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オドエフスキー「4338年」序文

Vladimir Odoevsky: "The Year 4338: Petersburg Letters" (1835)
(Translated by John Kuti, 2013)

第1の手紙


ある天文学者の計算によると、ビエラ彗星は2500年後、つまり4339年に地球に衝突するという。この手紙にある小説の出来事は、この大災害の前の年の出来事である。(V.F.オドエフスキーの注記)。

[訳注: ビエラ彗星 (3D/Biel)は、1772年にMontaigne and Messierにより最初に記録され、1826年にWilhelm von Bielaによって周期彗星だと特定された木星族周期彗星。 その後、2つに分裂すしたことが観察され、1852年以来見られていない。おそらく破壊され、残骸はアンドロメダ流星群として一時期残った。この「4338年」が執筆される3年前の1832年の接近では、Heinrich Wilhelm Matthias Olbersが10月29日に彗星のコマが地球軌道を通過すると予測して、大衆にセンセーションを巻き起こしたが、地球がその地点に到達するのは11月30日であることをFrançois Aragoが指摘し、騒ぎは鎮静化した。]

はじめに

注意: これらの手紙は、ある意味で極めて非凡な人物によって生み出されたものである。彼は署名しているが、自分の名前が公表されることを望んでいない。彼は何年か前から催眠術(メスメリズム)の実験に従事しており、希望すればいつでも催眠状態に入ることができるほど、この術に熟達している。さらに特筆すべきは、この磁気的ビジョンによって調べたい対象をあらかじめ選ぶことができることである。

このようにして彼は、いかにに遠い国であれ、いかなる時代であれ、いかなる人物の状況にも、ほとんど努力することなく移動できる。この行動についての彼の天賦の才能は、長時間の練習によって磨かれたもので、磁気的知覚に現れるすべてのものを報告したり、書き留めたりできる。この状態から目覚めると、彼はすぐにすべてを忘れてしまい、自分が書いたものを少なからぬ好奇心を持って読み進めることができた。天文学者たちの計算では、4339年、つまり2500年後にビエラ彗星が地球に衝突することを示したことに、この我らが夢遊病者には特に強い印象を与えていた。彼は、その恐ろしい瞬間の前年に人類がどうなっているのか、人々はそれについて何と言うのか、人々にどんな印象を与えるのか、知りたいと思った。そのとき、どのような道徳観や生き方が社会規範となるのだろうか。野心や好奇心、愛といった人間の最も強い感情は、その遠い時代にどのように表現されるのだろうか?彼はそれを知るために催眠状態に入り、相当な時間の後に意識が戻ると、そこには、体外離脱中の自分が44世紀の中国人であり、ロシアを旅して、北京に残してきた友人と熱心に文通していることを伝える記述があった。

彼がこの手紙を湯人たちに見せたところ、さまざまな反応があった。彼の発見の中には、あまりにも日常的で平凡に見えるものもあれば、単に不可能に見えるものもあった。彼は「我々が見るものは、常に多かれ少なかれ、我々の現在の理解に影響されており、それが、まだ説明されていない科学法則に従って、真実の認識を歪めてしまうことがある」と応えた。しかし、「私の中国人」のストーリーを、現在わかっていることに照らして考えてみると、多くの点で間違っているとは言い切れない。まず、人は人のままであり、昔から変わらない情熱や信念を持っている。しかし一方で、彼らの考えや感情の形、特に日常生活のパターンが、我々のものとは大きく異なると考えるのは至極当然である。我々の時代に対する彼らの見方に衝撃を受けるかもしれない。確かに、我々は2500年前のことをもっとよく知っている気がするかもしれない。しかし、若い世代は常に現在にやるべきことがあり、過去のことは忘れてしまうということを考慮する必要があるだろう。誰かが言ったように、人類は、高いところから落とされた石ころのように、常に加速している状態である。未来の世代は自分たちの関心事に忙殺され、過去について我々よりもずっと知らないかもしれない。このプロセスは、我々の紙の記録の必然的な消失によって支えられることになる。アメリカなどでは、本が100年以上持たないようにする虫がいることは、すでによく知られている。しかし、それ以外にも、最高級のコットン紙が数百年の間に簡単に破壊されてしまう要因がある。もし古代人がパピルスや羊皮紙、あるいは何よりも石板に書かなかったとしたら、ファラオ・ネコや、ダレイオス大王、ファラオ・プサンメティコス、アテナイのソロンについて我々はどれほど知っているだろうか?千年後、いや二年半後でも、我々の書物は残っているのだろうか?もちろん、再版されるものもあるだろうが、原本がなくなれば、間違いや誤解が生まれ、それを確認するすべもなくなる。そのため、推測がまた多くの誤りを生み、さらに以前の複製も消えてしまう。そうなると、2500年後の人々は、紀元前700年の時代、つまり今日から2500年前の時代についてさえ、我々の時代についてはるかに曖昧なイメージしか持てなくなる。

馬の品種の消失は明白な問題であり、我々の時代には同じプロセスの何千もの例がある. それは、キュヴィエがかつて地球に生息していたことを証明した巨大なトカゲである古代動物については言うまでもない。 また、ヘロドトスがマケドニア、小アジア、シリアにライオンが生息していたと報告したことを思う起こそう。 さまざまな種類の犬の縮小は、我々の目の前で実際に起こっており、庭師が大きな落葉樹や針葉樹を小さな鉢植えに変えるのとまったく同じ方法で人工的に達成されている.

今日の化学のブレークスルーにより、弾性ガラスの発明を予想できるようになった。これは製造業で必要とされているものである。そして、ネロが想像していたことを歴史家が疑問視していないものでもある。現代の我々がガスを医療で使用しているが、胡椒やバニラやスピリットやコーヒーやタバコのように、いつの日か毎日の習慣になるだろう。これらはいずれも、かつては医薬品として使われていたものだ。空飛ぶ機械の場合は自明である。我々の時代に、偶然に重りについたティーポットから蒸気エンジンが派生し、ありふれたもになったなら、19世紀末までに空飛ぶ機械が広く使われるようになるのを疑うべくもない。それは汽船や鉄道機関車の1000倍も世界を変えるだろう。手短に言えば、私の情報提供者は続けた。私の中国人の話の中に、私は、科学と芸術によって認識される、人類発展の一般法則から自然に外挿されえないものを、何一つ見出していない。したがって、私の知見は誇張だと非難されるようなものではない。

我々は、これらの記述を、以下の手紙の序文として付けることが適切だと考えた。

ウラジーミル オドエフスキー


第1の手紙




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