柳田国男の二つの中心
柳田国男は、あからさまな言葉を使っているばあいも、それから象徴的な言葉をつかっているばあいも、それからメタファー、暗喩みたいな言葉をつかっているばあいもありますが、ほんとうの関心は、さいごまで農耕民でない人たち、つまり「山人」と柳田国男が呼んだ農耕以外のことにたずさわっていた人たちにあったのではないかなとおもいます。柳田国男のなかには、二つの中心があって、一つの中心は農耕共同体のしきたりとか、伝承とか、その頂点にある天皇の宗教・婚姻・神話などだったとおもいます。もう一つの中心は、農耕民以外の人たちのたいする関心だとおもいます。柳田国男は天皇家がはじまって以降の日本の歴史に、それほどのおおきな比重をおいてなくて、むしろそれ以前の日本列島にそれ以前に住んでいる日本人にたいする強烈な関心がありました。その人たちへの関心が含まれないでは、日本人は、かんがえられないんだとおもいつづけていたでしょう。それは柳田国男のなかの矛盾といえば、矛盾といえるかもしれません。かれはこの矛盾を書き記してはいないようにおもいます。
(「わが歴史論」1987.7.5我孫子市市民会館で行われた「吉本隆明講演会」(主催我孫子市史編纂室)の速記記録に全面的に筆を入れ、「柳田国男論集成」1990.11JICC出版局に収録された)
隆明鈔--吉本隆明鈔集
(「わが歴史論」1987.7.5我孫子市市民会館で行われた「吉本隆明講演会」(主催我孫子市史編纂室)の速記記録に全面的に筆を入れ、「柳田国男論集成」1990.11JICC出版局に収録された)
- この二つの中心が日本に現れてくることの象徴のようにも思える。アイヌや沖縄での民芸をずっと見つめている柳田の眼の奥の優しさと、明治天皇を眼の前にして何故か涙が出てしまう柳田の存在が、どうしたって矛盾といえるのだ。だが、そうした傾向は私にだって存在しているのだ。
隆明鈔--吉本隆明鈔集
2006年12月10日(日) 14:10:12 Modified by shomon