戦争
ほんとうに錆びてない槍を幻視したいなら、また戦争をみたいのなら、わたしたちのなんの変てつもなさそうな日常の周辺を視れば充分である。この平和な日常性に戦争を視る方法をもたないものが、どこで戦争をみつけることができよう。かれらは戦争を、銃撃パンパン、斬り込み、ゲリラの槍、とおもいこんでいるのだ。ようするにチャンバラ小説クラスの想像力しかないのだ。戦争を体験し、いまはマイホーム父親になりすましている五十以上の男たちに、戦争って何だと訊ねてみるとよい。荷物ばかり背負うこと歩いてばかりいること……というような平凡で散文的で、きつい返答がはねかってくるだろう。自衛隊の幹部軍人などに訊ねてもだめだ。かれらは変身の方法をしらない頓馬な露出した戦争野郎であり、軍人として三流以下のハリコの虎である。ほんとうに優れた軍人、兵士であったもの、それは、たぶん、無気力なボロカバンを提げて、毎日、近づいた停年をおそれながら、会社に通勤しているような、中年のサラリーマンなどに変身しているにきまっている。だからこそ、このような人々の無気力さに畏敬と怖ろしさを視ることができないものには、たぶん永久に戦争も革命も視えるわけがないのだ。
(「情況への発言───切れ切れの発言───」1973.6「試行」39号1973.9に掲載 「詩的乾坤」1974.9国文社に収録された)
隆明鈔--吉本隆明鈔集
(「情況への発言───切れ切れの発言───」1973.6「試行」39号1973.9に掲載 「詩的乾坤」1974.9国文社に収録された)
- なんと軍事だ戦争だなどという手合いが多かったことだろうか。私たちの間にもたくさんいた。そうだ自分の父親を視てみればよかったのだ。そしてこうしてビルの谷間を鞄をさげてただ歩いているサラリーマンの姿にこそ革命が視えてくるはずなのだ。
隆明鈔--吉本隆明鈔集
2006年12月10日(日) 11:39:34 Modified by shomon