ロシア宇宙主義についてのノート・調べものメモ

ロシア宇宙主義概観

ロシア宇宙主義タイムライン(Gacheva et al., 2018)


以下は[ Anastasia Gacheva, Arseny Zhilyaev, and Anton Vidokle: "Timeline of Russian Cosmism" (2018) on e-flux journal]の訳

|1772|Biela彗星(公式名称 3D/Biela)がJacques Leibax MontaigneとCharles Messierにより初めて記録された。後の1826年に、Wilhelm von Bielaが、この彗星が木星属周期彗星であることを特定。1830年代に、この彗星が地球との衝突軌道にあり、その時と場所が予測された。(予測が実現せずに終わると、その後の数十年、Biela彗星による地球の災厄が予測された)
1792著作家Alexander Nikolaevich Radishchevはエカテリーナ2世大帝の時代にシベリアに追放されているときに、"On Man, His Mortality and Immortality"の執筆に着手。
人間が複雑な生物であれ、一様な生物であれ、人間は肉体の滅びとともに知性が滅ぶと定められてはいない。人間の目標は幸福と自らの完璧である。自然がたどった道を歩み、日々を生き抜いたとき、知性の崩壊が人間の運命ではないことを信じよう。自分の現在が自分の未来を定める。繰り返すが、永遠は夢ではないと考えよう。(A. N. Radishchev)
1835ロシアの作家でジャーナリストVladimir Fedorovich Odoevsky (1803–1869)が、彗星による地球の破壊が差し迫るSF「The Year 4338」を執筆。
月と往復する手段が発見された。それは無人であり、地球にさまざまな生活必需品を供給するための供給源としてのみ機能し、それによって地球の膨大な人口によって脅かされた地球の致命的な大惨事を回避している..
地下にあるさまざまな化合物を使用することで、大気を加熱および冷却する手段が発見された。強風を避けるために換気装置が考案された…
人類への愛の感情は、人々が悲劇を見るのに耐えられないほどに高まっており、古代人がグラディエーターを見ることから得た喜びを理解できないのと同じように、道徳的な苦痛を目の当たりにして我々がどれほど喜びを感じたかに驚いている。
V. F. Odoevsky, The Year 4338
Nikolai Fedorovich Fedorov (1829–1903)がCommon Task(共同事業)の哲学を執筆。
我々、すなわち合理的生物を通じて、自然が完全な自己認識と自己統治を達成し、これまでの盲目によって破壊され、破壊されつつあるものを再生し、それによって神の意志を実現し、 その創造主である神の似姿を実現する考え。
N. F. Fedorov
1851米国の古生物学者James Danaは、頭化現象(cephalization )を発見し、人間の創造に至る進化過程が、方向性を持った上昇の性質を持っていることを示した。発達は、生物の神経系を完成させ、脳の質量を増加させるという線に沿って起きる。
1874フョードロフが25年にわたって勤める、ルミャンツェフ博物館(Rumyantsev Museum Library)に職を得る。
アーカイブを墓所と比較するなら、読書、より詳細には探求は、埋葬した遺体の掘り出し、すなわち復活への道筋となる。
N. F. Fedorov

このライブラリ勤務でフョードロフは16歳のツオルコフスキーと知り合う。
私はフョードロフを並外れた人物だとみなし、彼と出会いは幸運だったと思う。彼は私にとって、関係を持つことのない大学教授の代わりとなった。
K. E. Tsiolkovsky
1878F. M. Dostoyevsky(ドストエフスキー)がフョードロフの考えをしった。
キミが伝えたこの思想家は誰か?できれば、彼の本名を教えてほしい。彼にはあまりにも興味をそそられた。…私は本質的にこれらの考えに完全に同意する。私はその思想を自分のものであるかのように読んだ。
Letter from F. M. Dostoyevsky to Fedorov’s pupil P. P. Peterson, March 24, 1878

ドストエフスキーへの返事で、フョードロフは自身の哲学の成果であるCommon Task(共同事業)の包括的説明を構築し始めた。
地球の運命の問題は、人間の活動が地球の限界に縛られてはならないという確信に我々を導く。我々は自身に問わなければならない:地球を待ち受けている運命、その避けられない終焉を知ったとき、我々には何かをする義務があるのだろうか? … 神は人間自身の経験を通して人間を教育する。神は、人間のみならず、人間を通じて、すべての王である。自然には目的がないので、目的は人間自身によって導入されなければならず、これにはより高い目的が与えられる。創造主は我々を通して世界を再創造する。彼は滅びたすべてのものを復活させる…したがって、人類は怠惰な乗客であってはならないが、まだ未知の力で動かされる、我々の地球という船の乗組員である使用人であってはならない。
N. F. Fedorov, The Question of Brotherhood, or Kinship …

ドストエフスキーは自作「カラマーゾフの兄弟」の執筆を開始。
愛の転移。それらも忘れていない。我々が生き返り、お互いを見つけるという信念、すべてが普遍的な調和の中で… 我々の祖先の復活は我々にかかっている。
F. M. Dostoyevsky, preparatory notes for The Brothers Karamazov
ロシアのリャザンで、K.E. Tsiolkovskyは宇宙の征服と惑星間旅行について最初のメモを作成し、太陽系の地図をスケッチし、無重力条件下で人間とともに小惑星を描き、地球条件下で無重力を達成する方法を熟考した。
1880経済学者、エッセイスト、思想家であるSergei Andreevich Podolinsky (1850–1891) は、著書「The Labor of Man and its Relationship to the Distribution of Energy」を出版し、「負のエントロピーの要因としての労働の概念を提唱し、植物から人間に至るまでの生物は、太陽からエネルギーを蓄積し、それを新しいより高い形態のエネルギーに変換する能力を持っている」という概念を提唱した。
1881秋
-1882
NFフョードロフはLNトルストイ及びVSソロヴィヨフと会った。3人の思想家の間で、知的かつ哲学的会話が発展した。
ここにも人々がいる。神はそのうちの2名と知り合わせてくれた。ひとりはOrlovで、もうひとりは主たる人物であるNikolai Fedorovich Fedorovである。彼はルミャンツェフ図書館の司書だ。私はフョードロフついて語った。フョードロフは、すべての人々が肉体を持って復活するという目標として、全人類のCommon Task(共同事業)の計画をまとめた。(心配することはない。私はフョードロフの考えを共有していないし、したこともない。しかし、よく理解しているので、それ以外の目標を持つ他の心情に対して、フョードロフの考えを擁護できる。)
L. N. Tolstoy, from a letter to V. I. Alexeev (November 15-30, 1881)
1884LNトルストイは、復活に関するフョードロフの考えをモスクワ心理学会員たちに紹介した。「復活したすべての世代はどのように地球に収まるか?」という質問に対して、トルストイは「知識と統治の王国は地球に限定されない」と答えた。
1889
-1890
LNトルストイとNFフョードロフが芸術について対話した。フョードロフは死者の復活と自然の統御に要因に役立つTheo-Anthropological art(神人類学的芸術)の概念を発展させていた。彼は、過去と生者の「likenesses(類似性)」を創造する芸術(「Ptolemaic art(プトレマイオス的芸術)」)に反対し、世界を変換する現実の芸術(「Copernican art(コペルニクス的芸術)」)を対比させた。トルストイは「Science and Art」と「On Science and Art」の執筆に取り組んだ。
Aesthetics is the science of recreating all the rational beings that have ever been on this tiny Earth (this little drop that has reflected itself in the entire universe and reflected the entire universe in itself), for the animation (and governance) by them of all the immense celestial worlds that have no rational creatures.
美学は、理性的生物の存在しない広大な天界すべてに生命を与える(そして統御する)ために、この小さな地球(この小さな水滴は全宇宙の中に自らを反映し、宇宙全体を自らに反映する)に存在したすべての理性的生物の再創造の科学である。
N. F. Fedorov
バスティーユ襲撃100周年を記念して、万国博覧会がパリで開催された。フョードロフにとって、万国博覧会のイメージは、文明の間違った道の現れであり、工場と貿易に役立つ芸術の退廃の現れでもあった。哲学者は博覧会を博物館と対比させて、「救済の作品」として、復活の理想を自らの前に設定する芸術作品としての歴史にフォーカスした。
The Museum does not permit either knowledge or truth or art, i.e. beauty, to be diverted from the common good, but only memory makes the good common.
博物館は、知識、真実、芸術、つまり美が共通の利益から転用されることを許さないが、記憶だけが善を共通のものにする。
N. F. Fedorov
Vladimir Sergeevich Soloviev (ウラジーミル・セルゲイェヴィチ・ソロヴィヨフ)は、自著「自然における美」と「芸術の一般的意義」で、世界の発展を、人類を頂点とした物質の活性化の「漸進的かつ持続的過程」だと述べた。
We must define beauty as the transformation of matter through the incarnation in it of another, supermaterial principle.
我々は美を、別の超物質的な原理の具現化による物質の変容と定義しなければならない。
V. S. Soloviev
1891ロシア飢饉
米国では、砲弾を使って人工降雨を誘発する最初の実験が行われた。
N Fフョードロフは、米国の実験に注目を集めようとして、それを自然の統御への第一歩と見なしている。I.M. Ivakinを通じて、彼はトルストイに近づき、雨を人工的に誘導するという考えを支持するよう要請した。
It is the regulation, the governance of the forces of blind nature that constitute that great task which can and must become the common one.
それは、盲目の自然の力の規制、統御であり、それはCommon Task(共同事業)になり得る、またそうしなければならない大きな事業を構成する。
N. F. Fedorov

Concerning influencing the movement of the clouds in order that rain will not fall into the sea, but where it is needed, I know and have read nothing, but I think that it is not impossible, and that everything that can be done in this line will be good. It is one of the applications of the worldview of Nikolai Fedorovich, with whom I have always sympathized and still do, regarding a task that is worth the effort and the common task of all mankind.
雨が海に降らないようにし、必要なところに降るようにするために、雲の動きに影響を与えることに関して、私は知らないし、読んだこともないが、それは不可能ではなく、このラインに沿って行われるすべて良いことだと思う。これは、努力する価値のある仕事と全人類のCommon Task(共同事業)に関して、私が常に共感してきたNikolai Fedorovichの世界観の適用の1つであるす。
From a letter from L .N. Tolstoy to I. M. Ivakin
1893フョードロフは、ドストエフスキーとの対話から発展した、主要な著書たる「The Question of Brotherhood, or Kinship(兄弟愛あるいは親族関係の問い)」を完成させた。
フェドロフは、クレムリンを「すべての科学と芸術の普遍的な博物館」に変えるというより大きな野望の一環として、クレムリンの壁を壁画で覆うという考えを発表した。彼は、これらの壁画がロシアの歴史における重要な出来事を描写することを望んでいた。それは国家の統合と平和、世界の未来の行動、自然の統御と復活である。絵画はロシアのすべての芸術家によってまとめて作られることになっていた。
1894ソロヴィヨフは「The Meaning of Love(愛の意味)」を完成させた。
The meaning of gender differentiation (and sexual love) is to be found not in the reproduction of ancestral life, but in the idea of a higher organism. Our rebirth is inextricably bound up with the rebirth of the Universe, with the transformation of its forms of space and time.
性差(および性的愛)の意味は、先祖代々の生命の再生産ではなく、高等生物の概念にある。私たちの再生は、空間と時間の形態の変化を伴う宇宙の再生と密接に結びついている。
V. S. Soloviev
ツィオルコフスキーのSF作品「Dreams of the Earth and the Sky and the Effects of Universal Gravitation(地球と空の夢と万有引力の影響)」がモスクワで出版される。これには、人工衛星を地球周回軌道に打ち上げる可能性についての最初の言及がある。
A notional satellite, like the Moon, but at an optionally close distance from our planet, only outside the bounds of the atmospherethat is, about 300 versts (320 kilometers) from the Earth’s surface-provided it has very low mass, would be an example of an environment free of gravity.
空想上の衛星があり、月ようなものだが、地球から非常に近い距離にあり、大気圏境界のすぐ外、すなわち地球の表面から約300ベルスト(320km)のっ距離にあり、質量が非常に小さい場合、無重力環境の例となるだろう。
K. E. Tsiolkovsky
1898劇作家Aleksandr Vasilyevich Sukhovo-Kobylin (1817–1903) は、ヘーゲルの作品の翻訳を完成させ、彼の作品「A Philosophy of Spirit or Sociology (精神または社会学の哲学, A Doctrine of the Universe)」の一部を出版しようとしていた。
Three moments in the history of mankind and its advance toward Absolute Spirit: The first moment is telluric or earthly mankind, confined within the narrow limits of the terrestrial globe that we inhabit. The second moment is solar mankind, i.e. that which is manifested as the central hub of the inhabitants of our Solar System. The third moment is sidereal, or universal mankind, i.e. the entire totality of worlds inhabited by mankind throughout the infinity of the Universe.
人類の歴史における3つの瞬間と絶対精神への前進: 最初の瞬間は、我々が住んでいる地球の狭い範囲内に閉じ込められた、地球人類である。2番目の瞬間は、太陽人類、つまり、太陽系の住民の中心的なハブとして現れるものである。3番目の瞬間は恒星、あるいは普遍的な人類、つまり無限の宇宙に人類が住む世界全体ですある。
– A. V. Sukhovo-Kobylin
自らの数学的計算に基づいて、KE ツィオルコフスキーは最終的に、反動運動の原理に基づいて構築されたロケットが地球の重力の力を克服できるという結論に達した。
ロシアが軍縮を訴えた後、最初の平和会議の準備が始まった。
NFフョードロフの著作「Disarmament(軍縮)」が新聞「The New Times」に掲載:その中で彼は「破壊の道具」を「救済の道具」に転換し、軍を自然研究のための力に転換することを提案した。
The conversion of the art of war into research, into the study of nature, and the employment of the army in this study will be an expression of its new assignment; this will lay the foundation for the transition from strife with our own kind to acting on the blind, irrational forces of nature, which afflict us with floods, earthquakes, and other catastrophes of all kinds, to acting on the blind forces that hold us rational creatures in a state of unnatural dependence on them.
戦争技術を研究へ、自然研究へと転換し、この研究に軍隊を投入することは、その新しい任務の表れである。これは、我々自身の種族との争いから、洪水、地震、その他あらゆる種類の大災害で我々を苦しめる盲目的で不合理な自然の力に作用すること、そして我々を、それらに不自然な依存状態にある理性的生物に保つ盲目的な力に作用することへの移行の基礎を築くだろう。
N. F. Fedorov
1902物理学者で哲学者だったNikolay Alexeevich Umov (1846–1916)は、生命の反エントロピー的性質についての仮説を提唱し、生命と意識の現象を説明する熱力学第3法則の導入を主張した。
Orderliness is an essential characteristic of living matter. In its general features the evolution of living matter increases the amount of orderliness in nature. Man conscripts the vegetable and animal kingdoms into the circle of his own elements of orderliness; in his implements and machines he extends these elements of orderliness to unorganized matter, and in the name of these elements of orderliness he wages battle against the adventitious ordering of events in nature.
秩序は生物の不可欠な性質である。一般的特徴としては、生物の進化は自然界の秩序を増大させる。人間は、植物界と動物界を自分自身の秩序の要素の輪の中に徴集する。人間は道具や機械の中で、これらの秩序の要素を組織化されていないものに拡張し、これらの秩序の要素の名の下に、自然の出来事の偶発的な秩序との戦いを繰り広げる。
N. A. Umov
NFフョードロフは、自らの原理の新たな説明「Supra-Moralism, or Universal Synthesis, i.e. Universal Integration」を執筆した。
The synthesis of two modes of reason (theoretical and practical) and three objects of knowing and doing (God, man and nature, of which man is the instrument of divine reason and himself becomes the reason of the universe) and in addition, together with this, the synthesis of science and art in the religion that is identified with Easter as a great feast and great deed.
理性の2つの様式 (理論的および実践的) と 3つの知識と行為の対象 (神と人間と自然。その中で人間は神聖な理性の道具であり、自身が宇宙の理性となる) の統合。 これは、イースターを偉大な祝祭と偉大な行為と同一視する宗教における科学と芸術の統合である。
N. F. Fedorov, Supra-Moralism
1903学術誌Scientific Review (Nauchnoe obozrenie)がKE ツィオルコフスキーの記事「The Exploration of Outer Space by Means of Reactive Motion Devices(反動装置による宇宙空間探査)」を掲載した。この記事では、反動運動の式が導出され、宇宙空間への飛行の可能性が検証されている。
I have elaborated certain aspects of raising objects into space by means of a reactive motion device, similar to a rocket. The mathematical conclusions, founded on scientific data and verified numerous times, indicate that it is possible to ascend into celestial space using such devices and perhaps establish colonies beyond the bounds of the Earth’s atmosphere. Hundreds of years will probably pass before the ideas I have expressed find any application, and people will use them to settle not only across the face of the Earth, but across the face of the entire Universe.
ロケットに似た反応運動装置を使って物体を宇宙に持ち上げる特定の側面を詳しく説明した。科学的データに基づいて何度も検証された数学的結論は、そのような装置を使用して天体空間に上昇し、おそらく地球の大気の境界を越えてコロニーを確立することが可能であることを示している。私が表明したアイデアが適用されるまでにはおそらく何百年もかかり、人々はそれを使って地球全体だけでなく、宇宙全体に定住するだろう。
From a letter written by K .E. Tsiolkovsky to the editor of the journal Scientific Review, M. M. Filippov
NF フョードロフ死亡
We felt that those were his final words of advice, his final injunctions. Not a word about himself personally, neither about his illness, nor about the imminent end of his life. He thought and spoke only about the ‘task.’ He was never separated from it until his final moment of conscious awareness.
それが彼の最後の助言であり、彼の最後の提示であると我々は感じた。彼自身についても、彼の病気についても、彼の差し迫った人生の終わりについても、一言もなかった。彼は「課題」についてのみ考え、話した。彼は、意識のある最後の瞬間まで、課題から切り離されることはなかった。
V. A. Kozhevnikov
1905ロシア第一革命
1906「In Praise of Humanity(人類の賛美)」と題された詩の中で、Valery Bryusovは、フョードロフの地球のイメージを宇宙船として使用した最初の作家になった。
1907ヴェルニー市(アルマアタ)では、N. F. フョードロフの「Phylosophy of Common Task(共同事業の哲学)」の第1巻が、弟子の V. A. KozhevnikovとN. P. Petersonによって出版が準備されており、「非売品」というラベルが付いた 480 部の版で登場した。
1905
–1909
神を求めるというロシアの伝統と並行して、新たな傾向が発展しつつあった:Alexander BogdanovとAnatoly LunacharskyとMaxim Gorkyは経験の集合組織という考えに基づいて、新しい理想を提唱した。目標は、社会主義のための闘争を単に資本主義に対する闘争としてではなく、ポジティブな創造性として理解しながら、人類が神のようになることである。新しい形の人間関係の開発、新しい文化の構築、自然の変容はすべて計画の一部である。
1908哲学者、科学者、革命家であるAlexander Aleksandrovich Bogdanov (1873-1928) は、火星で達成された理想的な社会秩序を描いた SF小説「Red Star」を出版した。小説の社会主義者の主人公であるLeonid,は、原子力エンジンを搭載した宇宙船で火星に旅行する。詩人のVelimir Khlebnikov (1885–1922) は「The Crane」を書き、商品崇拝と死への服従を伴う、技術主導の文明に対する芸術的かつ哲学的な批判を明確に述べた。
1911
–1912
Bulletin of Aeronauticsは、Konstantin Tsiolkovskyによる研究の第 2部「The Exploration of Cosmic Space by Means of Rocket Devices」を発表し、ロケットの飛行と空飛ぶ車の将来の開発、惑星間旅行エネルギーのための原子力の使用について論じた。
1912ロシアの前衛芸術家Pavel Nikolaevich Filonov(1883-1941)は、自らの記事「The Canon and the Law」の中で、分析的芸術の方法の基礎を説明した。分析的芸術は、キュービズムとは異なり、変化と変化の絶え間ないプロセスにある成長する現実である有機原理からヒントを得ている。
1913フョードロフの「Philosophy of the Common Task(共同事業の哲学)」の第2巻がモスクワで出版された。
普遍的な組織科学であるBogdanovのテクトロジーの最初の部分が出版された。テクトロジーは後に、サイバネティックスとシステム理論の前身として認識されるようになる。
未来派オペラ「Victory over the Sunpremieres in St. Petersburg」台本はAleksei Kruchonykhによって、(ロシアの未来派詩人の言葉である)Zaumで書かれている。音楽はMikhail Matyushinが作曲し、プロローグはVelimir Khlebnikovが担当した。Kasimir Malevichがセットデザインを作成した。
Evolution can be creative, i.e. man or any living creature will take note of it in himself and start directing its movement towards the form he requires.
進化は創造的である。つまり、人間や生物は自分の中でそれに気づき、必要な形に動きを向け始める。
P. N. Filonov
1914第一次世界大戦勃発。
カルーガで、Alexander Chizhevskyという10代の学生がKonstantin Tsiolkovskyと出会う。
1915「War and the Progress of Science(戦争と科学の進歩)」と題するエッセイで、科学者Vladimir Vernadsky (1863–1945)は軍事目的のために科学実験をさらに使用することに対して警告した。
シュプレマティズムと呼ばれる新しい芸術運動がKazimir Malevichによって立ち上げられた。Malevichは、サンクトペテルブルクで開催された最後の未来派絵画展 0.10 で展示された一連のシュプレマティストの作品と同様に、彼のBlack Squareを描いている。彼以外の参加者は次のとおり: Vladimir Tatlin, Ivan Puni, Liubov Popova, Ivan Kliun, Ksenia Boguslavskaya, Olga Rozanova, Nadezhda Udaltsova, Nathan Altman, Vasily Kamensky, Vera Pestel, Maria Vasilieva, Anna Kirillova, Mikhail Menkov
1916詩人Vladimir Mayakovsky(ウラジーミル・マヤコフスキー)は「The War and the World(戦争と世界)」を書いた。詩のフィナーレでは、すべての戦争の犠牲者の復活と普遍的な兄弟愛を描いている。
Perplexing: is it air, flower, or a bird? Singing, sweet-smelling, and kaleidoscopic – yet it sets all faces on fire and makes the mind spin like the sweetest wine. And not only people do joy's colors unfurl, their faces beaming; animals stylishly curl their fur. Yesterday's stormy seas begin to purr and lie down at your feet.
V. Mayakovsky, “The War and the World”
「The Trumpet of the Martians(火星人のトランペット)」と題されたVelimir Khlebnikovのマニフェストがハリコフで出版された。テキストは、存在の寄生虫として存在する消費者とは対照的に、時間内に自分の状態を構築している発明者で構成される未来の人類の宣言である。
1917ロシア革命
Konstantin Tsiolkovskyは「The Ideal Order of Life(生命の理想的な秩序)」というタイトルの記事を書いた。
The true path toward perfection means to not deprive anyone of anything, to not commit any violence, to not violate the freedoms and desires of our neighbors, unless they threaten us with the same. … There is no need to rob or steal, because nature is abandunt in all treasure.
完成への真の道とは、他人から何も奪わないこと、暴力を振るわないこと、隣人の自由と欲求を侵害しないことである。 … 盗んだり盗んだりする必要はない。自然にはすべての宝物があふれているからである。
K. E. Tsiolkovsky
Velimir Khlebnikovは、すべての戦争を終わらせるための呼びかけである「A Call to the Chairmen of the Globe(世界の議長たちへの呼びかけ)」というタイトルの詩的なマニフェストを書いた。
1918
–1922
解放された人類の宇宙的成果は、革命後の最初の数年間の詩とジャーナリズムで繰り返されるテーマになった。宇宙主義者のテーマは、Khlebnikov, Mayakovsky, Esenin, Kluev, Gerasimov, Kirillova, Filipchenkoの作品に登場し、文芸評論家が詩における自発的な「宇宙主義」について語るように導いている。
1918プロレトクリト(プロレタリア文化)のイデオロギーは活発に表現されている(文化や労働の概念、救世主としてのプロテタリアート、労働の精神、普遍的な革命、地球規模の春など)。プロレトクリトの主たる理論家Alexander Bogdanovは労働者階級の使命を概説した:それを「全人類の生活の優雅で全体論的な組織」であり、芸術の目標を「世界の理想的な組織の実現」に向けられた仕事と定義している。
Kasimir Malevichは「White on White(白の上の城): 宇宙の中の宇宙を描いた。
The white square carries within itself a white world (world-building), assigning the symbol of purity to the creative life of humanity.
白い四角形は、それ自体が白い世界(世界構築)を持ち、人類の創造的な生活に純粋さの象徴を割り当てる。
Kasimir Malevich
1919Velimir Khlebnikov は、「The Artists of the World(世界のアーティスト)」というプラットフォーム ステートメントを書いた。
Our goal is a common written language, common for all the nations of the third satellite of the Sun, to construct written signs, comprehensible and acceptable for the whole star that is settled by humanity, lost in the world.
我々の目標は、太陽系第3衛星のすべての国に共通の記述言語であり、人類によって定住した星全体にとって理解しやすく、受け入れられる。世界から失われた文字記号を作成することである。
Velimir Khlebnikov, The Artists of the World, 1919
芸術家・発明家連合が結成された。メンバーには、Kasimir Malevich, Valdimir Tatlinなどがいた。
1921ソビエト連邦の飢饉で500万人近くが死亡
バイオ宇宙主義運動はモスクワで始まり、アナキストの詩人 A. Agienko (Svyatogor) と広報担当者の P. I. Ivanitsky が率いた。バイオ宇宙主義者のスローガンは「不死主義と惑星間主義」である。彼らは多数のマニフェストを発行し、公の討論に参加し、雑誌 Biocosmism を発行した。
The most important thing for us is the immortality of the individual and his life in the cosmos. We have elevated this value to a goal in itself, thus formulating our teleological point of view. Our philosophy is first and foremost a great teleology and all philosophical problems are shaped by our glorious objectives.
We looked to our undying, instinctive urge towards immortality and our unquenchable thirst for glorious creativity, trusting in our biocosmic consciousness of the objective world's reality. Objective reality is an infinite arena for the great struggle in which everything that possesses individuality and integrity asserts its supreme existence.
我々にとって最も重要なことは、人間の不滅と宇宙での人間の生命である。我々はこの価値をそれ自体の目標にまで高め、目的論的観点を定式化した。我々の哲学は何よりもまず偉大な目的論であり、すべての哲学的問題は我々の輝かしい目的によって形成される。
我々は、不死への不滅の本能的な衝動と、輝かしい創造性への渇望に目を向け、客観的世界の現実に対する我々の生物宇宙意識への信頼する。客観的現実は、個性と完全性を備えたあらゆるものがその最高の存在を主張する大いなる闘争のための無限のアリーナである。
– “Our Affirmations,” Biocosmist no. 1
モスクワで芸術哲学協会「Art-Life」が結成される。それは芸術の統合の考えに基づいている。参加者には、芸術家のV. Chekrigyn, S. Romanovich, S. Gerasimov, 哲学者のP. Florensky, 詩人のP. Antokolsky, V. Khlebnikovがいた。
芸術家V. Chekryginは、Nフョードロフのアイデアに出会う。フョードロフの未来の芸術のアイデアに触発されて、Chekryginは、現代アーティストの集合事業として、Resurrecting Cathedral-Museum(復活大聖堂博物館)のプロジェクトを開発していた。彼は、この大聖堂のフレスコ画の習作として、「死者の復活」というタイトルの一連の絵を作成した。
Resurrection of the dead fathers is the task of art. The full synthesis of art is the Transformation of the Cosmos (the Universe), the mastery of the cosmic process, transformation of the inert law of attraction and gravitation of the masses (and bodies in the dying universe, waiting for support), towards a higher law-the true support-love.
死んだ父親の復活は芸術の仕事である。芸術の完全な統合とは、宇宙の変容であり、宇宙プロセスの習得であり、不活性な引力の法則と質量(と死にゆく宇宙の物体が支持を待ちながら)の重力の法則の、真の愛の支持への向う変容である。
– V. Chekrygin
A.Platonovは、「Proletarian Poetry(プロレタリアの詩)」と題する芸術の宇宙的目標に関するエッセイを書き、Forge誌に掲載された。
Proletarian poetry is a transformation of matter, it is a struggle with reality, a battle with the cosmos in order to change it in accordance with the inner needs of humans.
プロレタリアの詩は物質の変容であり、人間の内面のニーズに合わせて宇宙を変容させるための、現実との闘争であり、宇宙との戦いである。
– A. Platonov
1922「Creatorium of Biocosmists」と呼ばれるクラブが設立された。新聞Izvestiaは、バイオ宇宙主義者マニフェストを出版した。A. Yaroslavskyはこの運動に参加し、サンクトペテルブルクで「Northern Biocosmists」と呼ばれるバイオ宇宙主義者グループを組織した。このグループは「Immortality(不滅)」というタイトルのジャーナルの発行を開始した。Yaroslavskyは、「The Assault on the Universe(宇宙への攻撃)」や「Anabiosis Poem(アナビオシスの詩)」など、数冊の詩集を出版した。
1923英国の科学者でマルクス主義者の J. B. S. Haldane が、トランスヒューマニスト思想の初期のビジョンを提示する「Daedalus ; or, Science and the Future」という本を出版。この本は特に、科学の発展の倫理的意味を扱っている。
マルクス主義者の歴史家N. Rozhkovは、不死と宇宙の探求を提唱する「The Meaning and Beauty of Life(生命の意味と美)」という本を出版した。
In the distant future humanity will have the opportunity to achieve omnipotence in the literal sense of this word, including communication with other worlds, immortality, resurrection of bodies of those who lived earlier, and even the creation of new planets and planetary systems.
遠い将来、人類はこの言葉の文字通りの意味での全能性を達成する機会を得るだろう。これには、他の世界とのコミュニケーション、不死、過去に生きていた人々の肉体の復活、さらには新しい惑星や惑星系の創造さえもがある。
– N. Rozhkov
V. Mayakovsky詩「About This」の最後に復活のスタジオを描いた。
I see clearly, to the tiniest detail I see, Air into air, as if brick on brick appears, inaccessible to decay and putrefaction, gleaming, rearing through the eras the workshop of human resurrection. There he is that great-browed quiet scientist, before the experiment, furrowing his brow. Namesearching – a book – The Whole Earth its title-list. The Twentieth Century. Whom to resurrect now? “There's Mayakovsky here … Let's find someone brighter - This poet's not handsome enough. Reject.” Then I cry out from these very pages of writing: Don't turn over the page! Resurrect!
Put a heart in me – Transfuse blood to the uttermost vein. Inject thought into my skull with your skill! My earthly life I never lived out to the end. On earth, my love I could never fulfill.
私が見る最も小さな細部まで、空気中の空気が、まるでレンガの上にレンガが現れるかのように、腐敗に近づきがたく、煌めき、時代を超えて人間の復活の作業場を育てているのがはっきりと見える。そこに、実験の前に眉をひそめている、偉大な眉の静かな科学者。名前検索、本、地球全体、タイトルリスト。20世紀。誰を復活させる?「ここにマヤコフスキーがいる…もっと頭のいい人を探そう。この詩人は十分にハンサムではない。却下」そして、私はまさのそのページから叫ぶ:ページをめくるな!復活する!
心臓を入れて。一番奥の静脈に血液を輸血。あなたのスキルで私の頭蓋骨に思考を注入!私が最後まで生きたことがなかった私の地上の人生。地球上で、私が決して満たすことができなかった私の愛。
– V. Mayakovsky, “About This”
A.トルストイは、自作小説「Aelita, or The Decline of Mars(アリエータ, 火星に行った地球人)」を出版した。
1924レーニンが死亡。遺体は防腐処理され、赤の広場の霊廟に安置された。
プロレタリア詩人 G. Sannikovが、革命のすべての犠牲者の復活を描いた詩「Leniniada」を書いた。
科学者、詩人、画家、哲学者のA. Chizhevsky (1897-1964)は、「Physiological Factors of the Historical Process(歴史的プロセスの生理学的要因)」と題する論文を自費出版し、過去のデータの統計分析を使用して、太陽周期の活動と人類の歴史との関係を説明した。
In light of the contemporary scientific worldview, the fate of humanity is directly connected with the fate of the universe … To understand the life of the Earth-the planet taken as a whole: with its atmosphere and lithosphere, as well as all the plant and animal life, and all its human population-we must look at life as one common organism … Historical events develop in response to triggers caused by changes in the process of the formation of Sun spots.
現代の科学的世界観に照らしてみると、人類の運命は宇宙の運命と直接的に結びついている... 動物の生命、そしてそのすべての人間の集団 - 我々は生命を1つの共通の生物として見なければならない... 歴史的な出来事は、太陽の黒点の形成過程の変化によって引き起こされる引き金に反応して発展する。
– A. Chizhevsky
宇宙探査の分野におけるツィオルコフスキーの重要性を強調するために、Chizhevskyはツィオルコフスキーの1903年の論文「A Rocket in Outer Space(外宇宙のロケット)」を出版し、それを多数の国際的な図書館や大学に配布するだけでなく、多数の著名な科学者に直接配布した。
モスクワでは、惑星間通信を研究するための協会が結成された。メンバーには、K. ツィオルコフスキー, F. Zander,V. Vetchinkin などがいた。
Y. ProtazanovはA.トルストイの小説に基づいた無声映画「Aelita, Queen of Mars(火星の女王アエリタ)」を監督した。
宇宙主義哲学者V. Muraviev (1885–1930) は、「The Control of Time as the Main Task of Labor Organization(労働組織の主な任務としての時間の管理)」というタイトルの本を出版した。
Creative labor, in our understanding, is a cosmic category, and the goal of all labor is to overcome time. We need to stop hoping for a ready-made eternity and start producing time. Blind, irrational time is already in its death throes. Beyond it lies the new, more perfect and rational time-a creation of the future global culture.
我々の理解では、創造的労働は宇宙カテゴリーであり、すべての労働の目標は時間を克服することである。我々は既製の永遠を望むのをやめて、時間を生産し始める必要がある。盲目的で理不尽な時間は、すでに死に瀕している。その先には、新しい、より完全で合理的​​な時間、つまり未来のグローバル文化の創造がある。
– V. Muraviev
宇宙主義哲学者A. Gorsky (1886–1943) は、フロイトの精神分析理論を変形し、V. ソロヴィヨフの「The Meaning of Love(愛の意味)」からのアイデアで補完する「An Enormous Sketch(巨大なスケッチ)」というタイトルの論文を完成させ、変容的で復活するエロスの概念とジェンダーの克服を提唱した。
E. Roerichは、上昇する宇宙の進化と宇宙のエネルギーとの個々のエネルギーの調和のアイデアに基づいて、「Living Ethics (Agni-Yoga)」と呼ばれる14巻の作品を匿名で書き、出版し始めた。
1925フランスでは、V. Vernadsky による「Human Autotrophy」というエッセイが出版された。このエッセイは、生命の無限の概念、生物圏における理性の役割、および合成食品生産への移行の見通しに取り組んでいる。
What would synthetic food mean for the life of humans and the life of the biosphere? This would liberate humanity from its dependence on the consumption of other living matter, transforming the human from a heterotrophic being into an autotrophic being. The consequences of this transformation for the mechanism of the biosphere would be enormous.
合成食品は、人間の生活と生物圏の生活にとって何を意味するのだろうか? これは、他の生物の消費への依存から人類を解放し、人間を従属栄養生物から独立栄養生物に変換する。生物圏のメカニズムに対するこの変化の影響は計り知れない。
– V. Vernadsky
バイオ宇宙主義者P. Ivanitskyは「Artificial Rain and Weather Controlled by Means of Regulating Atmospheric and Ground Electricity(大気と地上の電気を調整する手段によって制御される人工的な雨と天気)というタイトルのパンフレットを発行した。
Global Pathfinderジャーナルは、A. Belyaev (1884–1942) による「Professor Dowell's Head」という題名の SF 小説を掲載した。これは、体の残りの部分がなくても頭を生かしておくための実験に関するものである。この物語は後に小説に発展した。
K. Malevichはシュプレマティストの建築モデル (アーキテクトンとプラニッド) を開発しており、そのうちのいくつかは、宇宙ステーションの宇宙基盤における構造のモデルを表すことを意図していると述べた。
1926V. Vernadskyは自著「The Biosphere」を出版した。
The substance of the biosphere is permeated by energy, thanks to cosmic rays; it becomes active, it collects and distributes this radiant energy in the biosphere. The face of the Earth is not only a reflection of our planet and its substance and energy – at the same time it is a creation of the external forces of the cosmos.
生物圏の物質には、宇宙線のおかげでエネルギーが浸透している。それは活発になり、この放射エネルギーを生物圏に集めて分配する。地球の表面は、我々の惑星とその物質とエネルギーの反映であるだけでなく、同時に宇宙の外力の創造物でもある。
– V. Vernadsky
モスクワ血液学研究所が開設された。 AA. Bogdanovが所長に任命され、老化プロセスを逆転させることを目標に、実験的な輸血にフォーカスした。
S. Briukhonenko教授 (1890-1960) は、「心室補助装置」と呼ばれる世界初の人工血液循環装置を発明した。 彼は、犬を蘇生させ、2時間以上生き続けることができる実験を行った。
「Amaravella」(サンスクリット語で「不死の苗木」)と呼ばれる宇宙主義芸術家集団が結成された。
19274月に、第1回「World Exhibition of Interplanetary Spacecraft and Mechanisms(惑星間宇宙船と機構世界展示会)」がモスクワで開かれ、2か月で 1 万人以上が来場した。
航空と宇宙飛行学の科学者で普及者の N.A. Ryninは、「Interplanetary Travel in the Fantasies of Novelists and the Projects of Scientists(小説家のファンタジーと科学者のプロジェクトにおける惑星間旅行)」という一連の定期刊行誌の発行を始めた。(全部で9号があり、1932年の最後の号には、年代記と主題に関する広範な参考文献が収録されていた。)
パリでは、フランスの哲学者Édouard Le Royが一連の講義を行い、後に彼の著書「The Origins of Man and the Evolution of Intelligence(人間の起源と知能の進化)」にまとめられ、そこで「noosphere(ヌースフィア)」という用語が最初に登場した。この用語の創始者は、哲学者で古生物学者の P. Teilhard de Chardinであり、1925年に彼のエッセイ「Hominization」でそれを主張した。
P. Teilhard de Chardinは、自著「The Divine Milieu」を完成させた。その中で彼は、上昇する創造のアイデアと、人間と一緒に創造のすべての生物を含むPleromaに向かう宇宙の動きを強調した。
1928M. Gorky(ゴーリキー)は、11月27日にIzvestiya(イズベスチヤ)紙に掲載された自らの記事「Once Again on Mechanical Citizens(もう一度機械市民について)」でフョードロフに言及し、フョードロフの格言を挙げて次のように述べた:「自然を超える、自然を統御する力のない自由は、土地を持たない小作農の解放と同じだ。」M.I. Kalininは、12月11日に開催されたソ連中央執行委員会の第4回会議への報告で、この部分を引用している。
12月28日に、IzvestiyaがA.K. Gorskyによる NF.フョードロフに関する記事を掲載。そこで彼は、ソビエトロシアの科学的、技術的、社会的変革との親和性を示すような方法でフョードロフの考えを説明した。
Higher Art and Technical Studiosの学生である若い建築家G.T. Krutikovは、卒業プロジェクトとして作品「The City of the Future: The Evolution of Architectural Principles in City Planning and the Organization of Housing(未来の都市:都市計画と住宅供給機関における建築原理の進化))」を発表した。プロジェクトの一環として、彼は「空飛ぶ都市」のデザインを作成した。
F.M. ドストエフスキーの小説「カラマーゾフの兄弟」の準備資料の巻が、V.L. Komarovich広範な研究成果である「Patricide(父殺し)」と N. F. フェドロフの「Doctrine of Physical Resurrection(肉体的復活の教義)」とともに、R. Piper出版社からドイツで出版された。
1929A. K. GorskyとV. N. Muravievが逮捕された。
哲学者、司祭、神学者である P.A. Florensky (1882-1937) は、V.I. Vernadskyへの手紙の中で、pneumatosphere(ニューマスフィア)の概念を提唱した。
From my side I wish to express an idea which requires concrete substantiation and is more of a heuristic principle. It is precisely the idea of the existence in the biosphere, or perhaps on the biosphere, of that which might be called a pneumatosphere, i.e., of the existence of a special part of matter involved in the circulation of culture, or rather, of the spirit.
私の側からは、具体的な実証が必要で、ヒューリスティックな原則に近いアイデアを表現したいと思う。それはまさに、あるいはおそらく生物圏上に、文化の循環に関与する物質の特別な部分の存在、あるいは精神の循環に関与するニューマスフィアと呼ばれるものが存在するという考えである。
– P. A. Florensky. From a letter to V. I. Vernadsky
A. Platonovが小説「Chevengur」を完成させ、共産主義の理想を試した。この小説は、APlatonovの存命中は公表されなかった。
Socialism is not a far-distant country where, through the combined efforts of humanity, Rosa Luxemburg will return to life as a living citizen.
社会主義は、人類の共同の努力によってローザ・ルクセンブルグが生きた市民として生き返る遠い国ではない。
– A. Platonov, Chevengur
1930A. Chizhevskyは、伝染病の起源と広がり、および太陽活動のサイクルとの関係に関する自分の研究をまとめた著書「Epidemiological Catastrophes and the Periodic Activity of the Sun(疫学的災害と太陽の周期的活動)」を出版した。カルーガでは、ツィオルコフスキーが自著「Scientific Ethics」を出版した。
The ethics of the cosmos, i.e., of its conscious creatures, requires that there should not be any suffering anywhere.
宇宙の倫理、つまりその意識のある生物の倫理は、どこにも苦しみがあってはならないことを求めている。
– K .E. Tsiolkovsky, Scientific Ethics
SF作家A. Belyaevが、K.E/ ツィオルコフスキーに関するエッセイ「Citizen of the Ethereal Island(天上の島の市民)」を出版。彼はまた、「Imperishable World(不滅の世界)」というタイトルの物語を出版した。これは、N.F. フョードロフが主張したように、自然のプロセスを徹底的に研究することによって、前例のない人間による自然への軽率で自発的な侵入の危険性を芸術的な形で示している。
A. Platonovは小説「The Foundation Pit(土台の穴)」を書いた。この小説は、多くのフョードロフ的モチーフ (永遠の記憶や、死が存在する限り普遍的な幸福の不可能性など) を象徴的に具現化している。
1931「Society for the Promotion of Defense and Aviation and Chemical Construction(防衛及び航空の推進と化学建築学会)」傘下に「The Group for the Study of Reactive Motion (反動運動研究グループ)」(GSRM)が設立された。グループのメンバーには、S. P. Korolev, Yu. A. Pobedonostsev, M. K. Tikhonravov, F. A. Zanderなどの科学者や設計技師がいた。
A. L. Chizhevskyのもと、イオン発生研究を行うCentral Scientific Research Laboratoryが設立された。
Amazing Storiesが、Neil R. Jonesによる短編小説「The Jameson Satellite」を掲載した。これは、死体が軌道に送られ、サイボーグの種族がそれを発見し、脳を解凍して、ロボット本体に取り付けるまで、何百万年もの間絶対零度に近い温度のままである男性についてのものである。
1932USSR Hydrometeorological Committee(ソビエト連邦降水委員会)の傘下に、The Institute of Artificial Rain(人工降雨研究所)が設立された。
A.M. Gorkyのイニシアティブのもとで、モスクワに、長寿などを研究するAll Union Institute of Experimental Medicine(全連邦実験医療研究所)が設立された。
1933GSRMが開発したロケットの最初の打ち上げが、モスクワ地域のNakhabino実験場で行われた。このグループは宇宙征服に関連する問題についての仕事をしていた。
SF作家A. Belyaevは自身の小説「Leap Into Nothing(無への跳躍)」を出版した。技術者F. A. Zander主役のモデルとなった。主役Leo Zandlerは、ドイツ人科学者で平和主義者で、宇宙船を製作し、宇宙の広がりを探索する。
ユーラシア人(白人とアジア人の混血)作家K. A. Chkheidze (1897- 1974)がプラハのNational Museumに、アーカイブコレクション「Fedoroviana Pragensia」を創設した。このコレクションは、ロシア人のフョードロフの考えの理解を推進することを目的としていた。
1934中国のハルビンで、N.A. Setnitskyがフョードロフの思い出に捧げられた「The Universal Task(普遍事業)」というタイトルのアンソロジーの第2版を発行した。この本には、「科学と宗教」と「科学と労働」をテーマにした論争のエッセイが収録されており、ハルビンのロシア亡命者コミュニティの精神的な憧れをCommon Task(共同事業)の哲学の観点から論じている。
モスクワ映画スタジオが映画「Cosmic Voyage」の制作を開始。 K.E. ツィオルコフスキーはコンサルタントであり、脚本の執筆に携わった。彼はこの映画のために特別に30枚の絵を描き、後に「An Album of Space Travel」に収録された。
1935K.E. ツィオルコフスキーが死亡。
1936雑誌Zvezda (Star) は、A. BelyaevのSF小説「The Star KETs」を掲載した (KEおよびTs の文字は、Konstantin Eduardovich Tsiolkovsky のイニシャルであり)。
N.A. Setnitsky は、A.M. Gorky との面会を試みたが失敗した。最終的に、SetnitskyはGorkyに手紙を書き、フョードロフの考えをGorkyのソビエト社会建設のビジョンに取り入れようとして失敗したことについて書いた。Setnitskyは手紙を送る前に、Gorky が亡くなったことを知った。
The tragic thing is that not one of the builders of socialism dares to say that it is impossible even to think about socialism without a struggle against death, and that communism cannot be built without victory over death.
悲劇的なことは、社会主義の建設者の中で、死に対する闘争なしには社会主義を考えることさえ不可能であり、死に対する勝利なしに共産主義を建設することはできないとあえて言う人が一人もいないということである。
– N. A. Setnitsky. From a letter to A. M. Gorky
19371937年の春に収容所から釈放されたA.K. Gorsky,と共同で、N.A. Setnitskyは「Creative Marxism and the Liquidation of Opportunistic Time-Serving in Biology(生物学における創造的マルクス主義と日和見的時間奉仕の清算)」という記事を書いた (未発表)。
N.A. Setnitskyが逮捕され、秋に処刑された。
1939A.L. Chizhevskyは国際生物物理学および宇宙生物学会議の名誉会長に選出された。
第2次世界大戦勃発
1940P. Teilhard de Chardin は、彼の最も重要な著書「The Phenomenon of Man」を完成させ、キリスト教進化論の概念とヌースフィアの考えを定式化した。
Life, once having achieved its thinking stage, can only continue by rising structurally higher and higher.
いったん思考段階に達した生命は、構造的にどんどん高くなることによってのみ存続できる。
– P. Teilhard de Chardin
映画監督 G.V. Alexandrov(1903-1983) は、サウンドシネマの創造者の 1 人であり、Izvestiya紙に「The Cinema of the Future(未来のシネマ)」と題する記事を掲載した。彼の意見では、未来の映画館にはスクリーンはない。むしろプラネタリウムのようなもので、壁や天井にシネマティックな作品が映し出される。Alexandrov は、ステレオイメージングのさまざまな用途を予測しており (当時、この技術の作成に関する研究がソ連で活発に進められていた)、将来的には、新しい技術によって、フィルムに映像と音声の記録だけでなく、臭いも記録も可能になると断言している。「香りの音楽は、映画のアーティストにとって新しい力である。」
A.K. Gorskyは、新しいスクリーンの実験スタジオ (ESNES) のアイデアを提案。これは、映画の芸術を未来の芸術のイメージに結び付け、「世界行動の組織」と復活の実践を実現するよう運命づけられている。
1941SF作家A. Belyaevの小説「Ariel, about a flying man」が出版された。
ソビエト連邦が第2次世界大戦に参戦。
1942A. L. Chizhevskyが逮捕された。
ドイツ国防軍とドイツ空軍のためにernher von Braunによって設計されたV-2ロケットの最初の成功したテスト。ロケットは高度84.5km、さらに高度174.6kmに達し、Karman Line 越えて宇宙空間との境界に突入。宇宙船ではなくミサイルとして使用されたV-2は、戦争中にイギリス、ベルギー、フランス、オランダで何千人もの民間人を殺害した。ナチスの敗北後、ドイツの技術者は米国とソ連に移され、そこで軍事および民間目的でV-2ロケットをさらに開発した。V-2ロケットは、後に使用される液体燃料ミサイルとスペースランチャーの基礎を築いた。
1943A.K. Gorskyが逮捕され、Tula刑務所病院で死亡。
ハルピンで1928〜1930年に出版されたものを底本として、東京で初めてフョードロフの日本語訳が出版された。日本語訳は、フョードロフの最重要著作「The Question of Brotherhood, or Kinship」の第1,2,3部を収録していた。
1944V. I. Vernadskyのエッセイ「Some Words About the Noosphere(ヌースフィアに関するいくつかの言葉)」が雑誌spekhi Biologii (Successes of Biology)に掲載された。
The noosphere is a new geological phenomenon on our planet. In it, man for the first time becomes a major geological force. He can and must transform his life domain by his labor and his thought, transform it radically as compared with what existed previously.
ヌーアスフィアは地球上の新しい地質学的現象である。その中で、人間は初めて主要な地質の力になる。人間は自分の労働と思考によって人生の領域を変えることができるし、そうしなければならない。
– V. I. Vernadsky
植物学者で微生物学者の N. G. Kholodny (1882-1953) は、Vernadskyの生徒の1人であり、アントロポコスミズムの概念を紹介している。
The most characteristic feature of the anthropocosmic attitude to nature is man’s constant awareness of his own organic, indissoluble, and efficacious connection with it, and with the entire cosmos.
自然に対するアントロポコスミックな態度の最も特徴的な特徴は、自然と、そして宇宙全体との有機的で、切り離すことができず、効果的なつながりを人間が常に意識していることである。
– N. G. Kholodny
1950ウラジーミル刑務所で、詩人、哲学者、神秘主義者の D. Andreev (1906-1959) は、詩「The Iron Mystery(鉄の神秘)」と著書「The Rose of the World(世界のバラ)」の制作に着手し、「神との共同創造」という考えを具現化した。これはロシアの宇宙主義の精神に近い。
1951著名な優生学者で進化生物学者Julian Huxleyは、ワシントンDCで行われた「知識、道徳、運命」と題する講演で「トランスヒューマニズム」という用語を作り出した。Huxleyは、彼の哲学を「限界を克服し、より完全な結実に到達しようとする人類の考え」と説明していた。
1950
–1958
A. L. ChizhevskyはKaragandaに住み、働いた。彼は空気イオン化の研究を続けた。
1955復活祭の日、P. Teilhard de Chardin がニューヨークで死亡。彼の死後すぐに、科学者と思想家の友人と崇拝者からなる彼の作品を出版する委員会が設立された。作品集の刊行が始まった。最初に登場したのは「The Phenomenon of Man」だった。
1957地球初の人工衛星が打ち上げられた。
1957年11月3日、ライカ犬が、最初に衛星軌道に打ち上げられた動物となった。これが人間の宇宙飛行への道を拓いた。
Pionerskaya Pravda紙は、I. Efremovの小説「The Andromeda Nebula(アンドロメダ星雲)」から抜粋した、宇宙における人類の未来についての記事を掲載した。これは、Efremovの小説、Arkady and Boris Strugatskyの小説「Land of Scarlet Clouds(緋色の雲の国)」(1959) と「Far Rainbow (遠くの虹)」(1963)、そして彼らの短編小説「The Way to Almathea」(1960),「Apprentices」(1962), 「The Kid」(1971)で急速に発展するソビエト SF の黄金時代の始まりを示している。また重要なのは、G. Altov の作品集「Legends of the Star Captains」 (1961)、V. Zhuravleva の短編小説「Galactic Journey」(1963)、Georgy Gurevich の短編小説 (後にユートピア小説「We Are From the Solar System」(1965)に統合された)、Sergei Snegovの三部作「People Like Gods(神々のような人々)」(1966-1977)、Sergei Pavlovの小説「Lunar Rainbow(月の虹)」(1978-1983)などである。
K.E. ツィオルコフスキーの物語が中心的な役割を果たしている、B. Klushantsevのドキュメンタリー映画「The Road to the Stars(星への道)」が公開された。その後、Klushantsevは長編映画の禁止の後、ドキュメンタリー映画と芸術的な物語のアプローチを組み合わせた特別な人気のある科学映画のジャンルを発展させた。監督は映画「Moon(月)」(1965)、「Mars(火星)」(1968)、「I See Earth(私は地球を見た)」(1970)、「Dictate of Time」(1972)などを制作した。
1958A. L. Chizhevskyはリハビリを受け、モスクワに戻ることが許可された。
1959The American National Exhibitionがモスクワで開催され、6週間で約300万人が訪れた。最も話題になっている作品の1つは、金色のアルミニウム シートで作られたBuckminster Fullerの測地線ドームだった。フョードロフとは独立して、建築家は宇宙船としての地球のアイデアに到達し、このアイデアは測地線構造の実験で表現されている。
1960s1960年代、フルシチョフの雪解け、勝利の宇宙探査、サイバネティックスへの幅広い関心の真っ只中に、構成主義、前衛の比喩的実験、ダイナミックアートを思い起こさせる幾何学芸術とNaum Gaboの動的芸術が出現した。L. Nussberg, F. Infante-Arana, V. Koleichukなどのアーティストからなるグループ「Dvizhenie(動き)」は、テクノロジー、宇宙への関心、およびアートを結びつけることを目指していた。
1961新聞Moskovsky Komsomoletsは、ベラルーシ科学アカデミーの会長である生物学者 V.F. Kuprevich (1897-1969)の記事を掲載し、その中で人間の不死の可能性について論じた。
ソビエトの宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンは、ボストーク宇宙船で地球を周回し、最初の宇宙飛行士となった。
1962A. Kazantsevの同名小説に基づく、P. Klushantsevの人気SF 映画「Planet of Storms(嵐の惑星)」が公開された。 映画の配給権は、世界28カ国で取得された。Klushantsevが映画のために発明したコンビネーションショットの新しい視覚効果と技術は、その後、Stanley Kubrick, George Lucas, Ridley Scottなど多くのアメリカの監督や、特殊効果の専門家によって借用されている。
R. Ettingerの本「The Prospect of Immortality」の初版が出版され、現代人体冷凍術の基礎となった。
Ettingerの本の出版に続いて、少数の人体冷凍協会が設立された。
1963V. Tereshkovaがボストーク6号のパイロットとして、初の女性宇宙飛行士となる。
1964A.L. Chizhevskyが死亡した。
1965宇宙飛行士A. Leonovが最初の宇宙遊泳を実行。
ソビエトの出版物で、人体冷凍術に初めて言及。
1967凍結保存される最初の遺体は、Dr. James Bedfordの遺体だった。2014 年現在、米国では約250体の遺体が凍結保存されており、1,500人が法定死亡後に凍結保存の手配を行っていた。
19697月20日に、米国のアポロ11号が、有人で月面着陸。
1970R.A. Galtseva の記事「V. I. Vernadsky」がPhilosophical Encyclopedia第5巻に収録され、「Russian cosmism(ロシア宇宙主義)」という用語が、V.I. VernadskyやA.L. Chizhevskyや、部分的にはN.F.フョードロフらの思想家全体を表すのに初めて使われた。同じ巻にはフョードロフの記事(D. Lyalikov執筆)と、Chizhevskyの記事(L. Golovanov執筆)、ツィオルコフスキーの記事(I. Rodnyanskaya執筆)が収録された。
I.M. Zabelinの本「Physical Geography: The Science of the Future」が出版された。頭部化、ヌースフィア、不死の可能性についての考えが本で論じられ、フョードロフとSetnitskyについて言及されている。
1972文献学者 S.G. Semenova (1941-2014) は、フョードロフの考えに精通した。 彼女の残りの人生は、フョードロフのアイデアと宇宙主義の哲学の研究、発展、普及に専念し、彼女はそれを2つの主要な枝(能動的進化論と積極的キリスト教)に分け、ロシア文学に対するフョードロフのアイデアの影響の研究と、P. Teilhard de Chardinの研究を行った。
ポーランドの作家Stanislaw Lemの同名小説(1961)を原作とするロシア映画「Solaris」が公開された。Andrei Tarkovskyが共同脚本及び監督をつとめた。この映画は、アクションの大半が架空の惑星ソラリスを周回する宇宙ステーション上で起きる瞑想的心理劇である。
1973A.L. Chizhevskyの本「The Earthly Echo of Solar Storms」が出版された。
1974F. Sobolevの人気科学映画「Biosphere! Time to Apprehend」が公開された。キエフのドキュメンタリー制作会社がVladimir Vernadskyと議論して、宇宙における生命についての実験的ビジュアルポエムに着手した。
1976The Cryonics Instituteが設立され、最初のクライアントが液体窒素の中に凍結された。
1977Stephen Lukashevichのフョードロフについてのモノグラフ「N. F. Fedorov (1828-1903): A Study in Russian Eupsychian and Utopian Thought」がロンドンで出版された。
The Prometheus journalが「Nikolai Fedorov. His life and teachings」というタイトルのS. Semenovの記事を掲載した。これはソビエト連邦で50年ぶりのフョードロフについての記事だった。
1978凍結生物学の問題を研究しており、クライオニクスの熱狂的な支持者である、生物学者のYu. I. PichuginがS.G. Semenova とO.N. Setnitskayaに会った。
アート展「Time-Space-Man」がMolodaya Gvardiya (Young Guard) 出版社で開催され、「コズミック ファンタジー」に捧げられた作品が集められた。この展覧会は、歴史家、ジャーナリスト、美術史家のV.V. Baidinによって組織された。 V.V. Baidinは、A.L. Chizhevskyの未亡人、N.V. Chizhevskayaと出会い、Chizhevskyの芸術的遺産に精通した。
J. Posadasが「Childbearing in Space, the Confidence of Humanity, and Socialism(宇宙での出産、人間性への自信、そして社会主義)」というエッセイを執筆。
1979Arkady and Boris StrugatskyのSF小説を原作とする、Andrei Tarkovskyの映画「Stalker」が公開
George M. Youngの「Nikolai F. Fedorov: An Introduction, Nordland (MA, USA: Publishing Co., Belmont, 1979)」が出版された。
1981キエフでは、V.V. Baidinが、A.L. Chizhevskyのスケッチを中心とする展覧会「Scientists Draw」を組織した。
ドイツ人学者M. Hagemeisterが、N.F.フョードロフとV.N. Muravievの遺産研究に関連して、モスクワを訪問した。本執筆のための資料を集めるとともに、彼はO.N. Setnitskaya, S.G. Semenova, V.V. Baidinなどと会って、相談をした。
1982Mysl (Thought) 出版社は、シリーズ Philosophical HeritageでN.F.フョードロフの作品をリリースした。序文では、フョードロフは能動的進化論、ヌースフィア、および宇宙主義思想の創始者として紹介された。
1983不死のクラゲ、ベニクラゲが発見された。地中海と日本の水域で見られる、生物学的に不死の小さなクラゲの一種であ。これは、個体として性的成熟に達した後、性的に未熟なコロニー段階に完全に戻ることができる動物の数少ない既知の事例のひとつである。
ミュンヘンでは、M. HagemeisterがV.N. Muraviev の作品「The Conquest of Time as the Basic Task in the Organization of Labor(労働組織の基本的任務としての時間征服)」を再発行し、スラブ文献学に特化した一連の出版物を発行した。 彼は作品に解説エッセイを添えた。
1985ソビエト連邦でペレストロイカが始まる。
N.F.フョードロフの遺産を研究するセミナーがS.G. Semenovaのもとで始まった。
何人かの映画製作者の証言によると、ジョージ・ルーカスは、ペレストロイカ時代のモスクワへの最初の訪問中に、ソビエト当局に彼と P. Klushantsevとの会合を手配するよう依頼した。 しかし、当局はKlushantsevが誰であるかさえ知らないことが判明した。 ルーカスは、「Klushantsevはスターウォーズのゴッドファーザーだ」と答えたと思われり。2人の監督の間の会合は行われることはなかった。
1986Mir宇宙ステーションが1986〜2001年の間、地球を周回した。ロシア語の単語"Mir" ("Мир")は「平和」もしくは「世界を意味する。
Ilya Kabakovが展示「The Man Who Flew Into Space from His Apartment(アパートから宇宙を飛行した男)」を制作。
1988A.P. Platonovの小説「Chevengur」が遂に出版された。雑誌「Novy Mir and Moskvaprint」が、小説とPlatonov作品全体へのフョードロフの影響を取り上げたS.G. Semenovaの記事を掲載した。
1989ベルリンの壁崩壊
N.F.フョードロフ生誕160年を記念して、Galina Shergovaがドキュメンタリー映画「A Parable of Resurrection(復活の寓話)」を制作、Soviet Central Televisionで放映された。
1990N. F. フョードロフの厳選された作品集、「What Was Man Created For? The Philosophy of the Common Task(人間は何のために創造されたのか? 共同事業の哲学)」と題されて、L'Age d'Hommeも翻訳により、英語で出版された。
1991ソビエト連邦崩壊
1993The N. F. Fedorov Museum and Reading Room(フョードロフ博物館読書室)がモスクワにオープン。1998年には、宇宙主義のアイデアを発展させる教育研究センターである N. F. Fedorov Museum-Library(博物館図書館)に生まれ変わった。
1990s
-2000s
宇宙主義現象が、ロシアと海外で活発に研究された。多数のモノグラフや学術論文と同様に、主要なテキストが出版された。
情報技術、生物学、医学、ナノおよびバイオテクノロジーの分野で急速な発展が見られた。 トランスヒューマニズムの哲学が浮かび上がった。人工知能とロボット化の可能性は、宇宙主義とそのマトリックス内で生成される未来学的アイデアへの関心の新たな急増を引き起こした。


He (Fedorov) defines “Ptolemaic” art as the creation of "imaginary similarities," that is, art that is satisfied only with the imaginary resolution of those conflicts to which it refers. Copernican art, in Fedorov’s formulation, is the active creative transformation of reality in order to achieve material resurrection.

フョードロフはプトレマイオス的芸術を「想像上の類似性」の創造、すなわち、それが言及する紛争の想像上の解決だけで満足する芸術と定義した。フョードロフの定式化におけるコペルニクス的芸術とは、物質的な復活を達成するための現実の能動的変換である。

[ Arseny Zhilyaev: "Artist as Co-producer of God" ]

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