地獄を地獄で洗え
つまり、地獄は地獄で洗ったほうがいいのです。洗うというのは、どういうことかを申しあげます。日本の国家というのは、近代国家として、せいぜい百年、それから天皇制国家としてせいぜい千数百年です。それならば、天皇制国家以前に、国家以前の国家がなかったかとかんがえたら、歴史をまちがうことになるでしょう。天皇制統一国家以前は、まったく原始時代とか、未開時代とか、野蛮時代だったとかかんがえたら大まちがいであって、その以前に、国家以前の国家というのは充分にありえました。それから人はいつからこの列島に住んでいたんだといえば、旧石器時代またはそれ以前から住んでいるわけですから、一体その空白はどうしてくれるんだ、という問題はつねにあるのです。そういう問題を掘りかえしていきますと、伊藤博文が旧憲法を制定するに際してかんがえた天皇制国家、つまり、神聖にして侵すべからずという政治的国家は、案外他愛のないものであって、そんなに根拠があるものじゃないということがでてくるでしょう。ぼくは、地獄を地獄で洗うという追及の中から、この問題は、必ず出てくるとかんがえています。(「国家と宗教のあいだ」原題・緊急の思想的課題1970.4.29西荻南教会主催講演於杉並公会堂「海」中央公論社1970.7月号に掲載「知の岸辺へ」1976.9.30弓立社に収録された。「信の構造Part3全天皇制・宗教論集成」1989.1.30春秋社に再録。「語りの海吉本隆明1幻想としての国家」1995.3.18中公文庫に再録)
隆明鈔--吉本隆明鈔集
- ちょうどこの講演のあった前の日4・28というのは、いわゆる「沖縄デー」になるわけである。地獄である沖縄が、自らの手で地獄を洗っていくことにより日本の国家の根拠がいかに根底の浅いものであるかに到達できるはずなのだ。これは、「本土復帰」だの「沖縄奪還」などという当時の政治運動の浅薄さを超えた驚くべき指摘であった。
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2006年12月08日(金) 21:56:07 Modified by shomon