基本情報


略歴

イージル国出身の内政官であるが、学者としての方がはるかに有名である。
677年に仕官し、内政官として同国の政治に関わる傍ら、ヴァイグ高地を中心とした同国の地理、生態系に関して同国に伝わる資料を収集整理し、彼女自身も現地で調査を行うなど地理学者として活躍した。
彼女の行った調査記録は683年12月に「ヴァイグ地誌」として上梓され、イージル国の内政で重要な資料になるはずだった。
しかし、イージル国はシャリアル国に攻められ滅亡。
この時、メスローによる仕官の誘いを断ったゼラニアは、処刑こそされなかったもののイージル城の地下牢に幽閉され、その後約7年間、獄中での生活を余儀なくされる。

バルドの国替え(693)によってイージル城バルド領となった際、彼女はイージル城に幽閉されたままとなった。
バルド国はゼラニアを牢から釈放したもののボルゾックは彼女の専門知識である地理に全く興味を示さなかったため、軍師だったデスレーダが彼女の後見となり、学者として専念させることとした。
そのデスレーダが仕えていたバルド国が滅亡した後(695)、デスレーダの自宅を訪れたベルザフィリス国の軍師ディルセアは、応対に当たったゼラニアに興味を抱き、ベルザフィリス国の内政官として政治の表舞台に復帰するようゼラニアに提案。
彼女はこの提案を受け入れ、696年には正式にベルザフィリス国に任用された。(バルド国時代は学者に専念し、内政に関わっていないため、民間人扱いとなっている)
以降は、イージル城を中心としたベルザフィリス国南部で内政官として活躍。
国崩れの乱にも巻き込まれること無く、現役のままその生涯を全うした。

人物


関連項目

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