに欠けているのは,まさにこのような歴史なのです。われわれはかかる歴史なしにやってゆくことを学ばねばならないのであって,この事実に最初に気付いたものを非難することがあってはなりません。わが国の狂信的なスラヴ人たちが,時として,博物館や図書館のために珍らしいものを発掘することがあるかも知れません。しかし,はたして彼らが,われわれの歴史的土壌の中からわれわれの魂の空虚を埋めるに足るものを引出せるかどうかは,疑わしいところです。中世のヨーロッパをごらんなさい。そこでは,いわば絶対的必然と呼べない出来事は,何ひとつありませんでした。中世ヨーロッパの歴史は,どれほど多くの皺を人間の知性にきざみこんだことでしょう! この歴史こそ,人間精神がその上で活動する土壌を耕したのです。私は,必ずしもすべての歴史が,この驚嘆すべき時代の持つ論理的で厳しい歩みをして来たのではないということを,よく知っています。しかし,ある民族の歴史であれ,あるいは民族の集団の歴史的発展であれ,その真の性格が,中世ヨーロッパにこそ存在するということは,たしかです。そして,このような過去を持たぬ国民が,自らの今後の進歩の基盤を,自分たちの記憶以外のどこかに探し求めなければならない,ということもまた,たしかなところです。決して自分が作ったものではない周囲の状混のお藍で,また自分が選んだものではない地理的位置のお蔭で,ある国民が自ら為しているところも知らずに広大な土地に広がり,それが突如として強力な民族になったとしたら,たしかにこれは驚くべき環象にあり,人びとは沈黙のうちにこの民族を感嘆して眺めるかも知れません。しかし歴史はこのことについて何といったらよいでしょうか? この民族の歴史は,いかに漠然とした本能であれ,諸民族をそれぞれの運命へと導く不屈な本能をもって自らに実現すベく託された思想を追求し始めた時に,そしてそれをわがものとした時にこそ,はじめて始まるのです。今こそ私は,祖国のために,この大切なことを心から呼びかけるものです。そして私は,この高度に学問の発達した時代に住んでいる貴方がたが,私にどれほど聖なる祖国愛に燃えているかを見せてくれたばかりの親しき友であり,同胞である貴方がたが,この仕事に着手することを,見たいと思っています。

世界はいつの時代にも 東洋と西洋の二つに分かれていました。これは決して地理的区分ではなく,知的存在の本質そのものに由来する自然の秩序なのです。これはまた,自然の二つの力に対応するこつの原理であり,人類のすべての営みを包括する二つの思想でもあります。東洋にあっては,人間精神は自らの行動の中に閉じこもり,集中し,静思するところに,その力を見出します。しかるに西洋においては,それは外へと拡大し,あらゆる方向へ広がり,すべての障害と戦いつつ発達します。社会も当然,この基本的事実の上に形成されました。東洋にあっては,思想は自らの中に引きこもり,安らぎの中に避難し,砂漠の中に隠れ,社会的権力が地上のすべての富を所有するがままに放置してきました。西洋においては,思想は至るところに進出し 入院のあらゆる欲求を包摂し,すべての幸福を希求し,権力を法の原理の上に築いてきました。それにもかかわらず,東洋にあっても西洋にあっても,生は強く豊かであり,人間の知性が,高い望みや深い思想や崇高な創造物に欠けるということは,決してありませんでした。最初に来たのは東洋でした。それは自らの静かな膜想の中から光の波を地上に注ぎかけました。ついで西洋がその巨大な行動力をもってやって来ました。その生き生きとした言葉は,自らの仕事をしっかりと把握し,東洋が始めたことを完成しそれを自分の広い包容力の中に包み込みました。しかし東洋においては,時代の権威の前に跪いた従順な知性は その絶対的服従のために世界史の初期に衰弱し,自らに用意されていた新しい運命に気づくこともなしに,ある日、動かなくなり,沈黙してしまったのです。しかるに西洋にあっては,知性は理性と神の権威の前のほかに身を屈することなく,未知なるものの前のほかに立ち止まることもなしに,常にその目を眠りない未来に向げて, 自由に誇らしげに前進してきました。西洋では,知性は今日なお前進しています。そしてわれわれもまたピョートル大帝以来,この知性と共に進んでいると信じてきました。このことは貴方がたも御存知の通りです。

ところが,わが国には新しい学派が出現しました。彼らは,もはや西洋を欲することなく, ピョートル大帝の事業を覆えすことをはかり,再び砂漠の道をたどろうとしています。彼らは,西洋がわれわれに為してくれたことを忘れ,西洋を罵倒します。われわれを再生させた偉人や,われわれを教育してくれたヨーロッパの恩を忘れて,この偉人とヨーロッパをともに否定しています。彼らは申します。われわれはいかなる必要があって,ヨーロッバ諸国の中に文明を求めたりしたのか? 時の流れに身をまかせておけばよかったのだ。きっとわれわれは これらの誤りと虚偽に陥っていた諸国民を追い越していたことだろう。どうして西洋を羨む必要があっただろうか? 宗教戦争や異端審問や法王やイエズス会土といった,まったくもって結構な西洋を羨んだりすることは,何もなかったのだ。科学と偉大な思想の祖国は,西洋ではなくて,東洋なのだ。われわれは自分たちが至るところで接触しているこの東洋,自分たちの信念や法や美徳といった,われわれを世界で最も強力な民族に作り上げたすべてを引出してきたこの東洋にこそ,復掃すべきなのだ。いまや老いたる東洋は立ち去らんとしている。されば,その当然の相続者であるわれわれこそが,東洋がかくも長期にわたって保持してきた深く偉大な真理を,人類の幸福のために永続させなければならない。それがわれわれの仕事なのだ,と。いまや貴方がたは,先日私を襲った雷雨が どこからやって来たかおわかりでしょう。そしてそれがわれわれの間で,当然の反作用を起こしていることも,ごらんの通りです。しかし,今回の衝撃は,上.からのものではありません。反対に,今日ほど社会の上層において,わが国を再生させた偉大な人物の思い出が尊ばれている時はありません。従って,発端はあくまで,すべてこの国に由来するものです。わが国民の解放された理性の最初の行為が,われわれをどこへ導くかは,それこそ神のみぞ知るところです。しかし,もし人が自分の国を本当に愛するならば,今日までわれわれの栄光や幸福を作ってきたすべてのために,わが国の最も進歩した人たちのこの変節を悲しまずにはいられません。そしてこの奇妙な現象を理解せんと努めることは,よき市民の義務でもあります。

われわれがヨーロヅパの東に位量していることはたしかです。しかし,だからといって,決して東洋の一部ではありませんでした。たったいま見たように,東洋は天地創造の日から,人間精神に刻み込まれた思想を所有して来ました。これは時とともに知性を大きく発達させた,豊かな思想です。この思想は社会の最上層の精神的原理を確立しました。それはまた,あらゆる権力を時間の法期という侵すことのできない法則に従わせ,社会的ヒエラルキーを深く理解しました。この思想はまた,たとえ生を限られた範囲の中に拘束したとはいえ,生をあらゆる外的作用から守ったのでした。しかし,われわれにとって,すべてこれらは,まったく無縁なことでした。わが国においては,精神的原理が社会の頂上に据えられるといったことは,一度たりともありませんでした。待問の法期や伝統がわれわれを支配したこともありませんでした。われわれは社会的ヒエラルキーを持ったこともありませんでした。要するに,生が独立的であったことは,わが国では一度もなかったのです。せいぜいのところ,われわれは北方の一国にすぎず,思想からしても,気候からしても,われわれはあの薫たかきカシミールの渓谷や,聖なるガンジスの岸辺からは,遠く隔たっているのです。わが国のいくつかの県が東洋の諸帝国に隣接していることはたしかですが,しかしわが国の中心は決してそこにはなく,われわれの生活もそこにはありません。そして,もしも地軸がずれたり,新しい天変地異が起こって,南の自然を北極の氷の中に再び投ずるようなことがなければ‘,今後ともそのようになることはないでしょう。

問題は,われわれが未だかつて一度たりとも,自らの歴史を哲学的観点から考察しなかったところにあります。われわれの過去の生活の大事件が,その本質を明らかにされたこともなければ,偉大な時代がまじめに評価されたこともありませんでした。われわれの奇妙な空想は,すべてこのことから来ています。今から50年ほど前に, ドイツ学者達がわが国の年代記作家を発見しました。ついで,カラムジンが,その荘重な文体でわが国の君主たちの事績と行動とを記述しました。しかるに現在では,これらドイツ人の学問も,すぐれた作家の文体も持っていない凡庸な作家たちが,誰ひとりとして思い出も愛情も抱いていない時代と風俗を描いています。 以上がわが国史研究の箆単な総括です。このような取るに足りない仕事から,偉大な国民にその運命を予感させうるものを引き出すことは,まずもって出来ないところだということは,認めねばなりません。しかし現在問題なのは,まさにこのことであって,今日の歴史研究の全関心は,まさにかかる業績に向けられているのです。現にわれわれが生きているこの時代の真剣な思想が求めているものは,きびしい省察であり,生が多少とも明瞭にある民族に現われた瞬間を,私心なしに分析することなのです。なぜならば, ある国民の未来とその可能な発展の諸要素とは, まさしく,そこにあるからです。たとえ自らの歴史の中に,このような時代がいかに乏しかろうと,また生が必らずしも強く豊かでなかろうとも,真理を斥けたり,虚偽を糧とするようなことがあってはなりません。また,墓から墓へ重い足取りで歩いているだけなのに,生を全うしたなどと思い込んではならないのです。そして,そのような省察と分析のあとで,もし貴方がたが,この虚無を越えて,国民が本当に生きていると感じた瞬間,民族の心が鼓動し始めた瞬間に出合ったなら,もし自分の周囲に民衆の波が高まり,どよめくのを聞いたなら,その時こそは立ち止って,深く考え,研究すべきなのです。そうすれば,貴方がたの努力は無駄に終らず,自分の国が隆盛期には何を為しうるのか,また未来に何を期待しうるのかを,知ることができるでしょう。 わが国にあっては,かかる時代とは,たとえばあの空位時代の恐るべきドラマが終った時でした。この時代に国民は,自らの力でその敵を打殺り,自分たちに君臨する高貴な家柄を王位につかせました。もし人が,この時代に先立つ何世紀かの空虚さと わが担国のまったく特殊な状況とを考恵するならば,これこそ,いくら感嘆してもしきれないユニークな瞬間でした。私が,世人が言っていたように、われわれの思い出をすべて取り去れなどど主張しているのでないことは,おわかりいただけることと患います。私は,ただ自分たちの過去に,醒めた目を向けるべき時が来たといっているにすぎません。しかもその目的は,そこから廃敗した古い遺物や,時代が食らい尽した古い思想を引き出したり,あるいはわが国の諸公の良識がはるか以前に納得した昔の敵対感情をむしかえしたちするためではなく,自分たちの過去から何を引出すことができるかを,知るためなのです。私が未完の論文の中で、試みたのは,まさにこのことだったのです。また,あのように奇妙な形で,国民の誇りを刺戟したこの論文の一部は,全体の序論とも言うべきものでした。この心から湧き出た思想の,最初のほとばしりは,たしかに熱烈にすぎ,また表現には焦操が,思想の根底にはある程変の行き過ぎがありました。しかし,この小論文を支配していた思想は,決して祖国に敵対的なものではなく,烈しい言葉で表現された陰欝な悲しみであって,決してそれ以上のものではなかったのです。

どうか,私が誰よりも祖国を愛していることを,信じて下さい。私は自らの国民の光栄を強く望み,そのすぐれた資質を認めています。しかし,私を駆り立てている愛国的感情が,あの大きな叫びで私のおぼろげな存在をひっくり返 し,十字架の許に打ち上げられていた私の小舟を自分たちの苦悩の大洋へと追い返した人びとの愛国心とは,完全に同じものでないということはたしかです。私は自らの祖国を,目を閉じ,頭をたれ, 口をつぐむ,といったやり方で愛することは,決して学びませんでした。私は,人が自らの国に有益であり得るのは,それをはっきり見る場合だけだと考えています。私は,もはや盲目的愛の時代は過去のものになり、いかなる狂信も時代遅れになっていると信じています。私は, ピョートル大帝が私にそうするように教えてくれたやり方で,自分の国を愛しています。私は,不幸にも,今日わが国の多くの思慮ある人が陥っている,あの怠惰で,すべてのものを美しく見せるように作られた,幻想の上にまどろむ,ひとりよがりな愛国心は持ち合せていません。私は,もしわれわれが,抱の国民よりも遅れて来たとしたら,それは彼らの迷信や無分別や閉塞状態に陥ることなく,彼らよりも,よりよく為さんがためだと思っています。もし,われわれよりも恵まれない国民が被らねばならなかった長期にわたる多くの愚行や災難を,所詮われわれも繰返さねばならないのだとしたら,それは,われわれに割当てられた役割を,奇妙にも無視することになりましょう。われわれが,自国の置かれている立場を評価することができるならば,それはわれわれの恵まれた状況です。また,われわれが,世界をおかしている憐れむべき利害関係や,気ままな情熱から解放された高逼な思想をもって,世界を判断し,凝視することができるならば,それは素晴しい特権だと考えます。それだけではありません。私は,われわれが,社会の秩序の大部分の問題を解決し,古き社会に生まれた殆どの思想を完成させ,人類を悩ましている重大問題に発言すべく運命づけられているのだと,心から確信しています。私はこれまでにもしばしば申しましたが,われわれは世界の偉大な法廷にかかっている幾多の訴訟事件の真の陪審員だということを 繰返し述べたいと思います。

多分私は,あれらの国を誉めすぎました。しかし,それでもやはりあれらの国が,すべての文明の中で最も完璧な模範であることにかわりありません。だが今日,そこで、起こっていることを見てごらんなさい。一つの新しい思想が現われるや,社会の表面のあらゆるエゴイズムや虚栄心や党派心が,それに飛びかかり,ひき捕え,押し歪め,作り替えてしまいます。そして一瞬の後には,この思想は,これらの様々な力によって打砕かれ,ついには抽象の領域へと運ばれ,その上に人間精神の不毛な塵が積み重ねられることになるのです。しかるに,わが国には,このような一方的な利害や,既成の世論や,根深い偏見といったものは存在しません。われわれは一つ一つの新しい真理に対して,新鮮な精神をもって接します。わが国の制度や,君主の自発的に為した事業や,未だ出来てから一世紀にも足りぬ風習や,さらには今日なお些細な事に拘泥している世論の中にさえも,神の摂理が人類に与え給うたよきことに反するものは,何ひとつ存在しません。われわれの間では,最高の意志が発言すれば,それだけであらゆる意見が消え去り,すべての信念が道をゆずり,あらゆる精神が自らに示された新しい思想に向って開かれます。多分,われわれもまた,他のキリスト教国民が経験したあらゆる試みにあい,彼らと同様に,そこから新しい力やエネルギーや方法を汲み取ることができ,さらにその上で,われわれの孤立した立場が,彼らの長い教育に付随した災難からわれわれを守ることができたならば,その方がよかったかも知れません。しかし,現在問題なのはそのことではありません。問題はわが国の真の性格を,良然;の理が変えることの出来ぬものとして与え,定めた如く,しっかりと把握し,そこからあらゆる利益を引き出すことにあるのです。もはや歴史がわれわれのものでないことはたしかです。しかし知識はわれわれのものです。われわれには人間精神のすべての営みを再び始めることはできないでしょうが,しかし将来の営みに参加することはできます。 過去はもはやわれわれの力の及ぶところではありませんが,未来はわれわれのものです。

世界がその伝統に押し潰されそうになっていることは,疑いもないところです。ですから,世界が悪戦苦関しているこの狭いサークルを羨むことはやめましょう。確かに,すべての国民の心の中には,現在の生活を支配している過去の生活についての深い惑情と,現在の日々を満たしている過ぎ去った日々についての決して,志れることのできない思い出とがあります。しかし,われわれとしては,彼らがその冷酷な過去と戦うなら,そうさせておけばよいのです。われわれは一度たりとも,歴史的必然の支配の下で生きてきませんでしたし,またどれほど強力な法といえども,時代がこれらの国民の前に掘った深淵にわれわれを突き落すこともありませんでした。いまやわれわれは,自分たちが知らなかった暗い運命に身を委ねたりはせずに,自分たちがたどるべきだと知っている道を前進し,啓発された理性と思慮に富む意志の声にのみ従うことができるという,この大きな特権を享受しようではありませんか。われわれには絶対的必然などまったく存在しないということ,またわれわれは,幸いにも,他の諸民族をその未知の運命へと追いやっている急な坂に位置していないのだということを,自覚しましょう。われわれは自分たちの一歩一歩を測ることができ,自分たちの知性に触れる一つひとつの思想に判断を下すことができるのだということ,さらにまた,進歩の宗教の熱心な司祭が夢見るよりも,もっと大きな成功を望むことが許されているのだということを はっきりと認識しようではありませんか。

それでは私が祖国に示しているのは,貧弱な未来でしょうか? 私が喚起しているのは,栄光のない運舎でしょうか? しかしながら,私が実現すると信じているこの偉大な未来,疑いもなく成就するであろうと考えているこの美しい運命は,ロシア民族のこの性質,この特性の結果にすぎません。そしてそのことを,私はあの不幸な論文の中で指摘したのでした。(しかし,本当に人はこの論文がどんなものだったか知っているでしょうか? これは何年も前に,苦しい気持と深い絶望の中で書かれた,ある婦人へ宛てられた私信だったのです。そしてある慎みのないジャーナリストが,その虚栄心からそれを公刊したのでした。しかしこの論文は,印刷されたつたない翻訳よりも,原文の方がはるかにきびしいものでしたのに、何度となく多くの人に読まれた時にも、たとえ偶像のように祖国を崇拝している人に読まれた時でさえ,決して反感を買ったりはしませんでした。たしかにこの中の夢中で書かれた幾頁かの中には,西洋諸国の擾越性という古い主題が,ややもすると熱っぽく,多分誇張して述べられている,歴史研究の部門が挿入されています。以上のようなものが,その著者に,大衆の非難ときわめて奇妙な迫害とを招いたこの忌むべき論文,この煽動的な小冊子の内容だったのです。)

いずれにしましても 私はできるだけ早い機会に,このことを申したかったのです。そして今や,このように告白することができるのを嬉しく思っています。確かに,この偉大な民族に対するこの種の告発には,多少の言い過ぎがありました。なぜなら,この民族の唯一の過ちというのは,結局のところ,あらゆる文明が自然に集まる中心や,何世紀にもわたって文明の泉が溢れ出る源泉から程遠い,文明世界の果てに追いやられていたことだけだったからです。またわれわれが,かつて帝国が栄えたこともなければ,何世代もの人びとが敬愛したこともない,不毛の土地に生まれたという事実を認めなかった点でも,多少の行き過ぎがありました。この土地では,過ぎ去った時代がわれわれに語る何ものもなければ,先にあった文明の痕跡も、いかなる思い出も、消え去った世界の記念碑も,何ひとつないのですから。さらにまた,われわれの年代記のわびしさを慰めてくれる唯一のものである,この謙虚にして,時として英雄的ですらあった教会のことを考慮に入れなかったという点でも,不当なところがありました。なぜならば,われわれの父祖の勇気ある行動や美しき献身的行為の名誉は,すべてこの教会に帰せられるからです。最後として,たとえ一瞬といえども, ピョートル大帝の偉大な魂をその胎内に持った国民に絶望したという点でも,たしかに行き過ぎがありました。しかし,それにもかかわらず,わが国の大衆の気まぐれと移り気とは,まったく合点のゆかぬところだったと言わなければなりません。

ところで,この間題の論文が出版された数日前に,新しい戯曲が上演されたことが思い出されます。未だかつて,国民がこれほど烈しく打ちのめされ,これほどひどく名誉を傷つけられたこともなければ,公衆がこれほど辱しめを受けたこともありませんでした。しかしまた,これほど上演が成功を収めたこともありませんでした。

〔チャアダーエフが加筆訂正した原稿はここで終っており,以下はガガーリン販とゲルシェンゾン版〈第一巻)に収録された部分である。〉

それならば,自分の国とその歴史と民族の性格について,深く思いをこらした真面白な精神は,自分の胸を締めつけている愛国的感情をば,道化役者の口を通して語らせることができないからという理由で,沈黙の刑を言い渡されなければならないのでしょうか? いったい,何がわれわれをして喜劇の皮肉な教誤にはかくも好意的で,事柄の本質をつくきびしい言葉に対してはこれほど怒りやすくしているのでしょうか? それは,われわれには未だ本能的な愛国心しかないからです。そして,われわれのこの本能というのが,学問的な省察と文明によって啓発され,知的な仕事を通じて成熟した古い国民が持っている,あの熟慮された愛国心とは程遠いものだからです。さらにまたその理由は,われわれが未だ思想的に苦しんだことがなく,世界において果たすべく運命づけられている役割や自らに属する思想を探し求めている若い民族のやり方でしか,自分の国を愛していないからです。それはまた,われわれの知的な力が,ものごとに真剣にぶつかって鍛えられたことが未だほとんどなかったからで、す。一言で申しますなら,その原因は,今日までのところ,われわれの精神的働きがほとんど皆無に等しかったからです。われわれは驚くべき速さで, ヨーロッパが当然に感嘆したほどの一定の高さの文明に到達しました。わわれわれの力は世界の脅威であり,わが帝国は地球の五分のーにわたって広がっています。しかしすべてこのようなことは,わが国の君主の精力的意志によるものであり,またわれわれが住んでいる国土の地理的条件に助けられているからです。

われわれが偉大な国民になったのは,君主と風土によって鍛えられ,鋳型に入れられ,作られた上で,服従することに慣れてきた結果にほかなりません。わが国の年代記の最初から最後までざっと目を通してみて下さい。どのページにも 権力の力強い働きや風土のたえざる影響は見られますが,民衆の働きはほとんどまったく見られません。しかし,それにもかかわらず,ロシア国民が自らの権力を君主の手に委ね,自らの国の自然に譲渡しながらも,高い英知を証拠立てていることも,たしかだと言わねばなりません。彼らはこのようにして運命の至高の法則を認識してきました。この事実は 自らの存在を無理に曲げたり,自らの可能な進歩の原理を抑圧することなしには是認し得ない,異なった秩序の二つの要素の奇妙な結果というべきです。そして,現にわれわれが置かれている立場からわが国の歴史を一瞥することによって,この法剥の全貌が明らかになるならば,それは望ましいところだと私は考えています。

II

われわれの歩みを何世紀にもわたって支配している一つの事実があります。この事実は,いわばわれわれの全哲学を包含し,われわれの社会生活の全時代に現われ,社会の性格を決定してきました。これはまた,われわれの政治的偉大さの基本的要素であると同時に,われわれの知的無能の真の原因でもあります。その事実とは,地理的な事実であります。





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