ロシア宇宙主義についてのノート・調べものメモ

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西洋のエソテリシズムと神智学者たち


神智学者たちと西洋エソテリシズムとの関わりについては、リュック・ブノワ(1976)によれば...

七 神智学者たち

宗教改革はいっさいの秘教からきわめて縁遠かったが、秘教的なある種の渇望には間接的に、また「職能からして」こたえるものがあった。新教が、とくに擡頭期において、たとえばヤーコプ・ベーメ(1575-1624)のような特異な人間を容れる余裕があったのは、右の点に由来している。

ヤーコプ・ベーメは、錬金術的医師や占星術師たちのあいだにあって、言語表現の才に恵まれた真の《受霊者》として、彗星のごとく出現した。これらパラケルス(えの後継者たちは、公式の新教徒の社会のやや外側に生きていたのである。ベーメはヘルメス学の語彙を使用Lた。西欧では、ギヒテルとともに、ただべーメのみが人 問の心霊の中心という観念を知り、これを応用した。エックハルトのように、ベーメもまた「神の子」の永遠の生誕と「言」による神格化とを語っている。形而上学における「非存在」に相当する彼の無限定な「無根底」(Unground)の思想は、そこから由来したものである。彼は、スコラ学の論理の不変性に反対して「内的叡智」 の方法論的発展を唱えた一系列の思想家に属している。この「内的叡智」という考えは、ニコライ・ベルジャー エフがしぱしば言ったように、ギリシア正教のソフィアの観念と符号するものである。

神性はいかにして、なぜ世界を創造したのか--ベーメはこの問いに自分の言葉で答えようと試みた。彼の答 えは口ごもりがちである。なぜなら、彼にとって世界の創造主は大いなる秘密 (Musterium Magnum)だからである。彼は受霊者として、いっさいの実体が《無根底》からほとばしり出るのを見る。《無根底》は絶対の自由、というか、ライプニッツやゲノンならそう呼んだであろうような「普遍的可能性」だからである。ヤーコプ・ベ ーメは、ドイツの形而上学者たちと同じく、可能態のもつ能動的な多産性という面を重視した。その第一の実体 は、すでに見たように「叡智」である。「叡智」の本質は二面性を有しており、すなわち神性それ自身のイメージであり似姿であると同時に、人間における神性のイメージであり似姿でもある。それは、かつてヘルメス学の宇宙論によってあたえられたような両性具有的性格をそなえている。反対の一致は、人間が自分の内に事物の多様な《徴し》を統合しようとした思想にかならずみられる特徴なのである。人間は「叡智」と 徴しによって世界の 似姿であり、神の似姿でもある。

ベーメが受けついだエックハルトの精神は、アンゲルス・ シレシウス(1624-1677)の詩的感興をも刺戟した。この人物は、ヤーコプ・ベーメの友人でまたその本を出版し伝記も書いたフランケンベルクと親交のあった人である。彼がたどったのは愛の道で、その表現は詩人の言語である。彼は詩の中で、相反する二元性をぷっきらぼう な言い方で短く表現することを好んだ。たとえば、「神はわたしなしでは何ごともなしえない」、「神は純粋な虚無である」、「わたしは神のごとく、神はわたしのごとく」など、一見単純な逆説だが、意味内容は豊富で、ベーメふうの精神が強く反響しており、その影響はとおくロマン派の詩人にまで及んでいるのである。

[ リュック・ブノワ (有田忠郎 訳): "秘儀伝授 : エゾテリスムの世界", 文庫クセジュ, 白水社, 1976, pp.130-132]





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