基本情報


略歴

メッツ帝国の将。
代々猛将の家柄で、帝国建国時代からの血筋を誇りとしていた。
1737年5月、ヴァン・フレイ国のルナティスの要請により、メッツ、ティネゼリア連合軍はロヴェリア遠征を行い、グラシスはメッツ帝国軍の指揮官を務める。この二国は過去の因縁もあり、元々不仲ではあったが、ロヴェリアに眠る水晶が目的であり、ルナティスによって目の前に置かれた餌があまりにも魅力的だった為、仕方がなく組まれた連合軍である。

ロヴェリア侵攻を終えた後の1738年、メッツ帝国は、フェローラ国という後ろ盾を失ったルーン国へ突然の侵略を開始し、グラシスの指揮する部隊は、巨大な敵がいなかったとはいえ連戦連勝を重ねた。しかし、ティネゼリア帝国も同時にルーン国へ侵攻したため、両国は直接対決こそ避けたが、水面下での足の引っ張りあい、そして時には小競り合いも起こしいている。

その後、六界連合軍によるルーイガルド侵攻作戦がはじまると、ティネゼリアラ・ディアス帝国と同じく「遠隔植民地が得られる」と考えてこれに参戦、グラシスはメッツ帝国派遣軍の指揮を任された。
ルーイガルド17327年、カティアの戦いにおいて連合軍は大勝、楽勝ムードが高まる中、手柄が分散することを恐れたティネゼリア帝国のシュバインは、ビアスコア帝国へ艦隊を先行出陣させる案を出す。グラシスは、ティネゼリア帝国の提案に乗ることは不満だったが、手柄は必要だったため賛同。サルファーエリシアフローラといった主だった軍師が乗り気ではなかったが、手柄を焦る軍勢の意見を説得することはできずに実行され、その結果ストリアールの戦いにおいてダルスバード艦隊を失う。
グラシスはストリアールから命からがら脱出し、ハイネスブルの戦いで壊滅的打撃を受けた地上部隊とかろうじて合流する。
一連の失態から、以後は萎縮してしまいそれまでの傲慢さは消え、軍師たちの案に素直に従い、カスタリアの戦いにおいては後方警戒部隊として戦場に参加すらしていない。

連合軍が陸路と海路の二手に別れた時は陸路部隊に編入され、17328年ガルーダ攻略戦に参戦するが、そこでビアスコア帝国の将軍となっていたシュバインと再会、寝返りを罵るが、力及ばず彼女によって討ち取られた。

人物

  • 長年の因縁があるティネゼリア帝国を快く思わないが、ロヴェリア遠征では連合軍を指揮する等、単純に感情に流されず、状況によって冷静な判断を下す力を持つ。この点においては同じ立場でありながら、最後まで頑なに協力を拒んだシュバインとは異なる。しかし、最後はそのシュバインに討ち取られ、無念の言葉を残した。

関連項目

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