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土井晩翠「星落秋風五丈原」

 私は三国志の世界では、曹操が好きであり、また詩人としても曹操、曹丕、曹植が好きです。ただ諸葛孔明は、その「誠」とでもいうべき姿勢には、心を打たれる惹かれるものを感じます。その孔明の心情を一番表しているのではと私が思うのがこの詩です。

   星落秋風五丈原(「ほしおつしゅうふうごじょうげん」或いは「せいらくしゅうふうごじょうげん」)
  土井晩翠
      一
  祁山(きざん)悲秋の 風更(ふ)けて
  陣雲暗し 五丈原(ごじょうげん)、
  零露(れいろ)の文(あや)は 繁(しげ)くして
  草枯れ馬は 肥ゆれども
  蜀軍の旗 光無く
  鼓角(こかく)の音も 今しづか。

  丞相(じょうしょう)病 あつかりき。

  清渭(せいい)の流れ 水やせて
  むせぶ非情の 秋の聲(こえ)、
  夜(よ)は關山(かんざん)の 風泣いて
  暗(やみ)に迷ふか かりがねは
  令風霜の 威もすごく
  守る諸營(とりで)の 垣の外。

  丞相病あつかりき。

  帳中(ちょうちゅう)眠(ねむり) かすかにて
  短檠(たんけい)光 薄ければ
  こゝにも見ゆる 秋の色、
  銀甲(ぎんこう)堅く よろへども
  見よや待衞(じえい)の 面(おも)かげに
  無限の愁(うれい) 溢(あふ)るゝを。

  丞相病 あつかりき。

  風塵遠し 三尺の
  劍(つるぎ)は光 曇らねど
  秋に傷めば 松柏(しょうはく)の
  色もおのづと うつろふを、
  漢騎十萬 今さらに
  見るや故郷の 夢いかに。

  丞相病 あつかりき。

  夢寐(むび)に忘れぬ 君王(くんのう)の
  いまわの御(み)こと 畏(かしこ)みて
  心を焦(こ)がし 身をつくす
  暴露のつとめ 幾とせか、
  今落葉(らくよう)の 雨の音
  大樹(たいき)ひとたび 倒れなば
  漢室の運 はたいかに。

  丞相病 あつかりき。

  四海の波瀾 收まらで
  民は苦み 天は泣き
  いつかは見なん 太平の
  心のどけき 春の夢、
  群雄立ちて ことごとく
  中原(ちゅうげん)鹿(しか)を 爭ふも
  たれか王者の 師を學ぶ。

  丞相病 あつかりき。

  末は黄河の 水濁る
  三代の源(げん) 遠くして
  伊周(いしゅう)の跡は 今いづこ、
  道は衰へ 文(ふみ)弊れ
  管仲(かんちゅう)去りて 九百年
  樂毅(がっき)滅びて 四百年
  誰か王者の 治(ち)を思ふ。

  丞相病 あつかりき。

    二
  嗚呼南陽の 舊草廬(きゅうそうろ)
  二十餘年の いにしえの
  夢はたいかに 安かりし、
  光を包み 香をかくし
  隴畝(ろうほ)に民と 交われば
  王佐の才に 富める身も
  たゞ一曲の 梁父吟(りょうほぎん)。

  閑雲(かんうん)野鶴(やかく) 空(そら)濶(ひろ)く
  風に嘯(うそぶ)く 身はひとり、
  月を湖上に 碎(くだ)きては
  ゆくへ波間の 舟ひと葉、
  ゆふべ暮鐘(ぼしょう)に 誘はれて
  訪ふは山寺(さんじ)の 松の影。

  江山(こうざん)さむる あけぼのゝ
  雪に驢(ろ)を驅(か)る 道の上
  寒梅痩せて 春早み、
  幽林(ゆうりん)風を 穿(うが)つとき
  伴(とも)は野鳥の 暮の歌、
  紫雲たなびく 洞(ほら)の中
  誰そや棊局(ききょく)の 友の身は。

  其(その)隆中(りゅうちゅう)の 別天地
  空のあなたを 眺(なが)むれば
  大盜(たいとう)競(き)ほひ はびこりて
  あらびて榮華 さながらに
  風の枯葉(こよう)を 掃(はら)ふごと
  治亂(ちらん)興亡(こうぼう) おもほへば
  世は一局の 棊(き)なりけり。

  其(その)世を治め 世を救ふ
  經綸(けいりん)胸に 溢るれど
  榮利を俗に 求めねば
  岡も臥龍(がりょう)の 名を負ひつ、
  亂れし世にも 花は咲き
  花また散りて 春秋(しゅんじゅう)の
  遷(うつ)りはこゝに 二十七。

  高眠遂に 永からず
  信義四海に 溢れたる
  君が三たびの 音づれを
  背(そむ)きはてめや 知己の恩、
  羽扇(うせん)綸巾(かんきん) 風輕(かろ)き
  姿は替へで 立ちいづる
  草廬あしたの ぬしやたれ。

  古琴(こきん)の友よ さらばいざ、
  曉(あけぼの)たむる 西窓(せいそう)の
  殘月の影よ さらばいざ、
  白鶴(はっかく)歸れ 嶺の松、
  蒼猿(そうえん)眠れ 谷の橋、
  岡も替へよや 臥龍の名、
  草廬あしたの ぬしもなし。

  成算(せいさん)胸に 藏(おさま)りて
  乾坤こゝに 一局棊(いっきょくき)
  たゞ掌上(しょうじょう)に 指(さ)すがごと、
  三分の計(けい) はや成れば
  見よ九天の 雲は垂れ
  四海の水は 皆立(たち)て
  蛟龍飛びぬ 淵の外。

      三
  英才雲と 群がれる
  世も千仭(せんじん)の 鳳(ほう)高く
  翔(か)くる雲井の 伴(とも)やたそ、
  東(ひがし)新野(しんや)の 夏の草
  南(みなみ)瀘水(ろすい)の 秋の波
  戎馬(じゅうば)關山(かんざん) いくとせか
  風塵暗き ただなかに
  たてしいさをの 數いかに。

  江陵去りて 行先は
  武昌夏口の 秋の陣、
  一葉(いちよう)輕く 棹(さお)さして
  三寸の舌 呉に説けば
  見よ大江の 風狂ひ
  焔(ほのお)亂れて 姦雄の
  雄圖(ゆうと)碎けぬ 波あらく。

  劔閣(けんかく)天に そび入りて
  あらしは叫び 雲は散り
  金鼓(きんこ)震(ふる)ひて 十萬の
  雄師は圍(かこ)む 成都城
  漢中尋(つい)で 陷(おちい)りて
  三分の基(もと) はや固し。

  定軍山の 霧は晴れ
  汚陽(べんよう)の渡り 月は澄み
  赤符(せきふ)再び 世に出(い)でゝ
  興(おこ)るべかりし 漢の運
  天か股肱の 命(めい)盡きて
  襄陽遂に 守りなく
  玉泉山(ぎょくせんざん)の 夕まぐれ
  恨みは長し 雲の色。

  中原北に 眺むれば
  冕旒(べんりゅう)塵に 汚されて
  炎精(えんせい)あはれ 色も無し、
  さらば漢家の 一宗派(いちそうは)
  わが君王を いただきて
  踏ませまつらむ 九五(きゅうご)の位(い)、
  天の暦數 こゝにつぐ
  時建安の 二十六
  景星(けいせい)照りて 錦江(きんこう)の
  流に泛(うか)ぶ 花の影。

  花とこしへの 春ならじ、
  夏の火峯(かほう)の 雲落ちて
  御林(ぎょりん)の陣を 焚(や)き掃ふ
  四十餘營(しじゅうよえい)の あといづこ、
  雲雨(うんう)荒臺(こうだい) 夢ならず、
  巫山(ふざん)のかたへ 秋寒く
  名も白帝の 城のうち
  龍駕(りょうが)駐(とどま)る いつまでか。

  その三峽の 道遠き
  永安宮(えいあんきゅう)の 夜の雨、
  泣いて聞きけむ 龍榻(りょうとう)に
  君がいまわの みことのり。
  忍べば遠き いにしえの
  三顧の知遇 またこゝに
  重ねて篤き 君の恩、
  諸王に父と 拜(はい)されし
  思(おもい)やいかに 其(その)宵(よい)の。

  邊塞(へんさい)遠く 雲分けて
  瘴烟(しょうえん)蠻雨(ばんう) ものすごき
  不毛の郷(きょう)に 攻め入れば
  暗し瀘水(ろすい)の 夜半(よわ)の月、
  妙算世にも 比(たぐい)なき
  智仁を兼ぬる ほこさきに
  南蠻いくたび 驚きて
  君を崇(あが)めし 「神なり」と。

      四
  南方すでに 定まりて
  兵は精(くわ)しく 糧(かて)は足る
  君王の志 うけつぎて
  姦(かん)を攘(はら)はん 時は今、
  江漢(こうかん)常武(じょうぶ) いにしへの
  ためしを今に こゝに見る
  建興五年 あけの空、
  日は暖かに 大旗(おおはた)の
  龍蛇(りょうだ)も動く 春の雲、
  馬は嘶(いなな)き 人勇む
  三軍の師を 隨へて
  中原北に うち上る。

  六たび祁山の 嶺の上、
  風雲動き 旗かへり
  天地もどよむ 漢の軍、
  偏師節度を 誤れる
  街亭の敗(はい) 何かある、
  鯨鯢(げいげい)吼(ほ)えて 波怒り
  あらし狂うて 草伏せば
  王師十萬 秋高く
  武都(ぶと)陰平(いんぺい)を 平げて
  立てり渭南の 岸の上。

  拒(ふせ)ぐはたそや 敵の軍、
  かれ中原の 一奇才
  韜略(とうりゃく)深く 密ながら、
  君に向はん すべぞなき、
  納めも受けむ 贈られし
  素衣巾幗(そいきんかく)の あなどりも、
  陣を堅うし 手を束(つか)ね
  魏軍守りて 打ち出でず。

  鴻業果(はた)し 收むべき
  その時天は 貸さずして
  出師(すいし)なかばに 君病みぬ、
  三顧の遠い むかしより
  夢寐に忘れぬ 君の恩
  答て盡す まごゝろを
  示すか吐ける 紅血(くれない)は、
  建興の十三 秋なかば
  丞相病 篤かりき。

      五
  魏軍の營(えい)も 音絶て
  夜(よ)は靜かなり 五丈原、
  たゝずと思ふ 今のまも
  丹心(たんしん)國を 忘られず、
  病(やまい)を扶(たす)け 身を起し
  臥帳(がちょう)掲(かか)げて 立ちいづる
  夜半の大空 雲もなし。

  刀斗(ちょうと)聲無く 露落ちて
  旌旗(せいき)は寒し 風清し、
  三軍ひとしく 聲呑みて
  つゝしみ迎ふ 大軍師、
  羽扇綸巾(うせんかんきん) 膚(はだ)寒み
  おもわやつれし 病める身を
  知るや情(なさけ)の 小夜(さよ)あらし。

  諸壘あまねく 經(へ)廻(めぐ)りて
  輪車(りんしゃ)靜かに きしり行く、
  星斗(せいと)は開く 天の陣
  山河はつらぬ 地の營所(えいしょ)、
  つるぎは光り 影冴えて
  結ぶに似たり 夜半の霜。

  嗚呼陣頭に あらわれて
  敵とまた見ん 時やいつ、
  祁山の嶺(みね)に 長驅(ちょうく)して
  心は勇む 風の前、
  王師たゞちに 北をさし
  馬に河洛に 飲まさむと
  願ひしそれも あだなりや、
  胸裏(きょうり)百萬 兵はあり
  帳下三千 將足るも
  彼れはた時を いかにせん。

      六
  成敗遂に 天の命
  事あらかじめ 圖(はか)られず、
  舊都(きゅうと)再び 駕(が)を迎へ
  麟臺(りんだい)永く 名を傳ふ
  春(はる)玉樓(ぎょくろう)の 花の色、
  いさをし成りて 南陽に
  琴書(きんしょ)をまたも 友とせむ
  望みは遂に 空(むな)しきか。

  君恩(くんおん)酬(むく)ふ 身の一死
  今更我を 惜しまねど
  行末いかに 漢の運、
  過ぎしを忍び 後(のち)計る
  無限の思(おもい) 無限の情(じょう)、
  南(みなみ)成都(せいと)の 空いづこ
  玉壘(ぎょくるい)今は 秋更けて、
  錦江の水 痩せぬべく
  鐵馬(てつば)あらしに 嘶きて、
  劔關の雲 睡(ねぶ)るべく。

  明主の知遇 身に受けて
  三顧の恩に ゆくりなく
  立ちも出でけむ 舊草廬
  嗚呼鳳(ほう)遂に 衰へて
  今に楚狂(そきょう)の 歌もあれ、
  人生意氣に 感じては
  成否をたれか あげつらふ。

  成否をたれか あげつらふ
  一死盡くしゝ 身の誠、
  仰げば銀河 影冴えて
  無數の星斗 光濃し、
  照すやいなや 英雄の
  苦心孤忠の 胸ひとつ、
  其(その)壯烈に 感じては
  鬼神も哭かむ 秋の風。

      七
  鬼神も哭かむ 秋の風、
  行(ゆき)て渭水の 岸の上
  夫の殘柳(ざんりゅう)の 恨(うらみ)訪(と)へ、
  劫初(ごうしょ)このかた 絶えまなき
  無限のあらし 吹(ふき)過ぎて
  野は一叢(いっそう)の 露深く
  世は北邱(ほくぼう)の 墓高く。

  蘭(らん)は碎けぬ 露のもと、
  桂(かつら)は折れぬ 霜の前、
  霞(かすみ)に包む 花の色
  蜂蝶(ほうちょう)睡(ねむ)る 草の蔭、
  色もにほひも 消(きえ)去りて
  有情(うじょう)も同じ 世々の秋。

  群雄次第に 凋落し、
  雄圖(ゆうと)は鴻(こう)の 去るに似て
  山河幾とせ 秋の色、
  榮華盛衰 ことごとく
  むなしき空に消行けば
  世は一場(いちじょう)の 春の夢。

  撃たるゝものも 撃つものも
  今更こゝに 見かえれば
  共に夕(ゆうべ)の 嶺の雲
  風に亂れて 散るがごと、
  蠻觸(ばんしょく)二邦(にほう) 角(つの)の上
  蝸牛の譬 おもほへば
  世ゝの姿は これなりき

  金棺灰を 葬りて
  魚水の契り 君王も
  今(いま)泉臺(せんだい)の 夜の客
  中原北を 眺むれば、
  銅雀臺(どうじゃくだい)の 春の月
  今は雲間の よその影
  大江(たいこう)の南 建業の
  花の盛も いつまでか。

  五虎の將軍 今いづこ。
  神機(しんき)きほひし 江南の
  かれも英才 いまいづこ、
  北の渭水の 岸守る
  仲達(ちゅうたつ)かれも いつまでか、
  聞けば魏軍の 夜半の陣
  一曲遠し 悲茄(ひか)の聲。

  更に碧(みどり)の 空の上
  靜かにてらす 星の色
  かすけき光 眺むれば
  神祕は深し 無象(むしょう)の世、
  あはれ無限の 大うみに
  溶くるうたかた 其(その)はては
  いかなる岸に 泛(うか)ぶらむ、
  千仭暗し わだつみの
  底の白玉 誰か得む、
  幽渺(ゆうびょう)境(さかい) 窮(きわ)みなし
  鬼神のあとを 誰か見む。

  嗚呼五丈原 秋の夜半
  あらしは叫び 露は泣き
  銀漢(ぎんかん)清く 星高く
  神祕の色に つゝまれて
  天地微かに 光るとき
  無量の思 齎(もた)らして
  「無限の淵」に 立てる見よ、
  功名いづれ 夢のあと
  消えざるものは たゞ誠、
  心を盡し 身を致し
  成否を天に 委(ゆだ)ねては
  魂遠く 離れゆく。

  高き尊き たぐいなき
  「悲運」を君よ 天に謝せ、
  青史の照らし 見るところ
  管仲樂毅 たそや彼、
  伊呂の伯仲 眺むれば
  「萬古の霄(そら)の 一羽毛」
  千仭翔(かく)る 鳳(ほう)の影、
  草廬にありて 龍と臥し
  四海に出でゝ 龍と飛ぶ
  千載の末 今も尚
  名はかんばしき 諸葛亮。

 私は昔からこの詩を何度も何度も読んできました。一時は全文暗誦できたものです。やはり私には、この詩こそ諸葛亮孔明のことを一番よく表しているように思えます。

 司馬懿仲達と何度も闘った五丈原で孔明は、大きな流れ星が落ちると同時に亡くなりました。仲達という当時最大の軍略家は、とうとう最後まで孔明が中原に進出するという悲願を防ぎとおしました。仲達は第二次ポエニ戦争におけるハンニバルに対する大スキピオといえるのでしょうか。ただしスキピオはザマでハンニバルに直接勝利しますが、仲達は孔明に勝利はしないのです。負けなかっただけなのです。しかし、魏と蜀の関係では、魏は負けなければ、もはや中原を支配しているのですから、それだけで蜀には勝利していることになるのです。
 それにしても、この詩を読んでいると、誠に一途な孔明を感じてしまいます。ひたすら劉備玄徳の恩に酬いたいがために、なんとしても中原にうって出たい孔明の気持、中原を制覇して、漢室を再興することこそ、玄徳への恩をかえすことであり、またそれが、中国の大衆を苦しみから救うことだと考えていたのでしょう。それに対して、仲達の存在はもはやそんな考え自体もう時代遅れだよといっているようにも思えます。
 また土井晩翠もまたこの孔明にかなりな愛を感じているのがそのまま伝わってきます。それに、この詩の語句はまた三木卓「青年日本の歌(昭和維新の歌)」でもいくつか使われていますね。私もどうしても自然に口から出てくるような詩句がいくつもあります。
 そしてこの詩が収められている「天地有情」ですが、やはりこれ全体がいいですね。やはりこうして孔明の真心を天は知っていて、孔明の蜀に勝利をもたらす訳ではありませんが、孔明が亡くなる時に、星を五丈原に降らすわけです。天は黙って見ているのです。

 高校時代の文学史の授業で、明治の詩人としては、北村透谷や島崎藤村のみ扱われて、土井晩翠をさほど評価しない内容だったのに、私は強烈に文句をつけたことがあります。とにかく私には中学生の時から好きで音読していた詩人でした。
 私の持っている「天地有情」の収められている詩集は、新潮文庫の「土井晩翠詩集」で、中2のときに鹿児島のある古本屋で買ったものでした。編者と解説がなんと保田與重郎です。

   私は晩翠詩の初めての讀者に對しては、語句の詮議を第二として、まずその作をよみ、これが音調を味ふことをすゝめる。由來和漢の文藝は、一應字を讀みうれば情おのづとうつるものである。晩翠詩中に於て、まことに難解と考へられる字句は極めて僅少である。そこで歌はれてゐる事實は日本人としての教養に缺くことの出來ない東西古今の文物史蹟である。これを知識として知ることは、文明の國民の單なる義務である。
                  (保田與重郎「土井晩翠詩集」解説)

 この古本屋に、土井晩翠訳のホメロス「イーリアス」が置いてありました。それを見あげて、高価なので買えないことを悔しがっていたものでした。

 私がときどき行くゴールデン街の飲み屋(ひしょうでした)で、2軒目としていきますから、夜の12時ころになりますが、そこで1年に1度くらい会う(私がこんな夜遅く行くからなかなか会えないのです。1軒目としていけばもっと会えるのでしょうが)、元国立大学の先生がいます。もう65歳くらいでしょうか。その方が私の顔を見ると、必ず「あ、彼が来ちゃった、俺帰れなくなっちゃうよ」などといいながら、私に向かって

   土井晩翠「星落秋風五丈原」!!

と叫びます。私は立ち上がって、この詩を暗唱しだします。しかし、もう私はちょうど1連くらいしか暗唱できないのです。彼は絶えず、「あ、一行抜かした」だの「それ読み方が違う」だのうるさいのです。私が「もうここまでくらいしか覚えていませんよ」というと、今度は

   諸葛亮孔明「出師の表」!!

ということで、私はまた

   先帝業を創めてより未だ半ばならずして、中道にして崩徂す。今天下三分して益州疲弊す。此れ誠に危急存亡の秋なり。然れども待衛の臣内に懈らず、忠志の士身を外に忘るるは、蓋し先帝の殊遇を追うて、これを陛下に報いんと欲するなり。誠に宜しく聖聴を開張して、……………………。

と暗唱しだします。
 しかし、実にこれがいつものことですが、実に大変なのですね。もう長年の酒のせいかだんだんと記憶力がおちてきて、もうどれも正確に暗唱できなくなってきているのです。(この先生は、もう亡くなりました。もう随分の時間が経ちました。2005.08.14)
 でもこうして、土井晩翠の詩や「出師表」を通して孔明を思ってくれる人がいるのは実に嬉しいことです。「演義三国志」での孔明はなぜかすべてを判りきっている大軍師のようで、あんまり好きにはなれないのですが、孔明の本当の姿というのは、この詩で土井晩翠がいう

  消えざるものはたゞ誠、

ということにあるように思います。「誠」一筋の人だったよ、と思うのです。



周の詩歌の館
周の三曹の詩
2006年12月01日(金) 00:50:01 Modified by shomon




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