自分辞書によるアウトプット

1 総論

1 基礎理論

2 実行行為

間接正犯
甲は自らの犯罪を遂行するためにBを利用しているだけとも思え,そこに正犯性が認められないか。
確かに,実行行為を担当したわけではない甲に正犯としての罪責は問えないとも思える。
しかし他人を意のままに使い,その動作や行為を自己の犯罪に利用する場合には,自らその実行行為をしたと同一に考えることができる。
したがって,このような利用者は間接正犯として処罰できると考える。
その要件としては,1)正犯意思に加え,2)被利用者の行為を何らかの方法で支配し,意のままに動かしたという関係が認められることである。
(要件:正犯意思と行為支配性)

3 因果関係

危険の現実化説
そもそも因果関係は行為の危険性が結果へと実現する過程であるから ,因果関係の有無もそれに即して判断すべきである。
そこで,行為の危険性が結果へと実現した場合に,因果関係は認められると解すべきである。
具体的には,
(1)行為の危険性,(2)介在行為の寄与度,(3)介在行為を誘発する危険性(介入の蓋然性・可能性)などを考慮して判断すべきである。
×相当因果関係説(古い…)
Aの死の結果は,Aの病状と相まって発生したものである。となるとAの行為と結果との因果関係が認められないのではないか,その判断方法が問題となる。
この点,因果関係も構成要件要素であり,構成要件は社会通念から処罰すべき行為を類型化したものである以上,因果関係の有無についても行為者に帰責させるのが社会通念上妥当なものだけを選び出すべきである。
よって,社会通念からして通常その行為からその結果が発生することが相当と認められる場合に初めて因果関係の存在を認めるのが妥当である。
そして,その相当性については,上記構成要件の趣旨からすれば,一般人からみて偶然的結果でないものは基礎事情から排除してはならない。
また,構成要件は責任類型でもあるから,行為者にとって偶然的事情でないものを帰責の範囲から除外すべきでもない。
よって,一般人が認識し得た事情と,行為者が特に認識していた事情を因果関係の基礎事情と考えるのが妥当である。
本件では,心臓疾患という事情は一般人にとって知り得ない事情である。また行為者も特に認識していなかったため基礎事情に含めることはできない。
よって因果関係は認められない。
実行行為後,被害者本人の介入行為があった場合の因果関係
 では,その後Aが死亡していることにより,Aを「傷害」し「よって人を死亡させた」として傷害致死罪が成立しないか。
 本問では,Aの死亡の決定的な原因は,Aが高速道路に侵入したことにあるため,このような被害者の不適切な行為が介入した場合でも因果関係が認められるのかが問題となる。
 実行行為と結果との間の因果関係は,結果が実行行為の危険性の現実化といえるような場合には肯定できるものと解する。
 具体的には,結果の決定的な原因が事後的に介入した被疑者の介入行為によって発生している場合には,この介入行為が具体的状況のもとで著しく不自然または不相当であったとはいえないならば,その結果は実行行為の危険性が現実化したものといえ,因果関係を肯定できる。
 これを本問についてみると,Aは窓から逃げた後マンションから1キロメートルほども離れた高速度道路へ行き,わざわざ金網フェンスを乗り越えて高速道に進入している。この点,高速道路はクルマが高速で走行する場所であり,人が進入することはきわめて危険な行為といえ,不相当な行為であるといえる。しかし,被害者は被告人から長時間激しくかつ執拗な暴行をうけ,被告人に対し極度の恐怖感を抱き,必死に逃走を図る過程で,とっさにそのような行動を選択した者と認められ,その行動が被告人らの暴行から逃れる方法として,著しく不自然,不相当であったとはいえない。したがって(因果関係肯定)。
実行行為後,第三者の介入行為があった場合の因果関係
 では,Xは結果的に監禁されたまま死亡していることから,Xを「よって死傷させた」として,甲らに監禁致死罪(221・220条後段)まで成立しないか,本問では,Xの死の決定的な原因は,Yのクルマによる追突にあるため,このような場合でも甲らの監禁行為とXの死との結果との間に因果関係があるかが問題となる。
 この点,実行行為と結果との間の因果関係は,結果が実行行為の危険性の現実化といえるような場合に肯定できる。
 具体的には,結果の決定的な原因が事後的に介入した第三者の行為にによって発生している場合には,(1)この介入行為が具体的に状況のもとで客観的に予測可能なものであり,かつ(2)行為者の設定した危険状況が結果に影響しているのであれば,実行行為の危険性が現実化したといえ,因果関係を肯定できる。
 要件(1)について検討すると,Yのクルマが甲らのクルマに衝突したのは,午前3時50分という深夜であり,一般的に・・・衝突事故を起こすことは予測しがたいとも思える。しかし,(場所=○○)は深夜であっても交通量が少なくないと考えられ,上記の状況のみをもって事故の発生が予測不可能であったとはいえない。要件(2)について検討すると,甲らはXを普通自動車のトランクに押し込み,トランクカバーを閉めて脱出できないようにしている。トランクは・・・追突事故等に対して人を防護する構造になっていない・・・甲らの設定した危険状況が結果に影響しているといえる。

4 未遂犯と不能犯

未遂犯と不能犯との区別
本件は,未遂罪の成立が考えられるが,不能犯として不処罰と評価される可能性もある。そこで,いずれにあたるか区別基準が問題となる。
この点,不能犯が不処罰とされる根拠は,法益侵害の結果発生の危険性を欠く点に求められる。
よって未遂犯と不能犯との区別は抽象的には結果発生の危険性の有無に求められる。
それでは,そのような危険性の有無はいかに判断すべきか。
この点,刑法は一般人への行為規範である以上,一般人から判断して結果発生の危険性がある場合は処罰すべきである。
また,基礎事情として特に行為者が知っていた事情を取り込まなければ,帰責の範囲において妥当な結論を導くことはできない。
よって,行為時に一般人が認識し得た事情,及び行為者が特に認識していた事情を基礎にして,一般人を基準に具体的危険の有無を判断するのが妥当である。

5 過失犯

6 違法性

7 責任

8 故意

故意責任の本質
故意責任の本質は,犯罪事実の認識によって反対動機が形成できるのに,あえて犯罪に及んだ点に求められる。
よって,自己の犯罪事実を認識・予見した場合,故意責任を問うことができると考える。
ここに犯罪事実は,構成要件として刑法上類型化されているから,原則として構成要件に該当する事実さえ認識していれば,故意責任を問い得る。

9 錯誤

具体的事実の錯誤
甲はAを殺害するつもりであったのに,死亡しているのはBとCであった。
このような主観と客観の食い違い(錯誤)にもかかわらず,実際に発生した構成要件該当事実についての故意を認めることができるかが問題となる。
この点,故意とは,構成要件該当事実の認識・予見である(「故意責任の本質」参照)。
とすれば,行為者が認識・予見した事実が実際に発生した事実とが同一の構成要件に該当すべきものである場合には,実際に発生した構成要件該当事実について故意を認めてよいと解する。
故意の個数
本件は,一人を殺害しようとして二人死亡している,このように認識を超えた数の客体に犯罪結果を発生させた場合,どのように処理すべきか。
この点,故意は構成要件の範囲内で抽象化されるから,故意の認定において故意の個数は問題とならないはずである。
とすれば,現に発生した数だけ故意犯が成立すると考えて差し支えない。
このように考えると,思わぬ結果について故意責任を問われることになるかに見える。
しかし,一個の行為により数個の犯罪が成立した場合,観念的競合(54-1前段)として処理され,刑の不均衡は生じないから不当ではない。
抽象的事実の錯誤
認識と客観的な事実との不一致が,異なる構成要件にまたがっている場合,すなわち抽象的事実の錯誤のある場合,故意は認められるか。明文なく問題となる。
確かに,行為者が,現に発生した構成要件該当事実についての認識がない以上,規範の問題は与えられない。
よって,抽象的事実の錯誤の場合には,構成要件の範囲内での符号がない以上,原則として故意は阻却されることになる。
しかし,構成要件が実質的に重なり合う場合には,その限度で反対動機を形成することがありうるから,故意責任を認めてよいと解される。
そして,このような実質的な重なり合いとは,異なる構成要件とされる両罪の1)行為態様および2)被侵害法益の共通性を持って判断すべきである。

10 期待可能性

11 共犯

I 共同正犯
共謀共同正犯
犯罪の共謀の事実が認められるから,共同正犯(60条)の成立が考えられるが,甲による実行行為の担当がないことから問題となる。
思うに,一部実行全部責任の根拠は,共同実行の意思の下に相互に他人の行為を利用し補充しあって犯罪を実現する点に求められる。
よって,この点をみたしているならば,実行行為に向けて行為を共同するに過ぎない者も正犯とみるべきである。
ただし,正犯は法益侵害の結果発生の危険性がある行為,すなわち構成要件該当行為を実行した者であるから,この枠を超えて正犯を成立させるためには共同正犯の成立要件を明確にする必要がある。
具体的には,共謀共同正犯の成立要件としては,1)正犯としての共同意思の存在,2)実行と評価できるだけの共謀の事実,3)共謀者のいずれかによる実行行為の存在が必要であると考える。
承継的共同正犯
★(後行者)に加攻前の(先行者)の行為についてまで責任が問えるか。
確かに,後行者の行為と無関係な先行者の行為・結果に利用補充関係は認められない。
しかし,後行者が先行者の行為及び結果を積極的に自己の犯罪遂行の手段として利用することはあり得る。
また,先行者も後行者の加入によって自己の犯罪の実現が容易になることが考えられる。
このように,先行者と後行者が相互に利用補充しあって一定の犯罪を実現することは可能である。
よって,先行者と後行者に上記関係があれば,共同正犯の成立を認めるべきである。

II 教唆・幇助
III 共犯の諸問題
共犯と錯誤
★共同正犯間で重い罪の故意を有する者と,軽い罪の故意を有する者とがいる場合,どのように処理すべきか。
そもそも,共同正犯では共同の正犯行為を通じて法益侵害もしくはその危険を発生させるものである。
とすれば,共同して特定の構成要件を実現したという事実を要するというべきである。
そうであるならば,共犯間の故意が異なる場合,共犯が成立しないかにもみえる。
しかし,構成要件的に重なり合う範囲については犯罪の共同が認められる。
共犯と身分
共犯からの離脱
共犯関係の解消について,犯罪行為を途中で断念した者の罪責については,共犯関係の離脱しているか否かの判断をする必要がある。
思うに,共犯関係において離脱が認められるのは,行為と因果性がない結果への責任を問うわけにはいかないからである。
とすれば,離脱の効果を認めるには,離脱者が自己の行為と行為者によるその後の行為との因果性除去する必要がある。
具体的には,実行行為着手前の離脱の場合には,原則として他の共謀者に対して共謀関係からの離脱の意思表示をし,他の共同行為者の了承があれば足りる。それだけで共同実行の意思が解消されるのが通常だからである。
それに対して,実行行為着手後の離脱については,他の共謀者の実行行為を阻止して,当初の共謀に基づく実行行為が阻止される必要がある。他方,結果が発生した場合でも積極的な行為によって自己の行為と結果との因果性を遮断すれば離脱は認められると考えられる。
不作為と共犯

ア 不作為による共同正犯

不作為であっても,共同意思の下に相互に利用補充しあって結果を発生させることができるから,不作為による共同正犯も認めることができる。
しかし,不作為は無限定となりやすい。
そこで,自由保障の見地から
1)法的な作為義務と
2)作為可能性・容易性から,作為との構成要件的同価値性が認められることが必要と解すべきである。
不作為による幇助

不作為であっても,作為と同様に間接的に法益を侵害することは可能であるから,不作為による幇助も認められうる。
しかし,不作為の幇助は無限定となりやすい。
そこで,自由保障の見地から
1)法的な作為義務と
2)作為可能性・容易性から,作為との構成要件的同価値性が認められることが必要と解すべきである。

12 罪数

13 刑罰

2 各論

■財産罪

I 窃盗罪

★窃盗罪の実行の着手時期は,一般的には占有侵害の具体的危険が高まったときに求めることができる。
すなわち,原則として物色行為があれば「窃盗」の実行の着手が認めれる。

II 不動産侵奪罪
III 強盗罪

★事後的奪取意思
他の目的で,暴行脅迫を加え,反抗抑圧後に財物奪取の意思を生じ,財物を奪取した場合,強盗罪が成立するかが問題となる。
そもそも,強盗罪は犯行を抑圧するに足りる暴行・脅迫を手段といて財物を奪取する犯罪である。
また,強盗罪には,178条(※準強制わいせつ/準強姦)のように,自己が生じさせた相手方の反抗抑圧状態を利用してさらなる行為を処罰する規定が存しない。
そこで,暴行・脅迫の後に奪取意思が生じた場合には,強盗罪は成立せず,暴行罪または脅迫罪と窃盗罪の併合罪が成立するにすぎないことになる。
もっとも,それ自体独立で用いられる場合には相手方はの犯行を抑圧するに足りない程度の軽微な暴行や些細な言動でも,それによって,すでに反抗抑圧状態にある被害者の反抗抑圧状態を維持するものであれば,財物奪取に向けられた新たな暴行・脅迫があったと評価できるので,強盗罪が成立すると解される。

★処分行為の要否(2項強盗罪)
1項強盗罪における財物の移転とは異なって,2項強盗罪における財産上の利益の移転の有無は不明確である。
そこで,利益の移転を明確にするために,債務免除や支払猶予の意思表示といった被害者の処分行為が必要ではないかが問題となる。
この点,
強盗罪における暴行・脅迫は強度であり,被害者が処分行為を行えない程度に犯行を抑圧されることも十分にあり得る。
そうだとすると,被害者の処分行為は不要であると解すべきである。
もっとも,処罰範囲の明確化の観点から,財産上の利益が行為者または,第三者によって,法律上または事実上取得されたとみられる事情が存することが必要であると解すべきである。

★事後強盗の成否(窃盗の機会)
暴行が窃盗の現場から500m離れた公道上で行われている。
この場合「窃盗」(238条)が暴行・脅迫をしたといえるか,事後強盗における暴行・脅迫と窃盗行為との関係が問題となる。
そもそも,事後強盗が強盗罪に準ずるとされるのは,暴行・脅迫が財物奪取の手段として行われる態様の犯罪であることによる。
とすれば,事後強盗罪における暴行・脅迫は,時間的・場所的に窃盗行為に接着した範囲内で行われなければならない。
もっとも,多少の時間的・場所的隔離があっても窃盗の現場の継続的延長と見られる限りは,財物奪取の手段としての暴行・脅迫であると認め得る。
参考 最裁 平成14年02月14日

★先行者が窃盗又は窃盗未遂を犯した後,法所定の目的でなされた暴行・脅迫にのみ関与した後行者の罪責は,事後強盗罪の共犯か。
後行者は暴行・脅迫に加功したのみであることから問題となる。
この点について,事後強盗の性質を結合犯ととらえ,後行者は実行行為の一部のみに加担したと考えることもできる。
しかし,結合犯と考えて窃盗に実行の着手を認めれば,窃盗の着手があれば同時に事後強盗罪の着手があることになりかねず妥当でない。
思うに,本罪の性質は窃盗犯という身分ある者しか犯せない身分犯というべきである。
刑法65条の身分犯の解釈については,法文上1項が「身分によって構成すべき犯罪」,2項が「身分によって特に刑に軽重がある場合」としているこから,1項は真正身分犯,2項は不真正身分犯に適用されると解する。
とすると,事後強盗罪については真正身分犯と解する。
この点,暴行・脅迫罪の加重類型であるとして不真正身分犯ともいえそうであるが,暴行脅迫と準強盗では保護法益が全くことなるので,このような解釈は採用できない。
そして,身分のない者も身分のある者を通じて正犯としての法益侵害をすることは可能である。よって「共犯」(65条)には共同正犯も含まれると考える。
以上から,後行者は事後強盗罪の共同正犯の罪責を負う。

★殺意ある場合の処理(強盗致死傷罪−240条)
240条は,「死亡させた」として,結果的加重犯であるかのような規定形式を有するため,故意ある場合を含むかが問題となる。
そもそも,240条は,強盗の機会に人が殺傷されることが刑事学的に顕著なため,かかる事態の発生を防止するために重い刑罰を科したものである。
そうだとすると,典型的な場合である殺意ある場合を同条が除外していると解するのは不自然である。
また,240条には,結果的加重犯に通常使われる「よって」という文言がない
そこで,240条後段には,結果的加重犯としての強盗致死罪のほか,故意犯としての強盗殺人罪を併せて規定するものであり,殺人の故意ある場合にも適用されると解すべきである。

★ 強盗の機会
240条は,強盗の機会に残虐な死傷の結果が伴う事態が刑事学上少なくないことに鑑みて規定されたものである。
そうだとすると,死傷の結果は,強盗の手段たる暴行・脅迫から生じたものである必要はなく,強盗の機会に行われた暴行・脅迫から生じたものであれば足りると解すべきである。

IV 詐欺罪

V 恐喝罪
VI 横領罪
VII 背任罪
VIII 盗品等に関する罪
IX 毀棄・隠匿罪

■個人的法益に対する罪

I 生命・身体に対する罪
II 人格的法益に対する罪
(6)名誉毀損罪・侮辱罪
★名誉毀損罪における事実の真実性に関する錯誤
刑法230条の2における真実性の証明による免責により事実を摘示したものが何らかの根拠に基づいて摘示事実が真実であると考えていたが,それが真実でなかった場合,又は真実性の証明に失敗した場合,免責の余地はないか。直ちに処罰を肯定することは,表現の自由(憲法21条)の保障の観点からしても不当である。そこで,免責される場合の法的構成が問題となる。
この点,行為者の故意を阻却することでその可罰性を否定する見解がある。
しかし,230条の2の法的性質は処罰阻却事由であると解される。なぜなら真実性の挙証責任を被告人に負わせているからである。
とすると,処罰阻却事由の有無は故意の成立と関係ないから上記見解は妥当でない。
むしろ,確実な資料・根拠に基づいた事実の摘示は,表現の自由の正当な行使というべきである。
とすれば,避難可能性がないというより,端的に違法性のない行為と解するのが妥当である。
したがって,たとえ証明に失敗しても,本行為は正当行為(35条)として,違法性が阻却されるというべきである。
そして,正当行為というためには,まず230条の2における二つの要件の具備が必要である。
すなわち,1)摘示事実が公共の事実に関する事実であり,行為者に公的目的がなくてはならない。
そのうえで,2)確実な資料・根拠に基づいて事実の摘示をしていることが35条を適用する要件と考える。
参考:夕刊和歌山事件(最高裁判所大法廷・判決 昭和44年06月25日)

★名誉毀損罪が成立しないが改めて侮辱罪が成立しないか
この点,侮辱罪の保護法益を名誉感情とする見解によれば,名誉毀損罪が不成立でも侮辱罪が成立するとも考えられる。
しかし,侮辱罪の成立に公然性が要求されていることが説明できない。また,幼児や感情のない法人にも侮辱罪は成立するから,保護法益については名誉毀損罪と同じく外部的名誉であるというべきである。
もっとも事実を摘示する場合が名誉毀損罪であり,事実を摘示しない場合が侮辱罪ということになり,両者は区別される。
本件は(事実をテキ示しているので)別に,侮辱罪が成立することはない。

■社会的法益に対する罪

I 公共危険罪
II 偽造罪
(1)文書偽造罪
★写真コピーは写しの作成であるから「文書」(159条)にあたらないのではないか。「文書」が原本に限るか否かが問題となる。
そもそも,写しは作成者による原本内容の変更を伴う可能性があって社会的信用性に欠ける以上,原本足り得ないのが原則である。
しかし,その写しに原本同様の社会的機能と信用性が認められる場合があり得る。そのような場合は例外的に写しも「文書」足り得ると考える。
以上にしたがうと,写真コピーは原本と寸分違わない体裁・内容を備えるものであり,その信用性から各種証明に利用されている。
よって,写真コピーは文書偽造罪の「文書」にあたる。
★写真コピーの作成が「偽造」といえるか。
まず,写真コピーの名義人は誰か,判断基準が問題となる。
そもそも本罪の保護法益は,文書に対する一般人の信用である。とすれば,名義人が誰であるかの判断は文書に接した者をして誰を名義人と考えるかを一般人を基準に判断すべきである。
以上にしたがうと,写真コピーには,原本の意識内容が保有されているから,一般人はコピーの名義人を原本の名義人と同視すると思われる。
よって,写真コピーの名義人は原本の名義人である。
とすると,写真コピーの改ざんにより,原本と別個の文章が作り出されている以上,偽造というべきである。

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