高橋和巳の文学上のミス
高橋和巳さんが亡くなって、奥さんが「群像」に書いた文章がありますね。僕はもしもこういうように家の目とか、女房の目でやられるならば、高橋さんはミスしたというふうに思います。つまり高橋さんは漱石でいえば『道草』みたいな作品を書くべきだったと思いますね。書かないで、女房からああいうふうに、ああゆうふうにという意味合いは、ああゆうふうに率直にという意味合いと、ああゆうふうに軽薄にという意味合いと両方ありますけれども、やられるということは、高橋さんの文学上のミス、作品上のミスだと僕は思っています。
(1971.08.09小川国夫との対談。「家・隣人・故郷」という題名で、「文藝」1971年10月号に掲載。「どこに思想の根拠をおくか」1972.5.25筑摩書房に収録された)
隆明鈔--吉本隆明鈔集
(1971.08.09小川国夫との対談。「家・隣人・故郷」という題名で、「文藝」1971年10月号に掲載。「どこに思想の根拠をおくか」1972.5.25筑摩書房に収録された)
- 私はこの「群像」の文章を読んだときに、この高橋たか子を「なんていう悪妻なんだろう」と思ったものでした。そして「漱石の思い出」を書かれた漱石に倣って、あらかじめ「道草」を書いておくべきだったよなと、和巳のことを思いました。だから、この吉本さんの言われるのは至極適確です。……でも、当時私は吉本さんのこと言い方に、「それじゃあまりに吉本さん、和巳に厳しすぎるよ、和巳が可哀想だよ」と思っていたものでした。今、ますます忘れられていく和巳を思いますと、やはり吉本さんの言われる通りなのですが、私はどうしても和巳が可哀想です。
隆明鈔--吉本隆明鈔集
2006年12月09日(土) 13:40:54 Modified by shomon