実朝の死
律令制王権と幕府の妥協が、実朝詩人の死とともに滅ぶことで、極点までつきつめられたとき、武士団と王権の対立抗争時代に入ることになります。時代を実朝の暗殺者とすれば、実朝の暗殺のされ方は、まことに見事だったとおもいます。それが一人のすぐれた詩人によって象徴されたということも、たいへん珍しいことだといえるとおもいます。
(「実朝論」1971.6.5・12筑摩総合大学講座講演於紀伊国屋ホール 1971.9「展望」に掲載 「敗北の構造」1972.12.15弓立社に収録された)
隆明鈔--吉本隆明鈔集
(「実朝論」1971.6.5・12筑摩総合大学講座講演於紀伊国屋ホール 1971.9「展望」に掲載 「敗北の構造」1972.12.15弓立社に収録された)
- 実朝の死により承久の乱がおきることになる。右大臣実朝と征夷大将軍実朝の存在そのものが、王権と鎌倉武士団との妥協の産物であったのだろう。「出ていなば主なき宿と成りぬとも軒端の梅よ春をわするな」。これが殺される当日詩人の歌った辞世である。
隆明鈔--吉本隆明鈔集
2006年12月09日(土) 13:40:16 Modified by shomon