ロシア宇宙主義についてのノート・調べものメモ

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オドエフスキーとメスメリズム


越野(1999)によれば、1789年には、デルジャーヴィンがメスメリズムに言及しており、その頃には、ロシアにメスメリズムが広がっていたことを示唆している。そして、ロシア文学にメスメリズムが登場する例として越野(1999)は以下を特に取り上げている。
  • Н.И. グレチ(1787− 1867): 『黒衣の女 (Черная женщина)』(1834)
  • В.Ф.オドエフスキー (1803-1869):
    • 『4338年 (4338-й год: Петербургские письма)』(1835, 1840)
    • 『コスモラマ(Косморама)』(1837, 1840)
グレチの長編『黒衣の女』は,今でこそ忘れられた作品だが,19世紀前半には非常によく読まれた小説の一つである。i舞台は18世紀末のペテルブルク,メスメリズムの最初の流行が廃れかけた頃にあたる。理想家肌で空想に耽りがちの主人公ケムスキイ公爵と,彼を導く不思議なオカルティスト,アリマーリの交流を軸に,18世紀後半のロシア社会を幅広く書き込んだ大河小説である一方で,夢と現実の間をさまようロマン派的気分の濃厚な幻想小説ともいえる。

[ 越野剛: "ロシア文学とメスメリズム", ロシア語ロシア文学研究31(1999) ]

オドエフスキーの4338年では、未来を見るための能力として...
オドーエフスキイはメスメリズムを無意識の描写とはっきり関係づけている。『4338年。ペテルブルク書簡4338一齢o双.HeTep6yprcKHeuHcbMa』には,彗星の接近に脅かされる人々が,動物磁気の作用で催眠術にかかったとたん「彗星なぞ恐くはないふりをしてるけど,実をいうと,あれが近づいてくるのが無性に恐ろしい」(382)と心の底に隠している考えを打ち明ける場面がある。

[ 越野剛: "ロシア文学とメスメリズム", ロシア語ロシア文学研究31(1999) ]

コスモラマでは幻覚を説明するものとして...
オドーエフスキイは1830年代の終わり頃から,メスメリズムにも関わりの深い神秘的傾向の小説をいくつか書いているが,その中から『コスモラマ(KOCMopaMa)』を取り上げてみたい。

この小説でも動物磁気は幻覚を説明するものとして取り上げられている。主人公のヴラジーミルは,ケムスキイ公爵と同じように幻覚に悩まされる。少年時代にプレゼントされたコスモラマ(中に絵のはいっている一種ののぞき眼鏡)を通して,ヴラジーミルは幻覚を見るようになる。しかしここで描写される幻覚は,『黒衣の女』よりもずっと複雑な構造を持っている。『コスモラマ』の幻覚は,現実世界ともうひとつの世界をつなぐ役割を果たしている。

この二つの世界では,同じはずのものが全く違う様相を見せる。例えば,主人公の友人でお人好しな医者のベンは,のぞき眼鏡を通した世界では主人公を導く神秘的な援助者になる。二つの人格はベンという一人の人物のものでありながら,それぞれ別の世界に属するものとされる。二つの世界の間は「星の幕」と呼ばれる壁で遮られていて,こちらから向こうを見ることはできない。別世界にいるもう一つの人格の声は,現実世界では,シンボル,隠れた衝動,あいまいな暗示といった形でのみ表される。これらは普通は理解されないまま見過ごされてしまう。ベンの第二の人格はいう。

そこでの私は自分が何をしているのか知らない。しかし,あなたの世界では意識せざる衝動(HeBOJIb}loeRO6y>KneHMe)という形をとる自分の行為を,ここでの私は理解している(312−313)。


不思議な魅力をたたえた少女ソフィアも第二の人格を隠している。彼女は無口で素朴な性格だが,自分でも説明のつかない考えが不意に口をついて出てしまう。「時おり私の内側で何かがこうした言葉を語ります。私はそれに耳を傾け,ロに出すのです。考えることはしません」(320)。ここでは第二の人格は別世界というよりは,人間の内面に隠れて存在するものとされている。

自分では意識せずに口から出した言葉や振る舞いが,眼に見えないところで繋がりあって,思いがけない事件を引き起こすというのが,この小説の大きなモチーフの一つである。「ことばに気をつけなさい。私たちの言葉は一つとして失われることがありません」(320)とソフィアはいう。

自分では何の意図もなしにしたことも,内面に深く隠された悪意から生じたものかもしれない。ヴラジーミルは美しい伯爵夫人エリザと不義の恋に落ちる。伯爵の危篤の知らせが二人の元に届いたとき,ヴラジーミルは「ぼんやりとした考え」を抱く。これが何であるか,説明はない。医者のベンが何げなく「死人は甦らぬもの」とつぶやくと,ヴラジーミルは自分でもなぜか分からず,この医者に抱きついてしまう。邪魔者である伯爵の死を望む主人公の悪意が,意識されないかたちで表現されている。ヴラジーミルもエリザもソフィアもさまざまな衝動を内に秘めているが,神秘的な因果応報の巡り合わせによってその報いを受け,物語は悲劇的な結末を迎える。

オドーエフスキイは催眠術の不思議な現象に強い興味を持っていたが,メスメリズムは真実の一部を説明しているに過ぎないと考えていた。ヴラジーミルが見る幻覚はメスメリズムによるという説明も出てくるが,それよりも幻覚を通じて明らかになる複雑で神秘的な世界観の方に小説の重点が置かれている。それが最も良く表されている箇所を挙げておこう。

それぞれがここでは独自の生きた存在である衝動,人間の心に生じるあらゆる内面の衝動の重なりを描くことなどできようか。普通の眼では見えない存在によって引き起こされる隠れた事件を全て描くことなどできようか。〈…〉私は知った。これら人間の行為がどれほど恐ろしい論理的な相互関係を有しているかを。ほんの些細な行為,言葉,考えが何世紀も経るに従って,巨大な罪に育っていき,もともとの原因はその時代の人々には見失われてしまうことを。その罪が新しい枝葉を伸ばし,新しい罪の中心を生んでいくことを。人間の罪の暗い原動力の周りには,ひかり輝く姿が,清純で汚れのない魂の産物が広がっていた。それらも同じように互いに生きた輪の連なりを形作り,その存在によって闇の子らを滅ぼしていた(334)。


人間の隠れた衝動や目に見えない動機が重なり合って思いがけない事件を引き起こし,人類の歴史の隠れた動因となっているという考え方は,th“・一デッチやサン・マルタンなどの神秘主義に基づいているとされるが,何かインドのカルマ思想とユングの集合的無意識を足して2で割ったような印象を与える。

オドーエフスキイがこの小説で関心を寄せたのは人間の内面の複雑さだったといってよいだろう。ヴラジーミルは「人間は宇宙である」(335)ことを思い知る。後にフロイトが考えたような意味での無意識という概念はこの時代にはまだなかっただろうが,『コスモラマ』の世界は違ったやり方で,人間の心理の奥深いところに謎の領域があることを示して見せた。無意識の描写は,文学の歴史においては夢や幻覚の描写に始まる。ロマン主義の時代にはこうした夢や幻覚というモチーフが流行した。その全てをメスメリズムに結びつけるわけにはいかないが,多くの作家にとってメスメリズムは夢や幻覚の理論的な基礎になっていたといえる。それは一方で予言や千里眼といったオカルティズムへの興味をそそり,他方では人間の内面を描く手法を発達させた。自分では意識していない隠れた衝動や悪意というテーマは,レールモントフからドドストエフスキイに続く心理小説の流れの中に位置づけることができるだろう。

[ 越野剛: "ロシア文学とメスメリズム", ロシア語ロシア文学研究31(1999) ]






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