ロシア宇宙主義についてのノート・調べものメモ

人物>ベリンスキー, デカブリスト

ベリンスキー「ゴーゴリへの手紙」(1847)


ロシア語原作: Белинский: "Письмо Н. В. Гоголю" (1847)
英訳: V. G. Belinsky: "Letter to N. V. Gogol" (1847)
日本語訳: ベリンスキー(和久利誓一訳)「ゴーゴリへの手紙」, 世界大思想全集 [第1期] 第27巻 (哲学・文芸思想篇 第27巻), 河出書房, 1954


ベリンスキー「ゴーゴリへの手紙」(1847)(和久利誓一訳)


あなたは私の論文の中に憤激した人聞を見たとき、ただ 部分的にしか正しくない。なぜならこの形容詞は、あなたの著書を読んで私がひき入れられたあの状態を表現するためには、あまりにも弱く柔かいものであるからである。しかし、その憤激は、 あなたの才能を崇敬している人たちについてのあなたの論評が相手の自尊心にとって、実際、あまり快いものでなかったせいだ、 などとお考えになるならば、あなたは全然聞違っている。否、そこにはもっと重大な理由があった。自尊心が辱められたのであれば、それはまだ我慢することができる。そして、問題のすべてがこのことにあったのであれば、私にはそれについて沈黙を守 り通すだけの十分な知性があった筈である。しかし真理の感情、人間的尊厳の感情が辱しめられたのを我慢することはできない。宗教の庇護と笞の擁護とのもとに、 虚偽と不道徳が真理や善徳として説教されるとき、沈黙していることはできないのである。

そうだ、私は、自分の国と血縁によって結ばれた人聞がそれをもってその国の希望、名誉、栄光を、---- 自覚、発展、進歩の道におけるその国の偉大な指導者の一人を愛することができる、そのようなありったけの情熱をもってあなたを愛して来た。だから、あなたはこのような愛をうける権利を失ってしまったとき、たとえ一瞬の間だけでも、 平静な精神状態から逸脱するに十分な理由を持っていたわけである。これを私が言うのは、 私が自分の愛を偉大な才能への褒賞だなどと考えているからではなく、この点において私は一個の人間をではなく、あなたも私もその大多数を見たことのない、そして彼らの方でもまだかつてあなたを見たことのない多数の人聞を代表しているからなのである。私はあなたの本がすべての高潔な人々の胸によび起したあの憤りの念をも、ま沈あなたのすべての敵たち ---- チチコフ、ノズドリョフ、市長などのたぐいの文学外の敵も、あなたがよくその名を知っている文学上の敵もが、あ なたの本の出たときに発した狂熱的な喜びのあの号泣をも、少しでもあなたに解らせることはできない。あなたが自分で見られる通り、あなたの本からは、明らかにあの本の精神と同じ精神の人々でさえも離れ去ってしまった。仮りにあの本が衷心からの深い信念の結果書かれたものであるとしても、それでもやはりあれは公衆に同じ印象を与え たに違いない。また、もしすべての人が(賞讃されても喜んだりしないよう、その人たちをよく見、かつ知っていなければならない少数の人々はべつである)あなたの本を天上的な方法によって純地上的な目的を達するための狡猾な、しかしあまりにも露骨な策略であると見倣したとすれば、その責はただあなただけにある。しかもこれは少しも驚くには当らないことであり、あなたがこれを驚くぺきことと考えることこそ驚くべきことである。私が思うに、これは、あなたがロシヤを深く知っているのは、だだ芸術家としてだけであって、思想家としてではないからであり、あなたはその思想家としての役割をあなたの荒唐無稽な本の中で自身で引き受けたから、あのように失敗したのである。しかもそれはあなたが思考力のある人間でないなどとでもいうようなことによるのではなくて、あなたがもう幾年もの長い聞ロシヤをあなたの美しき遠国から眺めることに慣れてしまっているからなのである。また実際解りきったことであるが、遠方から物事を、われわれがそれを見たいと思う通りのものとして見るくらいやさしいことはない。それは、あなたがこの美しい遠国で物事に完全に無縁な人として、気楽に、自分自身の内部にとじこもって、 あるいは、あなたと同じ気分を抱きあなたからの影響にたいして抵抗する力を持たない小さなグループの単調さの中に、生きているからである。それゆえにあなたは、ロシヤ が目己の救いを神秘主義の中にでなく、禁欲主義の中にでなく、虚信主義の中にでなく、文明、啓蒙、人道主義の成功の中に見つつあることに気づかなかった。ロシヤに必要なのは説教でもなく(ロシヤは十分にそれを聞いた!)、祈藤でもなく(ロシヤは十分にそれを唱えた!)、幾澄紀もの長い聞泥と塵の中に失われている人間的尊厳の感情を民衆の心によび醒ますこと、教会の教義にではなく、良識と正義とに合致した法および法規、そして、できるだけ厳正なその実施である。ところがこれの代りにロシヤは、アメリカの農場主たちが「黒人は人にあらず」と断定することによって狡猾にも利用しているようなあの論拠も無しに人間が人間を売買する国、人間が自分で自分を名前ででなく、ワーニカ、ワーシカ、スチョーシカ、パラーシカなどという呼び名で呼んでいる国、最後に、個人、名誉および所有権のための何らの保障も無いばかりでなく、警察制度すらも無く、あるのはただ、さまざまな職務上の泥棒や強盗どもの巨大な団体だけである国の恐ろしい様相を呈している。現在ロシヤにおける最も切実な、当面の国家的な問題は農奴制の撤廃、体罰の廃止、せめて今すでにある法律のできるだけ厳正な実施である。このことは政府自身ですらも感じている(政府は地主たちが自分の農民にたいして何をしているか、また農民が毎年どれだけの地主を斬り殺すかをよく知っている)。このことは白色ネグロに有利なようにおこなわれた政府の臆病な、効果のない中途半端な措置によって、また末端が一本になっている笞を末端の三本に割れた編鞭に代えるという笑止な措置によって証明される。

右に述べたのが今ロシヤがその虚脱せる眠の中で不安のうちに当面している諸問題である。しかも正にこの時にお いて、自分の驚くべく芸術的な、深く真実な作品によって ロシヤの自覚をかくも力づよく促し、まるで鏡で見るように自分自身を眺める可能性をロシヤに与えたところの偉大な作家が本を出して、その中でキりストと教会の名において、野蛮人ー地主に農民からもっと多くの金を取れと教え、もっと農民を悪罵せよと教えている…… このことさえも私を憤激に駆り立ててはいけなかったのであろうか?…… もしあなたが私の生命を奪おうという企らみを暴露したとしても、その時でも私はこの恥ずべき著書のゆえにあなたを憎むほどにはあなたを憎まないであろう…… このことの後ですら尚あなたは自分の本の方向の誠実さを信じてもらいたいと欲している!否、もしあなたが悪魔の教えではなくて、本当にキリストの真理によっ て満たされていたならば、あなたの新しい本の中に、あなたは全然べつなことを書いた筈である。あなたは地主に向って言ったであろう ---- かれの農民はキリストの前ではかれの兄弟であり、弟は自分の兄の奴隷ではありえないとすれば、地主は彼らに自由を与えるか、あるいはせめて、自分が彼らにたいして間違った立場にあることを自分の良心の奥底において認め、せめて彼らにとってできるだけ有利なように、彼らの労働を利用しなければならない、と。

それなのに、「やい、貴様、洗われざる面め!」という表現はなにごとであるか。百姓たちの利益と教化とに役立つ偉大な発見としてこの表現を世界に伝えるため、あなたは 一体これをどんなノズドリョフ、どんなソパケーヴィチのところで盗み聞きしてきたのか? 百姓たちは、そうなくてさえ、自分の主人たちの言うことを信じ、自分で自分を人間とは考えないが故に顔も洗わないではないか。また 「正しき者も罪ある者も共に笞うつべし」という馬鹿げた諺の中にあなたがその理想を見出したロシヤの民族的裁判 および刑罰に関するあなたの考え。そうだ、それはわが国 ではしばしば全くその通りに行われている。もっとも、罪を贖う金が無ければ正しい者だけが笞うたれることの方が最もしばしばであり、そこでべつの諺は言う、罪なくして、罪あり! と。しかもこのような本が苦しい内面的過程、 高い精神的悟達の結果でありえたとは! あるいはあなたは病気であるか ---- そうならあなたは治療を急がなければならない、それともまた…… 私にはとても自分の考えをしまいまで言い切る勇気がない……

笞の説教者、蒙味の使徒、非開化主義と迷蒙の擁護者、タダール的習俗の讃美者 ---- あなたは何をするのか! 自分の足もとを見よ ---- あなたは深淵の縁に立っているではないか…… あなたがこのような教えの拠りどころを正教会に求めること、それは私にはまだ解る。なぜなら正教会はつねに笞の支持者であり、暴政の追従者であったから。しかしキリストをなぜあなたはここへ巻添えにしたのか? あなたはキリストと、ろくでもない教会、ましてや正教会などとの間にどんな共通点を見出したのか? キリストははじめて人々に自由と平等と博愛の教えを伝え、自分の教えの正しさを受難によって確証し、鞏固なものにした。そしてその教えは、それがまだ教会として組織されず、正教の原理をその基礎として採り入れなかった間だけは、人々の救いであった。ところが教会なるものは位階制であり、したがって不平等の擁護者、権力への阿諛者、人聞同士の間の博愛の敵であり圧迫者であった ---- そして現在までも尚引きつづきそうなのである。しかしキリストの言葉の意味は前世紀の哲学運動によって明らかにされている。だからこそ、哄笑の武器によってヨーロッパに狂信と迷蒙の焚火を消したどこかのヴォルテールなどの方が、もちろん、あなたのすべての司祭、主教、府主教、総主教よりもより多く、骨を分け肉を分けたキリストの子であるのだ! 果してあなたはこんなことを知らないのか? こんなことは今ではどんな中学生にとっても耳新しいことではない…… ところが、このことのゆえに、あなたは、『検察官』および 『死せる魂』の作者であるあなたは、醜悪なロシヤの僧侶をカトリックの僧侶よりも測り知れぬほど高いものと考え てこれに誠心をこめて、心から頌歌を捧げたのか? いま仮りに、カトリック僧侶はかつて何ものかであったが、これに反してロシヤの僧侶は世俗的権力の下僕および奴隷以外の何ものでもなかったことを、あなたがご存じないと仮定しよう。しかし、わが国の僧侶がロシヤ社会およびロシヤ民衆から全般的な軽蔑をうけていることを木当にあなたはご存じないのか? 誰についてロシヤ民衆は卑狽な民話を話すか? 僧侶、梵妻、僧侶の娘、僧侶の下男についてである。誰のことをロシヤの民衆は「馬鹿者の種族」、「孕んだ牡馬」と言うか? 僧侶のことだ…… ロシヤでは僧侶はすべてのロシヤ人にとって、大食、吝嗇、阿諛、無恥の代表者ではないのか? しかもあなたはこれをまるで知らないかのようではないか? 不思議なことである! あなたの考えによれぱ、ロシヤの国民は世界でーばん宗教的である。嘘だ! 宗教心の基礎は敬神であり、敬虔であり、神への畏怖である。ところがロシヤ人はどこか痒いところを掻きながら神の名を口にする…… ロシヤ人は聖像のことをこう言っている ---- 用があったら祈ればよい、用がなければ鍋の蓋にしろ、と。

いま少し注意ぶかく見てみられよ、そうすればあなたはこれが生来きわめて不信心な国民であることを見るであろう。かれにはまだ多くの迷信があるが、しかし宗教心は微塵もない。迷信は文明の進歩とともに消滅して行く。しかし宗教心はしばしばこれと併存する。生きた実例はフランスである。そこには今でも、教育あり教養ある人々の間に心からのカトリック信者がたくさんおり、またそこでは、 多くの者がキリスト教から離れ去ってもまだやはり執拗に一種の神を守っている。ロシヤの国民はそうではない。神秘主義的な熱狂はかれの性格に合わない。これがためにはロシヤ国民はあまりにも多くの良識、知性における明確性と積極性を持っているのであり、そして正にこの点にこそ、おそらく、未来におけるかれの歴史的運命の巨大さがあるであろう。ロシヤ国民にあっては、宗教心は僧侶にすらも植えつけられなかった。なぜなら、このような冷い禁欲的思弁の傾向を持った幾人かの少数な例外的人物は何ものをも証明しはしないからである。わが国の僧侶の多くは逆に、いつでも、肥えふとった腹、スコラチックなベダンチズム、そして粗野な無教養だけをその特徴としていた。宗教的偏執と狂信とのゆえにかれを非難するのはよくない。むしろ信仰の上における模範的な無関心のゆえにかれを賞讃してよろしい。宗教心が発揮されたのはわが国ではただ分離派の諸宗派だけであり、しかもそれらはその精神において国民大衆にきわめて対立的であり、国民大衆に比 べて数的にきわめて些々たるものである。

ロシヤ国民とその君主との愛の結合にたいするあなたの頌歌について長々しく述べることはすまい。私は率直に言おう ---- この頌歌は誰からも共感を受けず、他の点ではその傾向においてあなたに非常に近い人々の眼にさえ、あなたの価値を失墜させてしまった。私自身について言うならば、私は専制政治の素晴らしい美の観察に耽けることをあなたの良心に委せよう(それは気持がいいし、それに、有利でもある)。ただそれをあなたの美しき遠国から用心深く観察し続けられよ。近くからではそれはさほど美しくもないし、さほど安全でもないのだから…… ただーつのことだけを注意しておこう。ヨーロッパ人、特にカトリック 教徒が宗教的精神にとりつかれると、かれは、地上の強者の不法を暴露したユダヤの預言者のように、不正な権力の摘発者となる。ところがわが国では逆である。religiosa mania(宗教狂)という名称で精神病医たちの間に知られ ている病気が人間に(正常な人間にさえ)とりつくと、かれは忽ち、天上の神よりも地上の神により多く香を焚く。しかもそれを実に極端にやるので、地上の神はその奴隷的熱誠を愛でてかれを褒賞してやりたいと思うほどである。しかしそんなことをすれば社会の眼の前に自分の恥をさらすことになるのはちゃんと承知しているのである…… われわれの兄弟、ロシヤ人はなかなか狡猾である!……

それからまだ私は、あなたが自分の本の中で、偉大にして争う余地のない真理として、普通の民衆にとってはまるで読み書きが有益でないばかりか、全く有害であるかのように断言しているのを思い出した。これにたいしてあなたは何を言うべきか? もしあなたがこのビザンチン的思想を紙には移したものの、自分が何を言っているのか知らなかったのであれば、あなたのビザンチンの神をしてあなたをこの思想のゆえに許さしめよ。しかしあなたは言うかも知れない ---- 「私が昏迷し、私の思想がすべて虚偽であると仮定しよう。しかし一体何ゆえに、迷う権利を私から奪おうとし、私の迷いの誠実さを信じようとしないのか?」と。私はあなたに答える ---- そのわけは、このような傾向はロシヤではもうずっと以前から珍らしいことではないからである。つい最近でさえこの傾向はプラチョークおよびその一派によって完全にうけつがれている。もちろんあな たの本の中には彼らの文章におけるよりはより多くの知性と、そして才能すらもある(もっとも、あなたの本の中ではそのいずれもあまり豊かではないが)。しかしその代りに彼らは、彼らとあなたとに共通な教説をより大きなエネルギーをもって、より大きな一貫性をもって発展させ、大胆にその最後の結果にまで到達し、一切をビザンチンの神に捧げ、サタンには何ものをも残さなかったのであるが、これに反してあなたは、そのどちらへも一本ずつ蝋燭を供えようと思って矛盾におちいり、たとえば、あなたの見地からすれば、もしもあなたが首尾一貫的であろうという良心を持ちさえしたら、いささかも魂の救済には役立ちえず、むしろその破滅に大いに役立ち得る筈のプーシキンや文学や演劇を擁護したのである…… 誰が一体ゴーゴリとブラチョークが同じだなどと考え得たであろうか? あなたはロシヤの公衆の評価においてあまりにも高い位置を占めてしまっているので、公衆はあなたが衷心からこのような信念を抱いているとは信ずることができないのである。愚か者にあっては当然と思われることも、天才的な人間においてはそうは思われ得ない。或る者は、あなたの本が本当の気違いに近い精神錯乱の所産であると考えようとした。し かし彼らは間もなくこのような結論を放棄してしまった。 ---- 明らかにこの本は一日でなく、一週間でなく、ーカ月でなく、おそらく一年、二年、あるいは三年かかって書かれたものであるからだ。本の中には一貫した脈絡がある。さりげない叙述をつらぬいて深い思索の跡がうかがわれ、最高権力への頌歌は地上における敬虔な著者の立場を有利なものにする。だからこそ、ペテルブルグでは、あなたが皇太孫の師博の職にありつこうという目的でこの本を書いたかのような噂が立ったのである。もっと以前にもペテルブルグではウヴァーロフに宛てたあなたの手紙が有名になった。その中であなたはロシヤに関するあなたの著作が曲解されていることを嘆き、次に、自分の従来の諸作品に対する不満の意を表明し、皇帝が自分の作品に満足してくれる時に自分も自分の作品に満足するであろうと述べている。今こそ自分で判断せられよ、あなたの本が公衆の眼に、作家として、またさらにそれ以上に、人聞として、あなたの価値を低めたことに驚くことがあろうか?

私のみるところでは、あなたはロシヤの公衆を十分によくは理解していない。ロシヤ公衆の性格はロシヤ社会の状態によって決定されるのであるが、その社会では新鮮な力が沸き立ちほとばしり出ようとしながら、重たい圧迫に圧しつぶされ、出口を見出しえず、ただ沈欝、憂愁、冷淡だ けを生み出している。ただひとり文学の中にのみタタール的な検閲にもかかわらず、まだ生活と前進とがある。だからこそわが国では作家という名はかくも尊敬されているのであり、だからこそわが国では小さな才能を持っていてすらも文学上の成功はかくも容易なのである。詩人という 称号、文学者という名称はわが国ではもう以前から既に肩章や目もあやな制服の金銀モールの光を奪ってしまった。だからこそわが国では、いわゆる自由主義的傾向はどんなものであろうと、貧しい才能のものですら、特に一般的関 心が払われるのであり、またそのゆえにこそ、衷心からにせよ、あるいは衷心からでないにせよ、正教と専制政治と国民性への奉仕に身を捧げる偉大な才能者の名声はきわめて急速に落ちて行くのである。その顕著な実例はプーシキンである。かれはただ二、三篇の忠良な詩を書き、年少侍従の制服を着ただけで、忽ち民衆の愛を失ってしまった! だから、あなたの本が不評判になったのはその悪い方向のゆえではなくて、あなたが万人に向って語りでもしたかのような真理の鋭さのゆえだと本気で考えているなら、あなたは大間違いをしているのだ。文士連中についてならあなたはこんな考え方もできたと仮定しよう。しかし公衆はどうしてこのカテゴリーに入り得たのか?『検察官』や『死せる魂』において果してあなたはより鋭くなく、より小さな真実と才能とを以て、より苦くない真理を公衆に語った であろうか?実際、古い派の人々はあなたに向って狂気なまでに腹を立てたが、しかし『検察官』や『死せる魂』 はそれがために評判を落しはしなかった。ところがあなたのこんどの本は不面目にも地の下へもぐり込んでしまったのである。しかも公衆はこの場合正しい。公衆はロシヤの作家たちの中に自分たちの唯一の指導者、ロシヤの専制と正教と国民性とからの擁護者にして救済者を見ているのであり、それゆえに、作家に拙い本はつねに許してやる用意があるが、有害な本は決して許さないのである。このことはわれわれの社会に、まだ萌芽としてではあるが、どれほどの新鮮な、健康な感覚があるかを示すものであり、そして、これこそ、われわれの社会に未来性があることを示すものである。もしあなたがロシヤを愛するならば、あなたの本の駄目になったことを私とともに喜ばれよ!

私は多少の自己満足の気持なしにではなくあなたに言おう ---- 私は少しくロシヤの公衆を知っているような気がする。あなたの本が私を心配させたのは、それが政府にたいし、検閲当局にたいして悪い影響を与える可能性があるからであって、公衆にたいする影響の可能性のためではなかった。政府があなたの本を何千部も印刷してそれを最も安い値段で売ろうと欲しているという噂が。ヘテルブルグにひろまった時、私の友人たちは意気錆沈した。しかし私はその時彼らに言った、---- どんなことがあろうともこの本は成功しないであろう、そしてこの本のことはすぐに忘れられるであろう、と。果せるかな、今ではその本は本それ自体によってよりも、それに関するすべての論文によってより多く記憶されている。そうだ、ロシヤ人にあっては真理の本能は、まだ十分に発達していないとはいえ、根ぶかいのである。

あなたの呼掛けはあるいは衷心からのものであったかも知れない。しかし、それを公衆に知らせようという思いつきは最も不幸なものであった。ナイーヴな敬神の時代はわれわれの社会にとってもまた、もうとっくの昔に過ぎ去った。祈るのはどこででも同じだということ、イュルサレムにキリストを探し求めるのは、いまだかつて自分の胸にキリストを持ったことがないか、それともキリストを失って しまった人々だけであることを、われわれの社会はすでに理解している。他人の苦しみを見て苦しむことのできる人、他人の迫害されている光景が自分にとって苦しい人 ---- その人は自分の胸にキリストを持っているのであり、 その人にとっては、徒歩でイェルサレムへ行<必要は亳もないのである。あなたが説教する謙虚は、第一に、新しい ものではなく、第二に、一面からは恐ろしい傲慢の匂、他面からは自己の人間的尊厳の最も恥ずべき卑下の匂がする。

誰虚によって何か抽象的な完全物になろう、誰いりも高いものになろうという考えは、傲慢かあるいは愚蒙の結果であり、そのどちらの場合でも不可避的に偽善と虚飾と虚偽に陥る。しかもあなたはあの本の中で、他人について冷笑的な汚い表現を敢てしているばかりでなく(これはたんに無作法にすぎないであろう)、自分自身についてもそうしている ---- これはもういやらしい。なぜなら、自分の親しい者の頬を打つ人が怒りの念を起させるとすれば、自分で自分の頬を打つ者は軽蔑の心を起させるからである。否、あなたはただ昏迷しているだけで、悟達などしていないのだ。あなたはわれわれの時代のキリスト教の精神をも形式をも理解しなかった。あなたの本からはキリスト教の教えの真実ではなくて、死と悪魔と地獄の病的な畏怖が匂っている!

それにまた、何という言語、何という語句であるか? 「今やあらゆる人は塵芥と襤褸となった」---- あなたはフシャーキーのかわりにフシャーク(これはフシャーキーの古い形)というのうが聖書式な表現であると思っているのか? 人間がすっかり虚偽に身を委ねる時、知性と才能がその人を見棄ててしまうことは、何という偉大な真理であることか。もしもあなたの本にあなたの名が表示されていなかったら、またあの本からあなたが作家としての自分について述べている箇所が削除されていたら、単語と語句とのこの誇張されただらしない空騒ぎが『検察官』および『死せる魂』の作者の作品であるとは誰が考えるであろうか?

私個人に関しては、私はあなたに繰返して言う ---- 私のあの論文を、あなたの批判者の一人としての私に関してなされたあなたの論評にたいする腹立たしさの表現だと見る のはあなたの誤りである。もし単にそのことだけが私を怒 らせたのであるならば、私はただそのことだけについて怒りを以て答え、他の一切のことについては平静に、公平に 意見を述べたことであろう。ところがあなたを崇敬する者たちにたいするあなたの態度がきわめてよくないものであることは本当だ。私は、私にたいするその賞讃、その狂喜を以て徒らに私を笑止なものにするに過ぎぬような愚か者を時々やっつけてやる必要性を理解する。しかしこの必要性とても苦しいものである。なぜなら、伴りの愛にたいし てすら敵意を以て答えるのは何となく人間的に具合がわるいからである。ところがあなたが考慮に置いているのは、すぐれた知性の持主ではないとしても、しかも尚愚か者ではなかった。これらの人々はあなたの作品にたいする驚嘆のあまり、それについて肝心なことを述べるよりも遥かに多くの叫び声を出したかも知れない。しかしそれでも尚、あなたにたいするかれらの熱狂はきわめて純粋で高潔な源から発するものであるから、従ってあなたは、かれら及びあなたにとって共通な敵の手にかれらを引渡し、おまけに、あなたの諸作品を曲解しようと企図するものとしてかれらを非難するようなことは、全然してはならぬはずであった。勿論あなたは自分のこの著書の中心思想への熱中のため、また不注意のためにこんなことをしたのであるが、しかしヴャーゼムスキーは、貴族社会でのこの公爵、そして文学における奴隷は、あなたの思想を発展させ、あなたの崇敬者たちにたいする(従って誰よりも先ず私にたいする)個人的な密告書を印刷した。かれがこんなことをしたのは、おそらく、あなたがこの下手くそなへぽ詩人を、私の記憶する限りでは多分かれの「地上をのろのろとさす らう生彩のない詩」のゆえに、偉大な詩人の列に引き上げてやったことにたいする感謝のためであろう。これはすべてよくない。だが、あなたが、あなたの才能の崇敬者たちについてもまた、 公正を期して自分の見解を述べることができるような時期をただ待っていた(倣慢な謙虚さを以てあなたの敵たちのために弁じたあとで)などということ、 そんなことは私は知らなかった。知り得る筈もなかったし、また実をいうと、知りたいとも思わなかったであろう。私の前にあったのはあなたの本であって、あなたの意図ではなかったからだ。私はそれを読み、百回読み返したが、それでもやはり、その中にあるもの以外の何ものをもそこに見出すことはできなかった。そしてその中にあるところのものが私の心を強く掻き乱し侮辱したのである。

もしも私が私の感情に完全な自由を与えるならば、私の手紙は忽ちにして部厚いノートとなるであろう。私は未だかつてこの題目についてあなたに手紙を書こうとは思わなかった ---- もっとも、私は苦しまでにこれを望んだし、そしてまたあなたも、ただ一つの真実を念頭に置いて率直にあなたに手紙を書く権利をすべての人に公けに与えたのではあるが、ロシヤに住んでいたら私はこれをすることはできなかった筈だ。なぜなら彼地の「シペーキン」たちが単なる個人的満足のためばかりではなく、職務上の義務に従って密告のためにも他人の手紙を開封するからである。今年の夏、初期の結核は私を国外に追い立てた。ネクラーソフがあなたの手紙を私にこのザルツブルンへと転送してくれた。ここから私は今日アンネンコフと一緒にフランクフルト・アム・マインを経てパリへ出発する。思いがけずあなたの手紙を受取ったことがあななたと見解を異にして私の心の中に横わっていた一切をあなたにいう可能性を与えた。私は中途半端ないい方をすることもできないし、狡く立ちまわることもできない。それは私の性に合わないのである。あなたについての私の結論において私が間違っていたことを、あなたをして、あるいは時をして証明せしめよ。私は誰よりも先にそれを喜ぶであろう。しかし、あなたに言ったことを後悔しはしないであろう。ここで問題となっているのは、私あるいはあなた個人のことではない。それは私よりも遥かに高いのみならず、あなたからさえも遥かに高い題目なのである。ここで問題なのは真理であり、ロシヤ社会であり、ロシヤであるのだ。

かくて私の最後の結びの言葉はこうである ---- もしもあなたが傲慢な謙虚さを以てあなたの真に偉大な諸作品を拒否するの不幸を持ったとすれば、今こそあなたは心からの謙虚さを以てあなたのこの最近の著書を拒否し、それを出版した重い罪を償うに、あなたの以前の諸作品を想わせるような新しい作品を以てせねばならぬ。

1847年7月15日 ザルツブルンにて


和久利誓一 註:

一八四七年一月、ゴーゴリのきわめて反動的な著書 『友人との往復書翰抜粋』が出た。これに対してベリンスキーは雑誌「同時代(ソヴレメンニク)」(一八四七年第一 巻第二号)に「ニコライ・ゴーゴリの《友人との往復書翰 抜粋》」という論文を発表した。(ベリンスキーの怒りは非常に激しいものであったが、この論文では検閲を考慮してできるだけ柔らかな調子で書いた。それでも原稿は編集者の手でさらに修正され、その上に検閲によって三分のーが 削除されたという)。これに対してゴーゴリは一八四七年 六月二十日付でベリンスキーに手紙を送り、「書翰抜奉」に たいするべりンスキーの酷評を非とし、「あなたは憤激し た人間の眼で私の本を見た」と書いた。これにたいする回答がすなわちここに訳出した「ゴーゴリへの手紙」である。これは長らくロシヤでは発表を許されなかったが、多くの書写によって国内に弘まっていた。一八五五年ロンドンでゲルツュンの「北極星」誌上にはじめて公表された。ロシヤではじめて公にされたのは一八七ニ年である。
[ wikipedia: Vissarion_Belinsky ]

Vissarion Grigoryevich Belinsky(ロシア語:Виссарион Григорьевич Белинский) (1811-1848)は、西欧化傾向のロシア文学批評家だった。ベリンスキーは詩人で出版者のニコライ・ネクラーソフと彼の人気雑誌ソヴレメンニクのキャリアにおいて重要な役割を果たした。彼は特に若い世代の間で最も影響力のある西欧派だった。彼は主に文芸評論家として働いていた。なぜなら、その分野は政治パンフレットほど厳しく検閲されていなかったからである。彼は、社会が個人主義よりも優先されるという点でスラブ派に同意したが、社会は個人の考えや権利の表現を許可しなければならないと主張した。彼は、奴隷主義者に強く反対し、彼は正教の役割について、逆行する勢力と見なした。彼は理性と知識を強調し、専制政治と神権政治を攻撃した。








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