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タグ検索で隆明抄120件見つかりました。
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昭和天皇は家訓的世界に大胆に手を入れた
 実は、昭和天皇がまだ皇太子のとき、相当激しい皇室改革を行っています。牧野伸顕の日記によると、昭和天皇は摂政になる条件として、「宮中の女官をみんな家に帰して、通いにしてほしい」ということと、「生まれた子供を自分たちで育てたい」ということを挙げたといいます。また、側室を廃止した。これは女官や側室、それから乳母、教育係といった存在を排除することで、自分たちの家族を大切にし、守っていくという意味がこめられていたのではないか。つまり、昭和天皇は、家訓的世界に大胆に手を入れたことによって、近代家族としての天皇家を作
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%be%bc%cf%c2%c5%b... - 2006年12月10日更新
天皇家をほんとに維持できるのか
 その意味では、昨年の皇太子発言は、このままいけば離婚か、若隠居するしかないというところまで追い詰められてのことではないでしょうか。表だけをみると単なる奥さん擁護にみえるけれども、実は、「今のままの家訓的世界を背負って、天皇家をほんとに維持できるのか」という深い問いかけがあるとみなければならない。だから、ちょっとやそっとの言い方では駄目で、「人格を否定する動きがあった」というくらい激しい言葉でないと家族が解体してしまう、という気持があったのだと思います。だから弁解もしないだろうし、弟や天皇から「前もって相
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c5%b7%b9%c4%b2%c... - 2006年12月10日更新
家訓をめぐる問題
 いま、皇室で起きている問題をつきつめて考えていくと、最終的には「家訓」をめぐる問題につきあたるんじゃないかと思います。たとえば、大名や豪商、豪農の家には、代々、その家に伝わる家訓が残されていますが、日本の思想史をたどってみると、どうも、これが非常に特異で、重要な要素であることがわかってくる。  その「家訓」というものの特徴は何だ、と言われると、大きく二つのことが挙られると思います。ひとつは、内容がきわめて日常的かつ具体的であること。たとえば、朝は何刻に起きて、起きたらすぐに東の方に向かって太陽を拝めと、
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%b2%c8%b7%b1%a4%f... - 2006年12月10日更新
空海は才能ある啓蒙家
 留学生といえば、千年前に空海がいます。空海も、辺境から先端の地へ赴いて、よく勉強しました。しかし、『文鏡秘府論』などを読むと、どうも独創性が乏しい。書も、たしかにうまい。うまいが。やはりむこうのコピーといった印象を拭えない。模倣は一つの立派な能力です。でも、結局、空海は才能ある啓蒙家というのを超えなかった。空海ファンには申し訳ないけれど、「平安時代の福沢諭吉」というのは空海の役どころではなかったでしょうか。 (「漱石の巨きさ」2004.12.15文藝春秋「夏目漱石と明治日本」に掲載された) :| 空海と
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%b6%f5%b3%a4%a4%c... - 2006年12月10日更新
文明史的な比喩としての三角関係
 高等遊民とともに、漱石が執拗なまでに繰り返し描いたのは三角関係です。酔狂で書いたのではない。あれは洞察です。何に対する洞察かといえば、文明開花の日本に対する洞察です。  漱石の三角関係は、ただの浮気や不倫ではない、やや口はばったい言い方をすると、文明史的な比喩としての三角関係であり、明治日本の弱点や特殊性を反映した三角関係であると思うのです。 (「漱石の巨きさ」2004.12.15文藝春秋「夏目漱石と明治日本」に掲載された) :| 私には三角関係という経験がなかったと思う。とにかく、好きな相手にただただ
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%ca%b8%cc%c0%bb%c... - 2006年12月10日更新
ひっそりとした日常性のひと齣がいい
 漱石で何がいちばん好きかと訊かれたら、ためらわず、『門』と答えます。何より、冒頭がいい。宗助が縁側でごろんとなって、空を見上げる。妻の御米が障子のむこうで、縫物をしている。宗助が、「近江」のオウはどういう字だったかなと訊くと、御米が障子をあけて、物指しで「近」という字を書いてみせる。だれにでも思いあたるところのある、ひっそりとした日常性のひと齣がいいです。  あのひっそりとした感じは、大江健三郎の翻訳文体では描けないし、川端康成のあのいかにも日本語日本語した文体でも描けない。漱石の、ほどよくメリハリの利
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%a4%d2%a4%c3%a4%b... - 2006年12月10日更新
漱石・鴎外と柳田・折口
 明治以降の文学者でだれがすば抜けているかといえば、漱石・鴎外、これは誰も異論ないでしょう。では、明治以降の思想家で、漱石・鴎外に匹敵する人物はいるか? ぼくなら、柳田国男・折口信夫を挙げます。鴎外・漱石も、柳田・折口も、やはり時代の水準をはるかに超えた、「巨きな関心」をもって、思考の単独走破を敢行した。  柳田は、国際連盟の裏方をしたほどの国際人です。西欧を理解吸収するために、必死に勉強した。しかし、あるとき、こればかりやっていてもしかたないと気づき、自分の足元の本質探求にのりだしたのです。先行者がいな
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%de%fb%c0%d0%a1%a... - 2006年12月10日更新
天皇のために命を差し出すと考える方がすっきりした
 殉死というのは、今となっては、わかりづらいでしょうね。ぼくはとても乃木さんの真似はできないけれど、でもその心情はわかるつもりです。  かつて、ぼくは軍国少年でした。銃をかついで、さて、何のために自分は死ねるのか、考えた。近親のために戦って死ぬ、というのは一見合理的な解だけれど、自分はそれでは死ねないと感じた。近親や社会という相対的なものではなく、もっと絶対的なもの、理念的なものがほしい。だから、家族のために死ぬと考えるより、生き神さまである天皇のために命を差し出すと考える方がすっきりしたんです。  昭和
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c5%b7%b9%c4%a4%c... - 2006年12月10日更新
漱石との出会いは『硝子戸の中』
 十五の頃でしたか、友人から「おまえ、赤シャツに似ている」といわれて、何のことかときょとんとしたことがあります。「知らんのか。漱石の『坊つちやん子だよ」といわれたものの、わからなかったのです。悔しいから、すぐに神田の書店へ行った。たまたま文庫の棚に『硝子戸の中』しかなくて、それを求めました。読むと、これが随筆ながら、けっこう重たいものでした。ともあれ、これが最初の出会になりました。 (「漱石の巨きさ」2004.12.15文藝春秋「夏目漱石と明治日本」に掲載された) :| これを読んで私は、非常に驚いたもの
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%de%fb%c0%d0%a4%c... - 2006年12月10日更新
部屋が雑然とした中で仕事をした方が
''部屋が雑然とした中で仕事をした方が、仕事をしているって実感が湧く''  うるさいと仕事ができないという人もいるけれど、雑音だけでなく雑用なんかも入ってきて、生活と仕事が混然となっても、気にならないんだ。それが昔から慣れ親しんだ僕の書斎のかたちで、部屋が雑然とした中で仕事をした方が、仕事をしているって実感が湧くんですよ。 (「快適小空間書斎&DEN」2004.12.1あいでぁ・らいふ「男の隠れ家12月号に掲載された) :| これは私も充分に納得してしまうのです。部屋は綺麗にかたずいていたほうが好ましいは
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c9%f4%b2%b0%a4%a... - 2006年12月10日更新
どんなつまんないことでも、必要なのは目標なんです
 だから、あなたもまだお若いようだけど、『散歩の達人』とか言うのなら、覚えておいた方がいいですよ。年をとったら、散歩もヘチマもねえよとなる。そしたら具体的な目標が大事なんだと。どんなつまんないことでも、必要なのは目標なんです (「散歩者インタビュー」2004.11.1交通新聞社「散歩の達人11月号に掲載 された) :| 私もまた、「目標を持って歩こう」と決意しました、。これは歩くことばかりではなく、あらゆることに同じように考えていこうと思っています。 :| 街を歩くときも、何もかも、「目標を持って」やって
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%a4%c9%a4%f3%a4%c... - 2006年12月10日更新
仕事をしているときに息を止める
 僕らはね、仕事をしているときに、息を止めるんです。本当に考えている時は息をしない。これは身体に悪い。そういうのをやっている人が、「散歩をしろ!」と言われても、よせやい、となる。「こういうのをやるといいよ。こういうふうになれるよ」と、そういう言い方がいいんです。  そういうことを医者も看護婦も学んでいないから、まあ、若いから学ぶわけもないんだけれど、こうやれ、ああやれって、ばっか言うんですね。「同じ所でくたばらないように」とか。そんなんだから、「バカにするな! お前がやればいいじゃないか」と文句をつけると
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%bb%c5%bb%f6%a4%f... - 2006年12月10日更新
散歩も目標が必要
 そういうときは目標が必要ですね。天祖神社の縁日をやっているから、そこに行けるようになろうとか、今度ももう少し向こうへ、富士神社へ行こうとか、そういう目標です。  ところで、日本で初めて散歩をしたのは国木田独歩だと思います。あの『武蔵野』という随筆にあるように、武蔵野を歩いた、それまで目的がなく、ただ歩くというのはないわけです。お花見だからとか、なにか目的があるわけで。これは日本が近代化するはじめの頃です。だから、僕らも足腰がどうこうっていう目的をはずして、歩くのがいいんじゃないかと思うんだけど、でも僕ら
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%bb%b6%ca%e2%a4%e... - 2006年12月10日更新
偏屈系統
 僕は自分のことを偏屈系統とよんでいます。以前亡くなった三浦つとむさん、この方はいろいろ教えてもらって、影響も受けましたが、それからやっぱり亡くなった川上春雄さん。  この系統の人たちは、医者から「散歩しろ」って言われたり、ベッドの回りをぐるぐる歩けと言われても、全然やらなくて、本当に一歩も歩かなくて、当然寝たきりになる。僕も同じ系統なんで、彼らを見ているから、少し気力を絞って、やるか! と。 (「散歩者インタビュー」2004.11.1交通新聞社「散歩の達人11月号に掲載された) :| うーん、これはまた
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%ca%d0%b6%fe%b7%c... - 2006年12月10日更新
それでも書くことこそ文学ではないか
 いちばん重たい経験は、そう簡単には書けないということなのでしょう。  でも、その難所で引っかかっていたら、いつまでもちっとも具体的にならなくて、一番大事なところの周りをただぐるぐる回っている、というようになりかねないと思います。  簡単には書けないんだよ、ということをわかった上で、それでもぼくは、全部取っ払って、ぶちまけるのが文学のはずだと言ってしまいたいと思うのです。 (「超恋愛論」2004.09.15大和書房) :| いや、たしかに自分にとって重い体験をこそ書かなくては、そのことを書いていかなくては
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%a4%bd%a4%ec%a4%c... - 2006年12月10日更新
文学の難所
 ぼくは思うんですが、事実を覆っている膜をもう1枚めくってみれば、すべてが出てくるのに、その一枚をめくるということが、小説家にはなかなかできないというか、やらないんですね。  全部めくって取っ払ってしまえば、いちばん風が通るということはわかっているのに、かならず何枚か、または一枚だけ、膜を残したままにしている。  確かに、あるレベルに達している文学作品なら、風がぜんぜん通らないということはなくて、最低でも一箇所だけは、そこを通って風が流れていく場所というのを作っているんです。  いいから全部取っ払ってしま
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%ca%b8%b3%d8%a4%c... - 2006年12月10日更新
経験した恋愛について書くことは
''経験した恋愛について書くことは価値のあるものになる可能性もある''  自分が経験した恋愛について書くのは難しいことです。けれどもそれは、価値のあるものになる可能性もあると思います。  ぼくは、自分の恋愛や結婚でのいきさつを文章にすることを考えたときに、ある種の手ごたえのようなものを感じたことがあります。  文を一生懸命整え、過不足なくと言うのでしょうか、誇張も卑下もなしに書くことができたら、文章として表現してもいいのではないかと思ったのです。  事実を書くということで、いろいろな制約は出てくるでしょ
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%b7%d0%b8%b3%a4%b... - 2006年12月10日更新
恋愛は生涯の貴重品
 同時に苦しみもたくさんあるわけですが、身体中の細胞がいっせいに目覚めるようなあの感じ、今まで寝ていた神経が起き上がったようなあの実感というのは、ほかのものでは換えがたいものです。それは宗教的感情から発達してきた信仰心(信じ込み)───”情念”に似たものがあります。やはり、恋愛は生涯の貴重品といっていいのではないでしょうか。 (「超恋愛論」2004.09.15大和書房) :| いえ、この恋愛の関しての感じというのはよく判るのですが、なぜかそのことを今となっては忘れはててしまったというのが今の思いです。なん
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%ce%f8%b0%a6%a4%c... - 2006年12月10日更新
結婚生活におよぼす男の母親の影響は大きい
 結婚相手を選ぶとき、また結婚後の生活においても、男というものは、自分の母親の影響を強く受けている気がします。  自分自身のことを振り返ってもそうですが、結婚したいと思う相手があらわれたとき、母親が賛意を表してくれるまでは、気が気ではないのではないかと思います。  そしてもし、母親が大反対したら、これはだめだとがっくりきて、あきらめてしまいかねまおところがあります。  ぼくがマザコンなのかとも思いますが、そうとは限らないのではないかという気もします。男はみんなそんなものじゃないか、と。  男というのはけっ
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%b7%eb%ba%a7%c0%b... - 2006年12月10日更新
子離れができないような母親に限って
''子離れができないような母親に限って、虐待に走るのではないか''  子どもが可愛くてたまらず、なかなか子離れができないような母親に限って、虐待に走るのではないかとぼくは考えます。  なぜならば、男と子どもへの愛情を比べたときに、最初から男に対する愛情のほうがまさっていて、それが男にも伝わっているようならば、男は相手の連れ子だろうと何だろうと、憎たらしいとか邪魔だとか思ったりはしないんです。  女性が自分の子どもを虐待するのは、本心から憎いということではなくて、男との関係のバランスにおいてやることでしょ
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%bb%d2%ce%a5%a4%e... - 2006年12月10日更新
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