老いの定義
漱石は最後にちかい作品『道草』のなかで、はじめてふと自分は何にたいして何のためかということができないが、精神が燃えていることを信じていたと、作中の主人公健三にいわせている。それが燃えつきたとき精神は生理に服従しなくてはならない。それが老いの定義だ。
では精神が生理に反抗して若づくりをしていれば老いはこないのだろうか。そんなことはない。少しずつ芯をほそくしてゆく仕方を発見することができなければ、やはり老いをことさらまねきよせてしまう。かつての時代になかったような生涯曲線のなかで、これを発見しなくてはならない現在の老いは、誰にとっても困難をきわめている。(熊本日日新聞に「老人の意識調査」として掲載され、「見えだした社会の限界」1992.2.20コスモの本に収録された)
隆明鈔--吉本隆明鈔集
では精神が生理に反抗して若づくりをしていれば老いはこないのだろうか。そんなことはない。少しずつ芯をほそくしてゆく仕方を発見することができなければ、やはり老いをことさらまねきよせてしまう。かつての時代になかったような生涯曲線のなかで、これを発見しなくてはならない現在の老いは、誰にとっても困難をきわめている。(熊本日日新聞に「老人の意識調査」として掲載され、「見えだした社会の限界」1992.2.20コスモの本に収録された)
- このころから、吉本さんは自分の老いについて述べられはじめたかと思う。この自らの老いを認識するのは、自分が「老い」を感じるようになった寸前まではっきりと判らないことであろうかと想像してしまう。歯が悪くなるとか、腕がうまく上がらなくなるということは、自らの精神の在り方とは別なことだと思っているうちは、まだ「老い」が判っていないのだろう。
隆明鈔--吉本隆明鈔集
2006年12月10日(日) 14:30:11 Modified by shomon