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タグ検索で隆明抄は120件見つかりました。
作品の意味内容と作品の芸術的な価値
''作品の意味内容と作品の芸術的な価値とは別概念で、混同して論議はできない''
桑原武夫は俳句を作者名なしに並べてみせ、しらべれば芭蕉の句とありふれた俳人の句とを区別できないではないか。これは俳句などが第二芸術である所以だという論議を展開した。桑原武夫の意中にはたとえばバルザックの長編小説やドストエフスキーの作品があったのではないかとおもう。小林英夫は作者名も出さずに俳句を並べてみせれば芭蕉の俳句も常識的な俳人の作品もさして区別もできないというが、それは芸術の価値を内容の複雑さや形式的な大きさと勘ちが
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%ba%ee%c9%ca%a4%c... - 2006年12月10日更新
勝海舟の和歌・漢詩・俳句・長歌などのうち
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''勝海舟の和歌・漢詩・俳句・長歌などのうちとるべきものは皆無にちかい''
勝海舟は現在知られているかぎりで、和歌・漢詩・俳句・長歌・歌曲(琵琶歌)などをのこしている。「おれは一体文学が大嫌いだ。詩でも、歌でも、発句でも、皆でたらめだ、何一つ修業した事はない」とうそぶいているように、海舟の和歌・漢詩・俳句・長歌などのうちとるべきものは皆無にちかいといっていい。ただ、青年時代に訳詩「思ひやつれし君」ひとつをのこしている。
(「新体詩まで」2006.1.31思潮社『詩学叙説』)
:| これを読んで、すぐに
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音数律を捨て去って直喩や暗喩を成り立たせた
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日本の近代詩が七・五調の音数律を捨て去って韻律を内在化したとき、その内在化に見合った直喩や暗喩の喩法を成り立たせた。そして同時に言語の音律からも解放された。これが多分、近代以後、詩が音数律を失ったいちばん重要な代償だったと思える。もちろん七・五の音数律を失うべき理由を手にしたあとでも、蒲原有明や薄田泣菫やそれ以前でいえば山田美妙のように四・七調や五・三調その他音数のヴァリエーションは、さまざまな形で試みられたが、さほど意味をもたないままに、失われてゆくほかなかった。
(「詩学叙説」2006.1.31思潮
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近代の詩が西欧近代を受け入れるときの異和
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近代の詩が西欧近代を文明開化として受け入れようとしたとき、詩人たちは七・五調の長歌の伝統的な形式を基にして新しい内容の叙事・叙情詩を作ろうと試みた。このことは、伝統の古典秩序のなかに西欧の近代秩序の分離された諸相をはめ込むことで、当然、異和を引き起こした。西欧近代の精神秩序を重んじて表現すれば、七・五音律の秩序は乱れることになるし、七・五調の形式秩序を固執しようとすれば、西欧近代の精神秩序は、形式の枠組みから制約されることになる。たとえば北村透谷の「蓬莱曲」のような長編譚詩は前者の例であり、藤村の『若菜
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文芸のうえで西欧近代の特徴は何か
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文芸のうえで西欧近代の特徴は何か。要素的に考えれば単純に言うことができる。言語表記のうえの人物、その情念などは、たとえ一人称で記されていても記している作者その人とは別と考えるべきこと。そして作中人物のあいだの関わり方は、外からも内からも描写して物語化することができること。その舞台となる場は、物語とは別の次元にある地の文で行われていること。そして作品の全体を見渡せば、かならず作者の人間像を浮び上がらせることができるが、登場する人物の像と、作者の人間像がどんなに似ているように思われるときも、短絡して結びつけ
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同音異語の多さは日本語の特色
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日本語はアクセントの強弱や高低はあまり意味をもたず、訛音(なまり)と区別できない。別の根拠からいえば、アクセントの強弱や高低は一義的に決定できないほど、平板なためだといっても、同じことだ。「うミ(海)」と「ウみ(膿)」は一応アクセントの別が設けられるが、逆になっても、文脈の上から区別できさえすれば、許される。地域的な訛りの違いでもありうるからだ。また「水」を「みズ」と言っても、異なった語彙としてかんがえられるほどのアクセントのきびしさはない。またアクセントの強弱や高低によって「水」と「見ず」が混同される
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韻律の決定論
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七・五調と呼ばれている音数律は、『記紀歌謡』や『万葉集』時代からの韻律の決定論だといえよう。面倒な考察をぬきにしていえば、決定論だという根拠は二つだとおもう。ひとつは日本語の音声の長さとして、自然な呼吸に最適なこと、もうひとつは、どこ語彙も必ず母音で終わるが、この最終の母音は除くことも加えることも自在なこと、この偶奇二つの音が同じことによっている。たとえば卵は「タマゴ」と仮名書きできるが、「タマゴ」の「ゴ」は「ゴ」で止めても「ゴォ」「ゴゥ」でも同じ音韻とみなしてよい。これは呼吸の自然さと併せて奇数の五・
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社会の中での自分の役割と個人的な内面
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戦争中のぼくは、社会の中での自分の役割と、個人的な内面を、ごっちゃにしていました。だから戦争に負けて、社会ががらっと変わったとき、個人としての自分までが、立っている足もとの地面が揺らいで、この先どう生きていっていいかわからないような状態になってしまったのでしょう。
「社会的な個人」と「個人としての個人」を自然に分けるのは難しいことですから、あくまでも理念として分離する修練をしたほうがいいと思います。
自分の中で「これは社会的な個人の問題だから、役割は果たしておこう」「これは個人としての個人の問題だから
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大切なのは、今の時代のすがたを自分で判断すること
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自分にはどうにもならないところで、世の中が180度変わってしまう。そういう経験をすると、大きな衝撃を受けると同時に、生きていること自体が虚しくなってしまいます。
玉音放送を聞いたときのぼくは、まさにその衝撃と虚しさの中に突然、ほうり込まれた状態だったのです。
そのとき以来、ぼくは今までこうつねにこう思ってきました。今世の中がどうなっているか、どんな方向に動いているのかを、いつも自分なりにつかんでおくべきだ。そうでないと、自分の意志とは関係ないところで社会に大変動が起こったとき、とんでもないことになっ
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直接本人に聞くのがいちばんいい方法
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皆さんの友達づき合いの中でも、「ここだけの話だけど、特別に教えてやるよ」などと言って、誰かの噂話をする人がきっといることでしょう。でも、そういう話は無視するか、または「本当なのかな?」と気になった場合は、直接、その当事者に尋ねればいいのです。本人に聞くのがいちばんいい方法です。
(「13歳は二度あるか」2005.9.30大和書房「第1章新聞を読む、時代をつかむ」)
:| これもまた充分に納得してしまいます。というよりも、これもまた私がずっとやってきた方法でした。「特別に教えてあげる」などというたぐいの話
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公開されている情報で把握する
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いわゆる「消息通」とか「情報通」とかいう人がいます。特別なコネがあったり、情報通をもっていたりして、普通の人の知らない裏事情に通じていると自称している人のことです。
こうした人が「ここだけの話だけど」「自分だけが知っている情報なんだけど」と言っている情報を、ぼくは信用していません。
ぼくのところにも、新聞記者などからそうした情報がもたらされることがありまが、たいてい間違っています。
見方が偏っていたり、小さな一部分は正しくても、それにとらわれて、全体としてみると歪んでいたり、ずれていたりするのです
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制度としての教師
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たしかに「制度としての実朝」という役割をずいぶん意識的にも無意識的にも実朝はさせられたし、担っていったと思いますね。特に、そういう言葉を確か使ったと思いますが、宗教的といいますか、「祭主としての実朝」といいますか、とにかく源氏の氏神が関東の近いところに二カ所あってそこにお参りするというのは実朝の役割として欠かさずやっていく。そういう役目も制度のなかの役割だったと思いますね。征夷大将軍は名ばかりでそれらしいことはあまりしていないのですが、祀り事みたいなことはいつでも欠かさず、年中行事のようにやっていたとい
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人間力
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そうしますと人間の総量というのは年齢にふさわしくだいたいが同じなのではないかと思います。アバウトで言えば人間としては変わりがないのです。知識を増やせば知識を増やした分だけ他のことについての見解や体験とか考え方とかはあまり豊富でないということになります。この学校は世間からあまりよく言われていないけれども、学生はすごくいろんなことについてちゃんとした考えをもっているじゃないか、見解を披露しているじゃないかとわかったんです。それでこれはちょっと違うぞ、社会的にというか世間的にというか一般社会のいう学校の優劣や
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無償で贈与し、逆に農産物を食糧分だけ輸入する
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世界はどのような形態になるのか。私自身の段階づけでは「アフリカ的段階」と言っているが、アフリカ的段階のところが、意識的に主として農業を行う農業国としてとどまる。そうでない先進国は、どういう体制をとっていようと、混合体制のままハイテク産業のほうに収斂して、自然産業がだんだん減少していく。これは避けられない。だから、私は贈与関係で均衡を保っていって、農業主体のところにはハイテク産業のところからハイテク装置を無償で贈与し、逆に農産物を食糧分だけ輸入するというかたちに収まるのではないかと、漠然と予測している。
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消費産業ともいえる第三次産業
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消費産業ともいえる第三次産業は、日本でも半分以上を占めているが、第三次産業は、自然産業と言われる第一次産業や、工場での大量生産をを中心にした第二次産業に対してもどんどん侵入していく。したがって、第三次産業というのは、第一次、第二次産業の次に歴史的にやってきた産業段階というよりも、産業段階の歴史を越えたものと定義できるのではないか。
(「時代病」2005年7月31日ウェイツの「あとがき」)
:| このことをいつも感じてきていました。第三次産業の次に、第四次産業、第五次産業が出現するのではなく、この第三次産
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老幼の類似性と現在の社会現象
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老齢と幼少とはさまざまな比喩で語られる。「春」と「冬」とか、「芽生え」と「冬枯れ」であったり、「活性」と「衰退」であったり。逆に同一や類似でも比喩される。逆に同一や類似でも比較される。幼児はうまれたばかりのとき、普通の病気という病気は一通り背負いこむ。老人もまた病気にかかりやすい。もちろん逆な意味でもいえる。幼児は一通り病気にかかるが抵抗力が強化される。老人は二つ以上の病気が重なると病気の危険性が増す。幼児は赤ん坊のときよちよち歩きをはじめる。老人は脚力が衰えてよちよち歩きになる。幼児の言葉はたどたどし
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柳田国男と折口信夫の弥次喜多道中
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それにしても折口信夫という国文学者はたいへんな人だと改めておもう。歌人の岡野冬彦は柳田国男と折口信夫を弥次喜多道中のように描いた末、柳田国男が修理中の天皇陵にずかずか入って、とがめる門衛にお説教をし、折口信夫が代わりに謝罪してすました挿話を書いていてわたしは興味深く読んだ。
しかし、岡野冬彦がその本のなかで折口信夫の同性愛やナショナリストぶりを見つけているのはつまらないことだ。こういう固定観念から解放されて、お前みたいな門衛など以前は要らなかった。天皇陵など自由に出入るできるんだと説教する柳田国男と代
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美しい花がある。花の美しさはない
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日本近代文芸批評の祖である小林秀雄の『無常というふこと』という古典芸術論のなかに、梅若方三郎の演じる能「当麻」を鑑賞したときのことを記した章がある。そのなかで世阿弥の『花伝書』の「花」という能の概念にからめて「美しい花がある。花の美しさ(などというものは)はない」という名文句がある。「美しい花」という絶対的な能演技はあるが、「花の美しさ」という比較説明的な能演技は世阿弥の能概念にはないのだという意味だ。
わたしも文芸批評にたずさわってきたからわかるが、こんな簡潔で見事な表現はなかなかできないものだ。こ
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自己表出と指示表出の度合
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極端に考えると数字は「指示表出」だけ。胃が痛いのを「痛い」とおもっただけで他人には全くわからなかった場合には「自己表出」だけだと考えられるかもしれない。けれどこまかく見れば「3プラス5は8」を暗算するのと、声に出すのと、ノートに記すのとは「自己表出」の度合が違っている。胃が痛いと内心でつぶやくのと、沈黙のままでいるのとは「指示表出」の度合が違う。だから言語はすべてこの両者の織物で、その度合が違うだけだとみなすのが妥当だといえよう。(「中学生のための社会科」2005.3.1 市井文学)
:| この吉本さん
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中学生のための社会科
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この本の表題として『中学生のための社会科』というのがふさわしいと考えた。ここで「中学生」というのは実際の中学生であっても、わたしの想像上の中学生であってもいい。生涯のうちでいちばん多感で、好奇心に富み、出会う出来事には敏感に反応する軟らかな精神をもち、そのうえ誰にもわずさわれずによく考え、理解し、そして永く忘れることのない頭脳をもっている時期の比喩だと受け取ってもらってもいい。またそういい時期を自分でもっていながらそれに気づかず、相当な年齢になってから「しまった!」と後悔したり、反省したりしたわたし自身
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