鳥瞰映像
人間が上から見る鳥瞰図、あるいは俯瞰図の映像をもつことができるのは、どんなときか考えてみます。するとすぐに二つのことが考えられます。
それはなにかと言いますと、人間が鳥であった時の記憶というものが、もし系統発生的に考えられるとするなら、ある瞬間には人間は鳥瞰する映像をもちうるはずではないかということです。
もう一つは、ランドサットの映像に匹敵するような、高度な映像技術を獲得したときには、人間は鳥と同じ、あるいはランドサットと同じような映像を視線のなかにもち得るのではないかということです。
この二つのことは、いずれも僕のハイ・イメージ論のための基礎的な考え方になりました。
(1987.7河合塾名古屋校講演 「幻の王朝から現代都市へ−ハイ・イメージの横断」1987.12.1河合文化教育研究所に収録された)
隆明鈔--吉本隆明鈔集
それはなにかと言いますと、人間が鳥であった時の記憶というものが、もし系統発生的に考えられるとするなら、ある瞬間には人間は鳥瞰する映像をもちうるはずではないかということです。
もう一つは、ランドサットの映像に匹敵するような、高度な映像技術を獲得したときには、人間は鳥と同じ、あるいはランドサットと同じような映像を視線のなかにもち得るのではないかということです。
この二つのことは、いずれも僕のハイ・イメージ論のための基礎的な考え方になりました。
(1987.7河合塾名古屋校講演 「幻の王朝から現代都市へ−ハイ・イメージの横断」1987.12.1河合文化教育研究所に収録された)
- 鳥としての眼で地上を見る視点、そして現在はランドサットから見る視点、こうした視線を人間がもつとき私たちのイメージは一変する。私たちは普通自分の背丈の何倍かの3次元の映像しか知らなかった。だがこうした鳥あるいはランドサットからの映像をもつときに、私たちはかなりもう現在がまったくあたらしい時間にはいりつつあることを感じてしまう。
隆明鈔--吉本隆明鈔集
2006年12月10日(日) 14:10:39 Modified by shomon