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wikipedia:スラヴの神 ロード

wikipedia:Rod (スラヴ信仰の神ロード)


東スラヴ人および南スラヴ人のキリスト教以前の宗教では、ロード(Rod, スロベニア語、クロアチア語: Rod、ベラルーシ語、ブルガリア語、マケドニア語、ロシア語、セルビア語キリル文字: Род、ウクライナ語キリル文字: Рід)は、おそらく家族、祖先、そして運命の神である。最高神として。 南スラヴ人の間では、彼はスッド(Sud, 裁判官)としても知られている[1]。彼は通常、ロジャニツァ(Rozhanitsa)の神々(南スラブ人の中ではスドゼニツィ)とともに言及される。 初めての散髪(ポストリツィニィ)は彼に捧げられ、そのお祝いの中でロードとロジャニツァには食事と切られた髪が供えられた[2]。彼の崇拝は時間の経過とともにその重要性を失い、9世紀か10世紀に彼はペルーン(雷神)、やスヴァログ(火の神)やスヴェントヴィト(西スラヴの神)に取って代わられた。これがウラジーミル公のパンテオンにロードの名がないことを説明している[3][4][1]。
語源

ロードの名前は、キリスト教以前のスラヴ宗教に関する古代教会スラヴ語および古東スラヴ語の資料で確認されている。この名前は、「家族」「誕生」「起源」「氏族」を意味するスラヴ祖語の「rodъ」に由来するが、「産出」「収穫」も意味し、この言葉は、インド・ヨーロッパ祖語の根を意味する「wréh₂ds 」に由来する。[5] Aleksander Brücknerは、また、この名前が「守護者」「番人」を意味するアヴェスター語のrada-と類似していると指摘している[6]。
ソース

ロードについて言及した最初のソースは、11世紀の異教徒がどのように偶像に屈したかについての「Word of St. Gregory Theologian(聖グレゴリオ神学者の言葉)」である。[7]
This word also came to the Slavs, and they began to make sacrifices to Rod and rozhanitsy before Perun, their god. And earlier they sacrificed to ghosts (upyrí) and beregins. But also on the outskirts they pray to him, the cursed god Perun, and to Hors and Mokosh, and to the vila(s)—they do this in secret.

この言葉はスラヴ人にも伝わり、彼らは神ペルーン以前に、ロードとロジャニツァに生贄を捧げ始めた。さらに以前、以前、彼らは幽霊(ウピリ)とベレギンに生贄を捧げていた。しかし、田舎でも彼らロードと、呪われた神ペルーンとホルスとモコシ、そしてヴィーラに祈る。彼らはこれを秘密裏に行っている。

「Word of Chrystolubiec(クリストルビエツの言葉)」は、ロードとロジャニツァに捧げられた祈りについて次のように説明している。[8]
... and we mix some pure prayers with the cursed offering of idols, because they put an unlawful table in addition to a kutia table and a lawful dinner, designed for Rod and rozanitsy, causing God's anger.

...そして、我々は純粋な祈りと呪われた偶像への捧げものを混合する。なぜなら、彼らはクティアと合法的な夕食に加えて、ロードとロジャニツァのために用意された違法な料理を置き、神の怒りを引き起こしたからだ。

15世紀の福音書に関する手書きの解説の中で、ロードは人間の創造者としてキリスト教の神を否定している: [9]
So Rod is not sitting in the air, throwing clods to the ground, and from this children are born [...] because God is the creator, not Rod

ロードは天上に座って、土塊を地面に投げ、そこっから子どもたちが生まれたはずがない。なぜなら、創造主は神であって、ロードではないからだ。

Saint Sabbas of Storozhi」の「Penitential」に記述されているように、正教聖書者の告解が示す通り、16世紀ルーシでは、まだまだロード崇拝は広まっていた:[10]
Did you make offerings disgusting to God together with women, did you pray to the vilas, or did you, in honor of Rod and rozhanitze and Perun and Hors and Mokosh, drink and eat? Three years of fasting with obeisances.

あなたは女性たちと一緒に神に嫌悪感を与える捧げ物をしたか? ヴィーラに祈ったか? ロードとロジャニツァ、ペルーン、ホルス、モコシを讃えて飲んだり食べたりしたか? それは3年間の礼拝と断食。
信仰

民族学者Halyna Lozkoによれば、ロードの祝日は12月23日に祝われた[11]。あるいはチェコの歴史家・考古学者Naďa Profantováによれば12月26日に祝われた[12]。ロードとロジャニツァは、パン、蜂蜜、チーズ、ひき割り穀物(クティア)の形で無血の生贄が捧げられた[13][11]。クティアを食べる前に、ヴォルフフ(スラヴ古代信仰の聖職者)あるいはジェレツァの役割を果たした家族の父親が、最初のスプーンを聖なる隅に投げた。この習慣は今日に至るまでウクライナに存在している[11]。それから宴会は台形の形をしたテーブルで始まりまった[13]。祝宴の後、彼らはロードとロジャニツァに「すべての良いものが生まれますように」と祈った[11]。

「Word of Chrystolubiec(クリストルビエツの言葉)」に記されているように、キリスト教化後もルーシではロードに捧げられる祝祭が依然として行われていた[8]。キエフに聖ソフィア大聖堂ができて最初の数年間、異教徒たちはコリアーダ(クリスマスと公現祭の間)を祝うためにここにやって来たが、後にコリアーダは厳しく罰せられた。ロードの教団の残滓は 19 世紀まで存続することになった[11] 。
解釈(学者の意見)

Boris Rybakov

Boris Rybakovが提示したコンセプトによれば、ロードはもともと第1千年紀の家父長制農耕社会の時代のスラブの主神であった[14]が、後に低い地位に押しやられた。このことが、ウラジーミル公のパンテオンにいない理由である。Rybakovは「Word of St. Gregory Theologian」の「スラヴ人は、最初はWraith (幽霊)に生贄を捧げ、次にロードとロジャニツァに生贄を捧げ、最後はペルーンに生贄を捧げた」という記述に基づき、これはアニミズムから自然力信仰を経て、単一神教にいたるスラヴ信仰の進化を反映したものであるだとした[4][5]。ズブルチの偶像として知られる彫像は、Rybakovの紺瀬宇プとによれば、スラヴ主神たるロードをかたどったものである[4]。

Rybakovは、円と螺旋のシンボルは、ロードの異なる位階を示すものだと考えている。そのようなシンボルに「円に刻まれた6つの花弁を示すロゼッタ()と雷のシンボル ()がある[16]。

Leo Klejn and Mikola Zubov

Klejn and ZubovはRybakovの発見を批判した。Rybakovは著書の中で、スラヴ人の最高神はロードであり、ペルーンはドルジーナの守護者としてウラジーミルによってのみ紹介されたため、Vainakh(ヴァイナフ)人はペルーンを借りることはできないと主張した。しかし、これはスラヴ全土にペルーンの痕跡があることと矛盾している。彼らは、テキストの元のソースの痕跡を特定し、特定の古いロシアのテキストが作成された歴史的文脈にそれらを復元する必要があると主張している。彼らは、古いロシアの作家がロードとロジャニツァを記述する際に、他のソース、主に聖書やギリシャ神学者の著作から借用した既成の意味ブロックを使用したが、それらは誤解されていたと信じている。ビザンツ帝国では、占星術は「genealogy(系譜)」と呼ばれ、文字通りrodoslovo (ロドスロヴォ)」と翻訳できる。したがって、彼らは、ロードと先祖の崇拝はキリスト教以前のスラヴ人の宗教には存在しなかったと信じている。Zubovはまた、東スラヴの信仰には、神々の広範な系譜はなく、ペルーンだけが唯一の神だと考えている[17][18]。

Aleksander Gieysztor

Gieysztorはロードを社会組織の神だと考えている。GieysztorはBenvenistにちなんで、ロードをローマ神話のクゥイリーヌスや、ウンブリ(Umbri)の神Vofionusや、ケルトの テウタテス (Toutatis)に比している。クゥイリーヌスの名は「covir」あるいは「curia(クリア, 古代ローマにおける市民団区分の一つ)」に由来し、「夫たちのコミュニティの神」と訳すことができる。ウンブリの神Vofionusの名は印欧語のleudhoや、アングロサクソンleode(人々)や、スラヴ語のludieやポーランド語のludzieに類似した語源を持っている。ケルトの テウタテスの名はケルトの「家族」を意味するteutaから来ている。しかし、Gieysztorは、ロードをインドのルドラには比していない[19]。

豊饒と富の機能のため、彼はベラルーシのスポルをロードと同一視しており、その名前は「豊かさ」、「多さ」を意味する[20]。

Andrzej Szyjewski

Szyjewskiによれば、ロードは「精神的な連続性(rodoslovo)の象徴として家族の絆の概念を体現している」という。 ロッドはまた、死者の魂をヴィラージに導き、その後、魂は土塊の形で我々の世界に送り返すか、ヨタカやコウノトリに託されること[21]。

Fyodor Kapitsa

民俗学者Fyodor Kapitsaによれば、ロード崇拝と先祖崇拝は時が経つにつれてほぼ完全に忘れ去られた。ロードは幽霊に転換された。家族の支援者、「家のおじいさん」のちに新生児の守護者と先祖崇拝となった。ロード崇拝の痕跡は主として、日々の生活に見られる。ロード崇拝の痕跡は、死者を崇拝する死者の日(聖木曜日)やラドニツァ(復活祭後の最初の週の火曜日)などのロシア正教の祝日などである。

11〜12世紀のキエフ大公国の時代、ロードへの崇拝は王子たちにとって特に重要だった。というのは、ロードは氏族統一の守護者とみなされ、王位と祖先の土地への権利がそれに寄って立つものだったからである。

豊饒は常に女性性と関連付けられてきたため、ロード崇拝は伝統的に女性的だった。したがって、女性の巫女はロード崇拝と結びつき、ロードに生贄を捧げたり、年に数回特別な祝宴を組織したりすることになっていた。パン、ポリッジ、チーズ、蜂蜜がごちそうのために用意され、そのような食事が祭壇に置かれた。そこには人間の目には見えない神々が現れると信じられていた。ロードは人々を病気から守るために呼び出されることもあったが、ロジャニツァはこの儀式において重要な役割を果たした[22] 。

Oleg Kutarev

Kutarevは、ロード崇拝と、南スラヴのストパンおよび東スラヴのドモヴォイ崇拝との類似点に注目している。いずれもに食事が与えられ、運命を管理し、先祖の崇拝と結びついていた[23]。

Viljo Mansikka

ロシアとフィンランドの文献学者Mansikkaは、ギリシャ語の「τύχη」(týchi、幸運)がスラヴ語のロードと訳され、「είμαρμένη」(eímarméni、運命)がロジャニツァと訳されることがある、と指摘している[24]。

Jan Máchal

チェコのスラヴ学者Máchalは、ロードは男性の祖先を代表する神であり、ロジャニツァは女性の祖先を代表する神であると主張した[25]。

Halyna Lozko

Halyna Lozkoによれば、ウクライナ人にとってロードは神々の上位にある神だったという。神は命の与え主であり、天国に留まり、雲に乗って人間に運命を割り当てる。ロードは、1人の祖先の子孫の擬人化であり、つまり、彼は死んだ祖先、生きている人々、そしてこれから生まれる世代といった家族全体と関連付けられていた。時間が経つにつれて、ロードはドモヴォイとなり、その像を多くの家族が所有した。ロッドとロジャニツァのイメージは、生命の木のモチーフとしてラシニクにも登場することになる。20世紀の民族誌的発見には、家系図をイメージした小屋のドアが示されている。この木の葉には男性が、花には女性が描かれていた。誰かが死ぬとき、名前の横に十字が描かれ、誰かが生まれるとき、新しい小枝、葉、または花が描かれた[11]。
References
  1. Szyjewski 2003, p. 192.
  2. Szyjewski 2003, p. 193.
  3. Wilson 2015, p. 37.
  4. Strzelczyk 2007, pp. 173–174.
  5. Derksen, Rick. (2008). Etymological dictionary of the Slavic inherited lexicon. Brill. p. 437. ISBN 978-90-04-15504-6. OCLC 804200586.
  6. Brückner 1985, p. 340.
  7. Szyjewski 2003, p. 170.
  8. Brückner 1985, p. 170.
  9. Polakow 2017.
  10. Brückner 1985, p. 174.
  11. Losko 1997.
  12. Profantowa 2004, p. 192.
  13. Brückner 1985, p. 58.
  14. Gieysztor 2006, p. 285.
  15. Gieysztor 2006, p. 205.
  16. Ivanits 1989, p. 17.
  17. Andrey Beskov. "Язычество восточных славян. От древности к современности" (in Russian). Retrieved 2019-08-02.
  18. Klejn 2004, pp. 232–233.
  19. Gieysztor 2006, pp. 204–205.
  20. Gieysztor 2006, p. 207.
  21. Szyjewski 2003, pp. 192–193.
  22. Fyodor Kapitsa (2008). "Славянские традиционные праздники и ритуалы: справочник". Retrieved 2019-07-19.
  23. Oleg Kutarev (2013). "Характеристика Рода и Рожаниц в славянской мифологии: интерпретации Б. А. Рыбакова и его предшественников".
  24. Mansikka 2005.
  25. The Mythology of All Races (1918), Vol. III, Section "Slavic", Part I: The Genii, Chapter IV: Genii of Fate, pp. 249–252
  26. Aitamurto 2016, p. 65.
Bibliography
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  • Gieysztor, Aleksander (2006). Mitologia Słowian (in Polish). Warsaw: Wydawnictwa Uniwersytetu Warszawskiego. ISBN 83-235-0234-X.
  • Strzelczyk, Jerzy (2007). Mity, podania i wierzenia dawnych Słowian (in Polish). Poznań: Dom Wydawniczy Rebis. ISBN 978-83-7301-973-7.
  • Brückner, Aleksander (1985). Mitologia słowiańska (in Polish). Warsaw: Państwowe Wydawnictwo Naukowe. ISBN 83-01-06245-2.
  • Ivanits, Linda J. (1989). Russian Folk Belief. M. E. Sharpe. ISBN 0765630885.
  • Wilson, Andrew (2015). The Ukrainians: Unexpected Nation, Fourth Edition. Yale University Press. ISBN 978-0300219654.
  • Polakow, Aleksander (2017). Русская история с древности до XVI века (in Russian). Litres. ISBN 978-5040094677.
  • Aitamurto, Kaarina (2016). Paganism, Traditionalism, Nationalism: Narratives of Russian Rodnoverie. Routledge. ISBN 978-1472460271.
  • Losko, Halynaa (1997). Rodzima wiara ukraińska (in Polish). ISBN 8385559264.
  • Mansikka, Viljo Jan (2005). Религия восточных славян (in Russian). Gorky Institute of World Literature. ISBN 5920802383.
  • Klejn, Leo (2004). Воскрешение Перуна. К реконструкции восточнославянского язычества (in Russian). Eurasia. ISBN 5-8071-0153-7.
  • Pokorny, Julius (2005). Indogermanisches etymologisches Wörterbuch (in German). Francke. ISBN 3-7720-0947-6.
  • Profantová, Naďa (2004). Encyklopedie slovanských bohů a mýtů (in Czech). Libri. ISBN 8072772198.





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