基本情報


略歴

アル国の将軍。
ザグルスの副将として共に北方に配置され、ラウラの戦いにも参戦、以後もロッド国への警戒に当たっていたが、ルドリアの南征に出陣するために南方へ移動、この戦いで国主ルドリアが戦死すると、ザグルスの野心を察し、政変に協力する。
ザグルスの横暴に抗議に来たフェルドメネシスを会見の場に誘い出し暗殺したのは、彼女と直属の兵士たちである。

その後はザグルスの参謀格として動くと同時に、共に恐怖政治によって民衆を苦しめ続け、あらゆる「私刑」を民衆に試した。
メスローから提案されたルーディア包囲網には率先して参加を促し、ロイアの戦いでは、メリアと共にザガを討ち取り、リッドゾーンの戦いではルーディアをあと一歩まで追い詰める等、ベルザフィリス国との戦いを有利に進める。

シャリアル国やバルド国とより強く連携し、力を付け切る前にベルザフィリス国を討つべきだと進言するが、ベルザフィリス国の力を侮り、シャリアルバルド国に苦労を押し付けたいザグルスは、この進言を採用することはなかった。

しかし、第2次ラウラの戦い(695)に勝利するものの、この戦い自体がベルザフィリス国の策略であり、この頃を境に力関係は逆転し、アル国最後の戦いとなるル・ヴァラヴァ・ザードの戦い時は首都の守備の一切を任され、裏切りが発覚したルーザ一族の公開処刑にも携わった。
ザグルスの息子達がベルザフィリス国へ降伏に出向いた際に、自分がベルザフィリス国に受け入れられることはないと考えて出奔。
以後は暫く行方が判らなくなるが、アル国滅亡後、数年にわたり旧アル国領内で山賊が各地で出没することになり、その際に姿が確認されている。
幾度となく討伐隊が派遣されるも、その度に要領よく逃げ回りベルザフィリス国の悩みの種となるが、アル国滅亡から5年が経過した702年についに捕らわれ、アル城にて公開処刑された。

人物

  • 北方に配置されていた頃は温厚な性格で同僚や民からの信頼も高かったが、ザグルスが国主になってからは自らも反乱の鎮圧時に残酷な処刑法を実行したりと、残虐性が目立つ性格に豹変したと伝えられている。
  • 徐々に旗色が悪くなる中でも常にザグルスに進言は行っていたが、彼女自身はザグルスの性格を嫌というほど熟知しており、エンパイアコスモスへの反対等、処刑されかねない献策だけは絶対に行わなかった。
  • アル国家臣が討伐隊として派遣された際には投降を促されるが、「今更私のような道を外した人間が受け入れられるとは思っていない。暴君を補佐し支えると決めた時点から覚悟は決まっている」と拒否、彼女の処刑には多くの旧アル国民衆が立会い、歓喜の声を上げた。

関連項目

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