敗北の過程の体験こそ重要である
わたしは、どのように小さい闘争であれ、また、大きな闘争であれ、発端の盛り上がりから、敗北後の孤立裏における後処理(現在では闘争は徹底的にやれば敗北にきまっている)にいたる全過程を、体験したものを信じている。どんな小さな大衆闘争の指導をも、やらしてみればできない口先の政治運動家などを全く信じていない。とくに敗北の過程の体験こそ重要である。そこには、闘争とは何であるか、労働者の「実存」が何であるのか、知的労働者とは何であるのか、権力に敗北することとは何であるのか、を語るすべての問題が秘せられている。わたしが、安保闘争敗北後に来たるべき情況を可成り正確に判断し、そのなかで組織的壊滅をかけてたたかった者たちの心事を、わたしなりの仕方で断乎として擁護してきたのは、おおく、この時期の体験に依存している。敗北のすさまじさを労働者と大衆の「実存」の本質に照らして体験しないものには、指導ということの意味を理解することは不可能である。
(「過去についての自註」1964年2月 「初期ノート」1964.6.30試行出版部に収録された)
隆明鈔--吉本隆明鈔集
(「過去についての自註」1964年2月 「初期ノート」1964.6.30試行出版部に収録された)
- この吉本さんが語る吉本さん自身の「敗北」とは、吉本さんさんが「二番目の敗北の体験」と語る、会社づとめをしたときの労働運動のことなのです。徹底闘争を企て敗北したことを吉本さんは実に重要な体験としています。思えば、私自身にもいくつもの敗北の思い出があるわけですが、たしかに私も徹底してして闘ったからこそ、同じ体験の持ち主にこそ、連帯の気持を持つことができるのです。そして自分にも、あの敗北の体験こそが重要であると強く思うことができます。
隆明鈔--吉本隆明鈔集
2006年12月06日(水) 23:18:26 Modified by shomon