井波律子「三国志演義」
私の友人が共通の友人のところへ遊びに行ったときに、ある公園でそこの小学生の息子とボートに乗ったのだそうです。ところが、友人はこの息子と二人でボートに乗ったことをすぐに後悔しました。この息子は「三国志」の大ファンで、その話を仕掛けてきたのです。
そりゃ、あなたなら「三国志」は得意なのだろうけれど、俺はまったく知らないんだよ。ボートの上じゃ、逃げることもできないから、本当に困ったよ。
この息子は、横山光輝「三国志」とゲームの「三国志」のファンだったようです。たしかに私なら、その少年といくらでも話を続けているでしょう。
私は、こんな少年との出会いがあるかもしれないと思って、けっこう「三国志」に関する本は見つけ次第、読むようにしてきました。正史「三国志」も羅貫中「三国志演義」、吉川英治「三国志」も何度か読んできました。評論でいうと、魯迅のこの時代に関する論述にはいつもうなずいてきました。また小説、評論に限らず、三曹の詩や孔融をはじめとする七子の詩もよく見てきました。
そんなことで、今回以下の本に出会いました。
書名 三国志演義
著者 井波律子
発行所 岩波新書
定価 650円
1994年8月22日第1刷発行
ISBN 4-00-430348-6
この本を読んで、まだまだ「三国志」をめぐる物語はたくさんあることを知りました。「世説新語」「三国志平話」などという古典があることを知りました。「三国志演義」を生んだのは、正史「三国志」及び裴松之の註が一つの流れであり、もう一つの流れが民衆の世界で育まれた物語戲曲の系譜だといいます。そうした民衆の中の物語で残っているのが「三国志平話」だということです。
私は、いわゆる「三国志」の主役といったら、曹操と諸葛孔明だと思ってきました。最初は曹操を元とする群雄たちの戦いの物語であり、なんと言っても、その中心には曹操がいます。だが孔明が出てくると、曹操の存在は色が薄れてしまって、孔明の劉備への忠節の物語になってしまう気がしていました。だが、この著者は以下のように言っています、
『三国志演義』の校訂者毛宗崗によれば、『演義」には「三絶」、つまり三人の傑出した登場人物が存在するという。「智絶(知者のきわみ)」の諸葛亮、「義絶(義人のきわみ)」の関羽、「奸絶(悪人のきわみ)の曹操の三人が、これにあたる。これはさすがに的を射た卓見である。なぜなら、彼ら「三絶」こそ『演義』の世界を動かす真の主役なのだから。
(第5章「主役たちの描かれかた」)
私もなるほどなと納得してしまいました。魯迅から言わせれば、「演義」は曹操を悪役、劉備を善役としていて、それだから不満なわけですが、この著者によると、羅貫中は、曹操を単に悪役奸雄としてのみでは描いていないとしています。それが、曹操と関羽の関係の描き方の中に、あらわれているというのです。たしかに「演義」では、曹操は悪役であるわけですが、関羽とのからみを描くときに、曹操の英雄である面をおおいに見せてくれています。赤壁の戦いに破れた曹操を、華蓉道にて、見逃す関羽の姿は、実に爽やかさを見せてくれます。曹操も、関羽との友情を垣間見せる曹操の部下張遼の姿も、実にいいのです。それに対して、関羽はどうあっても曹操を逃すだろうと、予測している孔明の言い方は、あんまり感じのいいものではありません。自分の能力をひけらかすのではなく、男同士、英雄同士の友情とか義というものを信じろよ、と私はいいたくなるのです。
こうしたことの他にも、いろいろとうなずけて読めた本でした。長大なる「演義」の物語からすると、薄っぺらい新書なのですが、かなり興味深く読むことができました。
周の書評(文学哲学篇)
周の三曹の詩
そりゃ、あなたなら「三国志」は得意なのだろうけれど、俺はまったく知らないんだよ。ボートの上じゃ、逃げることもできないから、本当に困ったよ。
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私は、こんな少年との出会いがあるかもしれないと思って、けっこう「三国志」に関する本は見つけ次第、読むようにしてきました。正史「三国志」も羅貫中「三国志演義」、吉川英治「三国志」も何度か読んできました。評論でいうと、魯迅のこの時代に関する論述にはいつもうなずいてきました。また小説、評論に限らず、三曹の詩や孔融をはじめとする七子の詩もよく見てきました。
そんなことで、今回以下の本に出会いました。
書名 三国志演義
著者 井波律子
発行所 岩波新書
定価 650円
1994年8月22日第1刷発行
ISBN 4-00-430348-6
この本を読んで、まだまだ「三国志」をめぐる物語はたくさんあることを知りました。「世説新語」「三国志平話」などという古典があることを知りました。「三国志演義」を生んだのは、正史「三国志」及び裴松之の註が一つの流れであり、もう一つの流れが民衆の世界で育まれた物語戲曲の系譜だといいます。そうした民衆の中の物語で残っているのが「三国志平話」だということです。
私は、いわゆる「三国志」の主役といったら、曹操と諸葛孔明だと思ってきました。最初は曹操を元とする群雄たちの戦いの物語であり、なんと言っても、その中心には曹操がいます。だが孔明が出てくると、曹操の存在は色が薄れてしまって、孔明の劉備への忠節の物語になってしまう気がしていました。だが、この著者は以下のように言っています、
『三国志演義』の校訂者毛宗崗によれば、『演義」には「三絶」、つまり三人の傑出した登場人物が存在するという。「智絶(知者のきわみ)」の諸葛亮、「義絶(義人のきわみ)」の関羽、「奸絶(悪人のきわみ)の曹操の三人が、これにあたる。これはさすがに的を射た卓見である。なぜなら、彼ら「三絶」こそ『演義』の世界を動かす真の主役なのだから。
(第5章「主役たちの描かれかた」)
私もなるほどなと納得してしまいました。魯迅から言わせれば、「演義」は曹操を悪役、劉備を善役としていて、それだから不満なわけですが、この著者によると、羅貫中は、曹操を単に悪役奸雄としてのみでは描いていないとしています。それが、曹操と関羽の関係の描き方の中に、あらわれているというのです。たしかに「演義」では、曹操は悪役であるわけですが、関羽とのからみを描くときに、曹操の英雄である面をおおいに見せてくれています。赤壁の戦いに破れた曹操を、華蓉道にて、見逃す関羽の姿は、実に爽やかさを見せてくれます。曹操も、関羽との友情を垣間見せる曹操の部下張遼の姿も、実にいいのです。それに対して、関羽はどうあっても曹操を逃すだろうと、予測している孔明の言い方は、あんまり感じのいいものではありません。自分の能力をひけらかすのではなく、男同士、英雄同士の友情とか義というものを信じろよ、と私はいいたくなるのです。
こうしたことの他にも、いろいろとうなずけて読めた本でした。長大なる「演義」の物語からすると、薄っぺらい新書なのですが、かなり興味深く読むことができました。
周の書評(文学哲学篇)
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2006年11月29日(水) 17:29:16 Modified by memorix