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19年3月20日 第3分科会 議事録13

議事録1         10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20


 ただ中身については、いろいろな大学があっていいと私は思っております。少子化にむけて、これからこれだけある大学がどんどん淘汰されていくという時期に、大学が持っている、よく言えば個性、研究機関としての個性と同時に、就職予備校化している大学も実際にあるわけですから、そこもどうやっていくのか。一緒には語るべきではないのかなあと思っておりまして、各大学が己のカラーをどうしていくのかがすごく大事なだと思っています。

 と同時に、先ほど白石委員がおっしゃっておられた予算の部分がすごく大きくて、研究費がどうしても旧帝大に集中している現実がございます。成果ベースでもう少し評価をしていただければすごく変わってくるのかなということを存じます。

○川勝主査 第1分科会の報告で、子供たち全体の人間力を上げていくということで、社会総ぐるみ、社会総がかりでやっていくということで、親学から含めて、公教育についてしっかりと土台をつくっていく、これは共通認識だったと思います。

 高校3年間については視野に入れつつも、高校3年ということになりますと大学の問題が出てきます。

 昔の大検、高校卒業程度の認定試験が制度的にはあっても、それ自体に問題がある。やさしい。したがって、大学も、この程度の子だと受験資格を認めないということもあるのかもしれませんが、学力がそれなりに試験で認められたということだけでなくて、義家委員の言葉で言えば、徳と心と学、知育・徳育・体育、情操教育も含めて全体力を試すという形でやるべき試験なのかもしれないということで、現行の試験それ自体が十分に活用されていないということと同時に、現行の試験にも問題がある、大学に入れるためのしっかりとした青年を高校が送り出すについては、しっかりとしたところをどういうふうに判定するかといえば、人間力をつけると言っているわけですから、小谷委員も、体育を中心にした人間力の涵養ができるということもおっしゃっているので、単なる筆記試験でいいということでないかもしれません。

 受験資格の中に、ボランタリーをやっているとか、それなりの体力もきっちりあるとか、幾つかのものが加味されていかなくちゃならないかもしれないということがありますが、いずれにしても、高校の教育をどのように認定しなくちゃいけないかということについては、方法論はいろいろあると思いますが、認定が必要だということについての共通理解はあるのではないか。

 そうすると、大学の質が問われている。中嶋先生は、大学の先生は6割が外国人だとおっしゃった。全部公募でしょう。

○中嶋副主査 はい。

○川勝主査 いい加減な形でとっていなくて、公募で競争して採っているということですね。大学も先生が玉石混淆で、玉石混淆ということは石が多いということですが、それを評価するのに、ちゃんとしたものがありません。その意味で公募ということを出されているわけです。つまり自分の弟子だったから採るとかで先生になっていらっしゃる方も多々いらっしゃるので、大学の教育が問われている。

 大学は教育と研究があります。大学は、教科書を書く人たちがいるわけですから、教科書を書くのは大学の先生です。高校の先生や、中学や小学校の先生の使っていらっしゃる教科書は、上の先生方が書かれたものですね。だから、文化をつくっていく面がありますので、教育と研究は不可分なところがありますが、それにもかかわらず、高等研究となりますと国際競争に直面しておりますので、教育と研究を峻別するのは、まさにプロジェクトXにかかわる問題なわけですが、きょうの議論は、高校と大学との接続をどう考えるかということについて考え直さないといけないというところにおける共通認識はできたのではないかと思います。

 大学と大学院、あるいは大学それ自体の教育内容については基本的にはインターナショナルといいますか、リベラルアーツが成功しているという事例にかんがみれば十二分に国際化しなければならない。従来の教養はむしろ高校にまでおろしていくことができるということではないかという感想も持ちました。

○山谷総理補佐官 教養教育については、川勝先生がおっしゃったように、以前は2年教養、2年専門という構成だったんですが、資料2の23ページの大学設置基準新旧対照表にあるように、以前は20条で、一般教養科目については、人文、社会、自然の3分野にわたって開設、あるいは外国語は2科目以上とか、そういう規定があったんです。

 ところが、平成3年の改正でそれらが全部削除されまして、教育課程の授業科目は、必修科目、選択科目、自由科目に分けて、各年次に配置となった。これは、大学の自治を尊重して、高校の繰り返しをやることもないという発想からの大綱化であると思いますが、果たして大綱化されて良くなったのか、総合的なものがめちゃくちゃになってしまったのか、現場はどういうふうに捉えていらっしゃいますか。

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2007年05月24日(木) 08:40:28 Modified by nipponkamoshjka




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