詩作の過程に根拠をあたえる
わたしのように、かきたいことをかく、といった無自覚な詩作者のばあい、詩の体験はいつもさめたあとの夢ににている。そのあとに意識的な光をあてておぼろ気な筋骨のようなものをとりだすことはできる。だが、詩的体験からひとつのさめきった理論をみちびきだすことは、とうていおぼつかないのである。いまわたしは詩についてある転換のとば口にたっている。予想もしなかったことだが、自覚的な詩作へというかんがえがときどきこころをかすめてゆく。詩作の過程に根拠をあたえなければ、にっちもさっちもいかない時期にきたらしいのである。そのためかどうか、ここ二年ほどは、あたらしく詩をかく機会は数えるほどしかなかった。
(「詩とはなにか」1961年「詩学」6月号に発表され、「模写と鏡」1964.12.5春秋社に収録された)
隆明鈔--吉本隆明鈔集
(「詩とはなにか」1961年「詩学」6月号に発表され、「模写と鏡」1964.12.5春秋社に収録された)
- 最初私は「詩の体験はいつもさめたあとの夢ににている」という言葉にひきつけられました。私はよく夢を見ることがあるからです。でもだんだんと読んできますと、吉本さんがいう「根拠をあたえる」ものとは、「言語にとって美とはなにか」をはじめとする吉本さんの仕事なのだと思い当たりました。でもそうなるとそれ以前の詩は、「無自覚な詩作」なのでしょうか。私にはそう思えなかったものですから、「えッ」と驚いてしまうわけです。そしてそうなりますと、自覚的とされるだろうその後の詩ももっと見ていかなければなりません。
隆明鈔--吉本隆明鈔集
2006年12月05日(火) 23:58:26 Modified by shomon