- 熱心なクリート宗派の女神ルカの信者で、潔癖なまでにル・マンティスの信仰を嫌っていた。捕虜への虐待や無意味な拷問などの残虐な行為に走ることはなかったが、戦闘における敵への容赦のない戦術ぶりは、ル・マンティス軍を震え上がらせた。
- 聖地クーティが軍に思惑を反映させるために送り込んだ軍師であるという説がある。彼女自身にその自覚があったのか不明だが、たしかに聖地の意図を汲んで動くこともあった。
- アークナイン奪還戦は、クリートが必勝の構えと備えで行った戦いであり、勝利は約束されていた(少なくともクリートはそう思っていたし、事実、そうなった)。その後の残党兵掃討においても、彼女の部隊には大袈裟すぎるほどの兵員が補充された。そのため、本当の実力はたいしたことがなかったのではないかという説がある。
- 聖地クーティは彼女の戦功を盛んに宣伝し、その働きを褒め称えた。そして、大々的な支援を与えた。
- 大神官マヌクを、偉大なる女神ルカ信仰の体現者として盲信していた。
- 柔軟性に欠けるところがあり、極力無駄を省いた緻密で精度の高い、言い換えれば余裕の無いタイトな作戦を好んだ。そのため、自軍が有利な状況では確実かつ想定以上の勝利を拾えるが、戦力が拮抗してくると些細なトラブルで作戦全体が崩壊し、立て直しが利かなくなることがあった。第一次レブン要塞奪還戦での敗北はそれが原因である。
- 上記の性格から、戦力的に余裕があっても、予備戦力として温存したり必要以上の大量投入で敵に圧勝したりするよりは、別働隊などの別任務に就けたりすることでとにかく「兵を遊ばせない」ことに腐心した。そのため、一般兵からの評判は芳しくなかった
- ル・マンティスが引き渡しを拒否した理由には、その時にはすでに彼女に恨みを持つ前線兵によって殺されていたから、という説がある。著名なはずの彼女を、捕虜にしたと喧伝し、その上引き渡しを拒否したにも関わらず、公開処刑ではなく秘密裏に処刑したという不自然さが、その説の根拠である。
- 処刑後、聖地クーティは彼女の死を悼み、ル・マンティスの非道を糾弾した。見ようによっては、死んだ後も教団に利用され続けたことになる。
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