逆立して現われる
共同性の中の人間という場合は、人間はあたかも観念が肉体であり、肉体が観念であるかのように逆立して現われるわけです。具体的には、みなさんが、あるキリスト教団の一員として存在する場合を想定して下されば、論理としてはわからなくても、実感としてはわかってくれるのではないかと思われます。これはどんな小さな共同体でも同じなのです。また大きな共同体、たとえば国家の場合では、参加しているのは観念だけであって、肉体の方は市民社会の中に存在しています。
(「自己とはなにか」昭和46年5月30日大学セミナー・ハウス主催での講演 「敗北の構造」1972.12.15弓立社社に収録された)
隆明鈔--吉本隆明鈔集
(「自己とはなにか」昭和46年5月30日大学セミナー・ハウス主催での講演 「敗北の構造」1972.12.15弓立社社に収録された)
- そうだな、まったくその通りだと思います。国家というのは実際に存在しているわけなのだが、私たちはただ観念だけでそこに参加していると思い込んでいる。実際に国家とは何かというと、私たちには実感としてとらえることはとても困難なものに思えている。それなのに、実際には国家によって、動かされてしまっているところがたくさんあるわけだ。
隆明鈔--吉本隆明鈔集
2006年12月09日(土) 13:39:08 Modified by shomon