人間が鳥であった時
人間が鳥であった時は、どういう時であったかというと、一つには胎内にあった時であったに違いありません。それから、もう一つは死に瀕した時に、そこを通るに違いないということです。
人間が胎内に宿って、それから体外に誕生してくるまでの一〇カ月の間に、系統発生的に、アメーバから猿へ、そこから人間までのあらゆる段階を通過してくるのだという言い方がありますが、そういうものだとすれば、どこかで鳥の時代も通過しているかもしれません。それから人間が死ぬ時に、たとえば病気であろうと事故死であろうと、死にかけた時から死ぬ時までに、胎内の時代から生涯を全部通過するとすれば、そのどこかで鳥瞰の映像を、人間はもちうるはずではないかということです。
(1987.7河合塾名古屋校講演 「幻の王朝から現代都市へ−ハイ・イメージの横断」1987.12.1河合文化教育研究所に収録された)
隆明鈔--吉本隆明鈔集
人間が胎内に宿って、それから体外に誕生してくるまでの一〇カ月の間に、系統発生的に、アメーバから猿へ、そこから人間までのあらゆる段階を通過してくるのだという言い方がありますが、そういうものだとすれば、どこかで鳥の時代も通過しているかもしれません。それから人間が死ぬ時に、たとえば病気であろうと事故死であろうと、死にかけた時から死ぬ時までに、胎内の時代から生涯を全部通過するとすれば、そのどこかで鳥瞰の映像を、人間はもちうるはずではないかということです。
(1987.7河合塾名古屋校講演 「幻の王朝から現代都市へ−ハイ・イメージの横断」1987.12.1河合文化教育研究所に収録された)
- 地球に生命が誕生して、人間が魚から次第に哺乳類に進化していった過程で、鳥であったことがあるのだろうか。たしかにそう考えると、なんだか私たちの無意識の奥の意識の中に、そんなことの記憶があるように思えてくる。その過去たどった進化の過程を、人間は誕生と死の時にまた通過しているのかもしれない。
隆明鈔--吉本隆明鈔集
2006年12月10日(日) 14:11:02 Modified by shomon