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曹操「短歌行」

 私が「三国志」の中で誰が好きかといわれたら、躊躇なく「それは曹操だよ」と答えてきました。吉川英治はこの三国志の主役といったら、前半が曹操、後半が諸葛亮孔明と言っています。これはまったくそのとおりだといえるでしょう。前半が曹操以下たくさんの英雄たちが中国の大地を好きかってに動きまわるのにくらべて、孔明が出てくると、何故か生真面目な世界になってきます。孔明という白面の学問青年に、あれほどの英雄豪傑を抱えた曹操がどうにも手がでません。いや魏の勢力だけでなく、周瑜以下の呉の豪傑たちも、孔明にはふりまわされます。それどころか、関羽や張飛まで孔明の前では、なんだか成績の悪いただの暴れものの生徒のような感じになります。「やっぱり四書五経以下きちんと勉強したものが最後は勝つのだ」と、後世の私たちまでいわれているような気になってしまいます。
 私は孔明も好きなのですが、それは実はこうした戦争の達人としてえがかれていることよりも、彼の真っ直ぐさ、劉備への愚鈍なまでの敬愛を感じるからです。孔明はむしろ軍略家としては、司馬懿仲達よりも2段くらい下だと思われます。正史「三国志」で、蜀の生まれである作者があまり孔明を評価しないのは、かの「孔明泣いて馬謖を斬る」の事件のときに、正史の作者陳寿の父親を責任者として罰したことにあるわけなのですが、この事件をみても、何故このような戦略戦術のイロハを守れない馬謖などが一軍の将だったのでしょうか。曹操以下の幕僚たちには、この程度の将はたくさんいたのです。それが実際には曹操と孔明の力量の差であり、孔明が仲達には勝てなかったところだと思います。
 それに比べて曹操の存在の気持ちのいいことったらありません。彼ほど派手に戦争に勝利する英雄もいないように思いますが、同時に彼ほど派手に戦争に敗北した英雄もいないのではないでしょうか。まあこのことは吉川英治もいっているわけですが。
 しかしここではこうした三国志のことを書くことが目的ではありません。私は詩人としての曹操を見てみたいのです。曹操の二人の息子、次男の曹丕、三男の曹植とともに『三曹』と呼ばれて、三人とも詩人として名高いのですが、なにかあると紹介されるのは曹植の詩が多いようです。私はいつも、「なんで曹植ばかりなの、もっと曹操の詩を紹介してほしい」という気持ちでいっぱいです。私はなんといっても曹操の詩、とくに「短歌行」という詩が好きなのです。

   短歌行   曹 操
  對酒當歌  酒に対しては当に歌うべし
  人生幾何  人生幾何ぞ
  譬如朝露  譬えば朝露の如し
  去日苦多  去日苦だ多し
  慨當以康  慨しては当に以て康すべし
  幽思難忘  幽思忘れ難し
  何以解憂  何を以て憂いを解かん
  唯有杜康  唯だ杜康(註1)有るのみ
  青青子衿  青青たる子の衿(註2)
  悠悠我心  悠悠たる我が心
  但爲君故  但だ君が故が為に
  沈吟至今  沈吟して今に至る
  幼幼鹿鳴  幼幼として鹿鳴き
  食野之苹  野の苹を食う
  我有嘉賓  我に嘉賓有り
  鼓瑟吹笙  瑟を鼓し笙を吹く
  明明如月  明明たること月の如き
  何時可採  何れの時にか採るべき
  憂從中來  憂いは中より来たり
  不可斷絶  断絶す可からず 
  越陌度阡  陌を越え阡を度り
  枉用相存  枉げて用って相存す
  契闊談讌  契闊談讌して
  心念舊恩  心に旧恩を念う
  月明星稀  月明らかに星稀に
  烏鵲南飛  烏鵲南へ飛ぶ
  紆樹三匝  樹を紆ること三匝
  何枝可依  何れの枝か依る可き(註3)
  山不厭高  山は高きを厭わず
  海不厭深  海は深きを厭わず
  周公吐哺  周公哺を吐きて(註4)
  天下歸心  天下心を帰す

 (註1)杜康 初めて酒を作ったとされる人物。ひいては酒のことをいう。
 (註2)青衿 周代の学生の制服。ひろく知識人に呼びかけることば。
 (註3)月が明るいために星が稀に、我が威力に群雄が影をひそめたようだ。かささぎが南へ飛んでいくが、樹を三たびめぐっても、依るべき枝がない。それは、ちょうど劉備たちが身を寄せるところもなく南へ敗走した姿のようだ。
 (註4)周公吐哺 周の周公旦が天下の人材登用の熱心のあまり、一度食事する間に三度もいったん口に含んだ食物を吐きだして、人と面接したという。

 蘇軾が「赤壁賦」において、

  灑酒臨江横槊。 酒を灑(したしん)で江に臨み、槊を横へて詩を賦す。

と読んだ英雄曹操の詩がこれです。まさしく赤壁で槊を横たえ詩を賦す曹操の姿が目に浮んできます。しかし大事なのは、この詩を賦す姿が魏の武将たちの姿なのです。こうした詩人の姿はこの時代に現れたわけです。
 曹操は自分たちの幕僚との間に「友情」といった感覚をもっています。こうした感情は過去にはなかったものなのです。諸葛孔明の「出師表」

  先帝創業未半、而中道崩徂。今天下三分、益州罷敝。此誠危急存亡之秋也。
  (先帝業創めてより未だ半ばならずして、中道にして崩徂す。今天下三分して益州罷敝す。此れ誠に危急存亡のときなり。……)

を読んでいると、どうみても、孔明と劉備の間に「友情」というようなものを感じることはできません。だが曹操の詩には、そうした感情が顕れているのではないのかと私には思えてきます。
 こうした曹操の気風が建安の七子(偶然6人まで曹操の幕僚たち)といわれる詩人たちにも流れています。
 詩の意味を見てみましょう。すこしよく読みこまないと、曹操の悲壮慷慨の気が判からないかもしれません。

  酒を飲むときには、大いに歌うべきだ。
  人生なんかどれほどのものか。
  朝露のようにはかなく短く、
  過ぎ去る日のみ多いものだ。
   (ここまで読むと、どうもそれほどの英雄の詩とも思えません。なにつまらなく愚痴ってるの、というところでしょう)
  思いのままに歌うがいい。
  だが憂いは忘れようがない。
  何でこの憂いを消し去ろうか、
  ただ酒が有るのみだ。
   (ここまでもただの酔っぱらいのたわごとです。私たちの飲み方とそう変わらない。いや私たちよりくどくどしているようにも思えます)
  青い衿の学友諸君!
  わたしのこうした心は、
  君たちのなかにすぐれた才能を見いだしたく、
  今までひたすら思い続けてきた。
   (ここで一転、恋の歌のようになる。そうなのだ、曹操は士を恋うる英雄なのです)
  鹿は幼幼(ゆうゆう)として鳴きながら
  野のよもぎを食べている。
  そんなようにわたしは大事な友人とともに琴を鳴らし、笛を吹いてみよう。
  明るく輝く月の光は、
  いつまでも手にとることはできない。
  心の中からくる憂いは、
  絶ち切ることはできない。
  だが君ははるばると遠いところを、
  わざわざこうしてきてくれた。
  久し振りに飲み語らって、
  かっての友情をあたためよう。
   (憂いがなんだろうと、友がはるばるたずねてくれば、こうして飲み語りあかすのだ)  
  月明らかに星稀な夜、
  かささぎが南に飛ぼうととして、
  木のまわりを三度めぐり、
  依るべき枝をさがしあぐねている。
   (こうして劉備たちは南へ逃げていく、考えてみれば旧勢力である蜀漢と、こうした新しい感性をもった曹操たちの違いなのだ。結局劉備たちは曹操とは飲み語る友情というような感覚はもっていないのだ)
  山は高いほどいい。
  海は深いほどいい。
  昔周公は食事の間も食べたものを吐き出してまで、士に会って応対した。
  だから天下の人が心をよせたのだ。
   (どんなに途中に山や海があろうと、そうした友である士を私は求めるのだという曹操の心なのです)

 こうした曹操の心は、吉川英治「三国志」では「恋の曹操」という章で、関羽に心をよせながら、関羽に去られてしまう曹操の悲しさを描いています。吉川英治「三国志」のなかでは、私が一番好きなところです。曹操は自らの幕僚たちに、「友情」という感性で接することができた最初の英雄なのです。だから、曹操は負けても負けてもたくさんの幕僚たちは彼のもとで戦い続けるのです。ちなみに曹操の幕僚たちはみんな好きですが、私は張遼が一番好きですね。
 この「短歌行」は詩吟で吟うことはありません。まあ詠って詠えないことはないでしょうが、少なくとも、詩吟の譜がついているような詩ではないですから、自分でやらなければなりませんね。できるでしょうけれども。詩吟でやるよりも、私と飲むとときどきぶつぶついっていることがあったら、「酒に対しては当に歌うべし、人生いくばくぞ、たとえば朝露(ちょうろ)の如し……」と、この詩をつぶやいていますから、できたらきいてみてください。

周の三曹の詩

 曹操「苦寒行」
 曹操「短歌行」
 曹丕「燕歌行」
 曹丕「於玄武陂作」
 曹丕「短歌行」
 曹丕「釣竿」
 曹植「吁嗟篇」
 曹植「七歩詩」
 曹植「野田黄雀行」





2006年12月01日(金) 21:47:19 Modified by kozymemory




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