大衆はそれ自体として生きている
大衆はそれ自体として生きている。天皇制によってでもなく、理念によってでもなく、それ自体として生きている。それから出発しない大衆のイメージはすべて仮構のイメージとなる。ほんとうは、大衆の日本的な存在様式の変遷如何として設定されなければならない問題を、支配ヒエラルキーが思想的に天皇制から、ブルジョワ民主主義に変わった(あるいは変わりつつある)から、大衆的な課題は、民主主義の擁護または確立にあるといった仮構のイメージで捉えることになる。これは現在の丸山学派や類縁関係にある市民主義知識人のおちいっている一般的な錯誤に通じている。
(「丸山真男論」1962.1.15号から1963.2.15号まで「一橋大学新聞」に掲載され、「丸山真男論」1963.3一橋新聞部に収録された)
隆明鈔--吉本隆明鈔集
(「丸山真男論」1962.1.15号から1963.2.15号まで「一橋大学新聞」に掲載され、「丸山真男論」1963.3一橋新聞部に収録された)
- この錯誤のもとに、彼らは大衆を組織しようとするのだが、大衆は集まるわけがない。集まるのは、隣にいる同じ市民主義知識人だけなのだ。民主主義が守るべきものでも確立すべきものでもない、ただの約束事なのだということが少しも判っていないのだ。理念ではなく、ただのシステムなのだということが少しも理解できていないのだ。
隆明鈔--吉本隆明鈔集
2006年12月06日(水) 09:19:45 Modified by shomon