葉鍵キャラを政治家に見立て葉鍵国を統べる仮想政界「葉鍵政界」の派生wikiです。葉鍵板を参考に、99%のネタと1%の知性で盛り上げ楽しんでいきましょう。(元は葉鍵政期スレのまとめwiki的位置づけでしたが、現在は三次創作サイトの方向に突き進んでいます。)

 
葉鍵政界の地勢
地名AngelBeats!特別開発地域
所属


 AngelBeats!特別開発地域(えんじぇるびーつとくべつかいはつちいき)は、地方に属する作品県候補地である。
 
 外国資本が主導し肝いりで開発された地域であるが、開発計画の杜撰さに加え、音無結弦暫定行政長官の公私混同・思想改造・粛清等といった悪政に住民が反乱を起こし、現在でも内戦状態が収束していない。
 この為、開発計画が完了して1年以上経った現在でも県昇格への目処は立っておらず、中央政府内ではいっそ葉鍵国から分離させるべしという意見まで出ている有様である。
 
 尚、葉鍵国政府の承認の元行われていた開発計画は既に終了している為、「開発特区」の扱いからは既に外れている。その一方で、県昇格の目処は全く立たず、また行政区としての呼称を与えてしまうと区域の大半を実効支配している音無独裁政権を追認することに繋がりかねない為、「特別開発地域」という呼ばれ方がされている。
 
 

地勢

 当初からアニメ合衆国資本主導で開発計画が立てられたことから、アニメ合衆国により近い葉鍵国の東部海洋上の孤島を中心に、葉鍵特別市と同様の人口国土を展開して土地を確保している。なお、一ノ瀬政権に交代後、葉鍵国政府による開発計画は大きく修正され、開発予算は大幅に縮小された。民間資本主導での開発であり、この時には半分以上開発計画は終了していたため大きな影響は出なかったが、受難の歴史は既に始まっていたといえる。

 元からあった島嶼部は出来るだけ自然環境を残し、人口国土部に金沢大学をモデルに設計された県都地区(通称・天上学園)があり、行政機構や住宅地区は全て県都地区に配置されている。

 この他、地下に広大なトンネル網が張り巡らされており、第二期開発でここに地下都市を建設する予定であったともいわれるが、内戦状態で県昇格もままならない状態の元、放置区画となっており、完全な無法地帯となっている。

歴史

停戦合意成立まで


 元々、AngelBeats!特別開発地域の行政長官には立華奏が任命されていた。
 これに反抗する勢力として仲村ゆり日向秀樹?が結成したSSS(死んだ世界戦線)が存在していたが、反抗といっても子供の遊び程度としか言えない程度のものでしかなく、実態は単なる立華長官へのいじめであった。

 ところで、2010年2月頃から単体での抵抗運動に限界を感じていた仲村ゆりは、葉鍵国中央政府に支援を求めることを決め、一ノ瀬ことみ内閣に支援を求めていた。しかし、これがきっかけで、事態はそれぞれの善意が裏目裏目に出て最悪の事態へと転がり落ちる状況となる。

 当初、一ノ瀬政権は「音無を首班とする臨時政府による、立華奏行政長官への抵抗闘争」として理解していた。そのため、何度か立華行政長官に事態是正の勧告を行い、4月28日に実態調査のため中崎勉?・元うたわれ停戦監視委員会副委員長を内国大使として内国使節団を派遣したときも、臨政と奏との抵抗闘争は継続しており、使節団の計画は、行政府側に臨政の要求を呑ませ、「神」の実態とも言うべきNPCシステムを修正させることにあった。

 4月29日に中崎勉・音無・立華奏・行政府議員団・およびNPCシステム管理者の石田(本名不明)の間で人間からNPCへの変換を認めない、元人間であったNPCは復旧させる、などシステムの修正方針について合意が成立した。また、停戦監視団が石田・臨政と連携してシステムの停止・修正を行うが、システムの修正終了後はNPC支配システムは臨政が管理し、石田は美坂香里法務大臣(当時)が「個人的に」保護することとなっていた。

 音無側の関心は奏=「天使」そのものでも行政府でもなく、その背後にいる「神」=NPCシステムによる支配にあり、その思惑は、停戦案で満足する気はなく、システムそのものの破壊の作戦を立てて実行するまでの時間稼ぎと情報収集が出来ればよいということにあった。
 もっとも、奏・行政府の側もまた、このシステムの詳細を把握しておらず、停戦合意に至ったのは県昇格までの間、臨政側には余計なことをしてもらわなければそれでいいという思惑からであり、要するに双方共に時間稼ぎがしたいという点において利害が「一致」したというのが実情である。

 内国使節団は4月30日、改めて奏に事態是正の「勧告」を行い特区を退去した。

 もっとも、椎名枝里?・国家人権委員はこの時の現地調査に先立って、音無臨政首班の思想動向に不審点が見られること、そもそも音無の臨政加入は成り行き上のものであり、思想動向の検証が行われていないことを指摘しており、内国使節団においても、冬馬かずさ?・専門調査員が同様の報告を行っており、同報告が不当に軽視された疑いは残る。

立華事件〜音無の実権掌握〜SSS分裂


 しかし、SSSに偽装加入した音無結弦が立華奏に横恋慕したことで状況は一変する。

 前述の合意にも関わらず、臨政側では仲村ゆりがこのまま停戦してしまっては「革命」が成立しなくなる、システム破壊は臨政が主導して行うべき、として、使節団の退去後にクラッキング作戦を実行、偽造した指令文書を配布し行政府は大混乱を来たした。

 5月1日、奏が臨政による抵抗活動の鎮圧に失敗した責任に加え、意味のない行政指令を濫発(前記の通り、臨政の調略による冤罪)した責任を問われ、行政長官の座を追われる(立華事件)と、音無が奏への傾斜を見せ始め、奏の人のよさにつけ込み、SSSと奏の対立を深刻化させる一方で、長官代理として臨政鎮圧を開始した、行政副長官である直井文人をも抱き込んでしまう。5月8日、音無は「革命成功」を宣言し、行政長官の後任の座を簒奪してしまう。

 かくして、臨政と行政府の両方を掌握した音無であったが、ここで重大な誤算が生じた。音無は奏を愛人にしようとしていたところ、6月に入り、奏は最後の最後で音無に反抗、行政府を脱出しSSSリーダーの仲村ゆりに保護を求めるのである。
 一方で音無にとって嬉しい予想外事態もあった。5月13日にオカル党革命が発生し、中央政府が混乱状態に陥り特別開発地域の事態に干渉していられる状態ではなくなったのである。
(なお、この時点では音無も把握していなかった想定外の事態があった。行政府・臨政双方によって停戦合意が破られる中、石田だけは停戦合意通りに、システムの修正を開始していたのである)

 実際、音無は、直井の抱き込みに成功した後にも、慎重な姿勢を取り続けていた。立華政権時代に内国使節からなされた勧告および停戦合意に従い、事態解決を図らねば中央政府ないしは国家人権委員会から何らかの強制執行措置がなされることは確実であり、当面はSSS仲村派の要請に基づいて、行政府の改革を進めることとなった。
 ところが、オカル党革命により中央政府が混乱状態に陥ったことで、中央政府の介入の危険は大幅に薄れたと判断した音無は、ここから独裁に向けた布石を敷き始めたのである。

 一方SSS内部でも、新参女性メンバーのユイにつきまとわれて辟易していた日向?が、まだSSSメンバーとして振る舞っていた音無に相談したことで、逆に音無派に取り込まれてしまう。SSS結成者の1人でありながら人望の無かった日向についていくメンバーは少なかったものの、若干名が音無政権に走ってしまい、SSSは小分裂する。
 さらに、音楽による平和闘争を指向し、ゆりの武装闘争路線に対し従前から批判的であった岩沢まさみのグループが離反。
 ここに、SSSは3分裂することになる。

 ここに至って仲村ゆりは奏の庇護を決意し、臨政委員会にて「音無が他の臨時政府メンバーを排除する以上、音無の主導を前提とした臨政の存在は認められない」として臨政解散を提議。音無は反対するも、多数決により解散案は可決され、臨政の解散は決定した。
 音無にとっても、反対はしたものの実際問題として見れば、行政府を掌握した今や臨政の存在は邪魔でしかなく、特に解散の措置に抵抗は見せず、臨政は霧散消滅し、そのメンバーはSSSの各派に分散し、音無派に加わった者の一部は行政府にポストを得ることになる*1

音無政権の圧政〜椎名事件〜中央政府の混乱〜逆襲開始〜SSSのさらなる分裂


 行政府を掌握した音無結弦に、またしても「僥倖」が舞い込む。6月13日に中央政府では機能停止・分裂などの混乱状態に陥り、AngelBeats!特別開発地域に積極的に関与できる状態では無くなっていたのである。

 音無政権は翌14日に入り、中央政府のさらなる混乱をみて、もはや中央政府を気にする必要はないと判断し、SSSに対し、仲村派・岩沢派を問わず徹底的な弾圧を開始することを決める。

 国家人権委員会は4月末、使節団帰還後に椎名の報告を受け、音無に不信感を抱いており、立華事件以降も音無のマークを続け、局員を特区内に配置していたが、音無が直井・日向らと共に仲村派への襲撃を実行したのを確認すると、即座に局員は音無らを拘束作戦を開始。同時に音無による襲撃命令の無効を仮決定し、行政府に通達した。
 しかし、頭脳派である音無はこの動きをいち早く察知。一方、国家人権委員会は「SSSメンバーは全員アホ」という情報を鵜呑みにし(事実、音無以外のSSSメンバーで頭脳派として使い物になる人間はいなかった)、完全に音無政権側を見くびっていた。この為、作戦に加わった局員は逆に音無政権側に拘束され、直井の催眠術による思想改造を施されて音無の手先にされてしまうという大失態を犯す。
 
 中央政府の排撃に成功した音無政権はさらなる強権支配を強め、音無とそれに追従する行政府は一般市民に対しても催眠術などを用いた思想改造を強要し、それでも従わないものは容赦なく粛清するなど、非道な圧政を開始した。
 国家人権委員会と停戦監視団はこれを阻止しようと現場指導および行政府への通達を繰り返すが音無政権側は応じず、逆に停戦監視団の拠点に攻撃を加え、完全排除の動きに出る。国家人権委員会と停戦監視団は数少ない武装でこれに応戦した為、結果的に行政府との武力衝突に至る。内戦を止めるべき存在が自ら、事実上内戦の当事者となる事態となってしまった。
 さらに、6月14日、当時国家人権委員会の定例会議に出席していた椎名が事態発生を受け現地に戻ろうとした際、音無政権側は境界線を封鎖しこれを締め出してしまい、椎名は帰郷不可能な事態に陥る(椎名事件?)。

 ところで、中央政府および葉鍵国会は国家人権委員会および停戦監視団より連絡を受け、また、ゆりからも救援の要請があったことから重大な事態と判断する。特に椎名事件発生に至っては、国家人権委員が内戦によりその地盤地域に帰還不可能となる事態は、国家人権委員会制度の設置を自由主義路線の根幹と位置づけた上で(ゴリ押しまがいのやり方で)推進した当時の政権与党にとってはその理念の根底を揺るがされる文字通り「あってはならない」事態であり、政治的誠実性の見地からも、また面子の上からも、到底許されることではなかった。
 こうして、中央政府は遂に音無政権に対する強硬措置を決定するが、前にも述べたとおり、中央政府はオカル党革命を経て、機能停止・分裂などの混乱状態に陥り、AB特区に積極的に関与できる状態では無くなっていた。

 実際のところ、オカル党革命を経て成立した美坂栞内閣は当時は川澄舞Kanon県知事への対策に追われており(詳細はKanon県三分問題を参照)、AB特区に構っている余裕がなかった。また、美坂栞内閣を実質的に動かしていたオカル党にしてみれば、オカル党革命直前に自らが一ノ瀬政権与党から警察力の投入を受けたことが革命のきっかけとなったのであり、チャーらとの交流はあるにせよ、安易に武力介入を認めるのは自分の身に跳ね返ってきかねない諸刃の剣であった。
 一方、一ノ瀬政権旧与党の一部は、美坂栞首相の指名が正当な首班指名手続きと認められず、もう一方の首班指名者である棗恭介が首班指名を受諾していない以上、法的には一ノ瀬内閣が依然存続していると主張するが、形はどうあれ法的に一ノ瀬内閣が終了したことに変わりは無く仮に存続していたとしても職務執行内閣に過ぎない為、官庁は全く耳を貸さず、防衛省・葉鍵国自衛隊もその例に洩れず、まして自衛隊を動かして武力介入させられる状況ではなかった。

 中央政府の支援を期待できる状況ではなくなり、失望したゆりであったが、偶然国会議事堂前を不法占拠していたニー党(当時。現在の満腹実現党)活動家と乱闘を繰り広げていた杏さん党の七瀬留美を目撃。ゆりは七瀬を援護したことで親しくなり、元々「反体制」の視点から杏さん党に親近感を持っていたこともあり、杏さん党入りしてその支援を仰ぐことを決める。

 国会議員として特区の現状をある程度は知っていた七瀬であったが、改めてゆりの話を聞いて義憤を感じ、その場で全面協力を約束する。杏さん党中央は当時、武装闘争路線の放棄を決めていたが、AB特区に関しては例外と判断し、表向きは七瀬留美の独断行動という形で(実際には鶴来屋グループからの経済支援や牧村ネットワークを通じた人民義勇軍の募集など党を挙げての支援であった)、SSS仲村派への支援を開始した。

 また、この頃杏さん党との関係改善の道を模索していた甘党は、そもそも自らがオカル党と共に起こした「首相交代劇」によって中央政府による事態への対応が困難となったことも意に介さず、杏さん党による援護活動に参加し、食糧支援を開始。杏さん党と甘党の関係は非常に微妙なものになってはいたものの、支援活動と政治抗争は別と割り切り援助物資の運送を行った(甘党は特区内に地盤を持っていなかったため)*2

 だが、この頃、杏さん党から全面支援を受けることに反発するSSSメンバーも少なくなく、SSS仲村派はさらに分裂する結果にもなった。

 一方、岩沢派は、芳野祐介を通じて公芽衣党と、緒方理奈を通じて葉鍵社民党と接触する。が、両党から送り込まれてきた支援要員が互いに反目し合い、内ゲバ事件にまで発展するなど、本来岩沢派が目指していた平和闘争路線とはかけ離れた実態になっていった。

SSS反攻〜南部制圧〜会談まで


 この状況下、国家人権委員会から支援要請を受けていた葉鍵国自衛隊が動き出す。美坂栞首相は甘党を通じてSSSを支援することとなった関係上、オカル党の懸念を押し切ってこれを承認したのである。さらに来栖川綾香・元防衛大臣も、人道上の見地からこれを承認し、綾香と同じ新党魁来ヶ谷唯湖議員が監査役として付けられた上で(これは、承認の有効性を巡って問題が生じた時に来ヶ谷の独断専行として処理する目的があったとされる)、来栖川グループを通じて募った私兵をAB特区に進軍させる。

 また、ことみん新党・新党魁が国家人権委員会・停戦監視団の支援のために独自に動き出し、メイドロボ部隊と電波部隊を派遣。県都南部にある国際会議場(停戦監視団拠点)と国家人権委員会の支部、およびその周辺から行政府側部隊の排除、および電波部隊により、音無政権に洗脳されていた隊員の一部の洗脳解除に成功する。

 これらの支援を得て、2010年8月に入り、SSSは音無政権への制圧作戦にあたり、県都南部にある国際会議場および国家人権委員会の支部を中心として、南部一帯を「制圧」することに成功する。

 SSSはさらに、北部への進軍を開始、またこの間、来栖川綾香元防衛大臣は来栖川グループを通じてAB特区の開発に関係している外国資本に、音無政権との絶縁を勧告する。ただならぬ事態を感じた多くの企業が音無政権と距離を置き始める。この事態に音無政権側は危機感を抱く。

 ここに至って、音無政権側は停戦を打診する。SSS側は国家人権委員会による軟禁を脱出してまで圧政を強行しながら停戦を打診してくる音無政権側の姿勢にさらに反発するが、国家人権委員会や停戦監視団の勧告により、停戦のための会談に応じることになる。AB特区を追われていた椎名を呼び戻し、音無・ゆり・岩沢・椎名の間で会談が行われる。

 実のところ、音無政権側も一枚岩ではなく、日向は葉鍵イケメンの会を通じて美坂栞内閣と接触し独自の和睦工作を行っていた。美坂栞内閣は実質的には機能していなかったものの、当時甘党と杏さん党は関係修復しつつあり、少なくともAB特区問題には一致して対応していたこともあって、そこからさらに杏さん党への接触にも成功していた。音無・直井は諸勢力によって追い詰められ四面楚歌に陥ったところで、この日向の人脈が利用できると考えたのである。

対立ムードでの会談〜停戦合意成立


 音無は、会談にて、国家人権委員会による一連の措置は、椎名を通したゆりの指示によるものであり、国家人権委員会は一方的に仲村派を支援していると指摘し、ゆり・椎名両名を非難した。

 一方、上記の通りSSS仲村派には、杏さん党から全面支援を受けることに反発するメンバーも少なくなく、分裂状態にあり、さらに葉鍵国自衛隊まで動き出したことで、ゆり自身も中央政府による介入を強く危惧するようになる。
 ゆりにしてみれば、杏さん党から全面支援を受けている状況で、今更葉鍵国自衛隊や旧与党勢力が動き出すのはとんだ有難迷惑であり、このまま「革命」を達成して政権を掌握しても、国家人権委員会や停戦監視団により強い統制を受けることは確実であることから、音無政権が追い詰められている今が、中央政府の介入を排除するチャンスだと判断したのである。

 また一方、椎名もSSSの活動実態や立華事件の経緯から音無のみならずゆりも信頼できないと判断、国家人権委員会の他の関係者もこの頃にはSSSの活動実態を認識し始め、ゆりもまた警戒に値すると考えていた。そこで、ゆり牽制の目的から、岩沢派に対しても接近を図る。*3
 国家人権委員会からすれば、音無政権が倒れずとも、音無政権に圧政を止めさせれば目的は達成されたことになり、SSS仲村派との連携も葉鍵国自衛隊の支援も、政権を執るのが奏・直井・音無政権・ゆり・岩沢の誰であれ行政府側に自らの措置を破らせないための実力的な裏づけを確保するためでしかなかった。
 いずれにせよ音無政権との闘争中は仲村派と組む必要があるとしても、問題解決後には仲村派は「飛鳥尽きて良弓蔵さる」の格言のごとく、実権から遠ざけられるべき存在であり、音無派への対抗勢力として、支援要員の内ゲバで形骸化したとはいえ理念上は平和闘争路線をとる岩沢派と連携すべきと考えていた。

 しかし、一方の岩沢は、一連の事態経過を見て、中央政府サイド=国家人権委員会・停戦監視団およびその支援勢力もまた事が思うように進まなければ最後には武力でかたをつける存在だと認識しており、また仲村派を使い捨てにするような中央政府サイドの行動からしても、信頼すべき相手とは考えていなかった。
 さらに、この国家人権委員会の動きが仲村派に察知されたことで、仲村派は中央政府サイドが自分たちを使い捨てにするつもりだと判断し、ますます中央政府から距離を置こうとするようになってしまう。

 このようにしてゆり・椎名・岩沢の3者はあからさまに不和な関係となる。音無はその状況を見て、今は停戦を呑むフリをすることを決める。

 交渉段階では仲村派と岩沢派の対立を収めるために、当面双方に実権を分け与え、後に住民選挙を行い公選により長官を選出する方向性が定まる。また、音無・直井に関しては名誉的な地位に据え置くことで事態を穏便に収拾させることも図られる。
 中央政府サイドに対するスタンスとしては、停戦合意に実効性を持たせるために葉鍵国自衛隊および停戦監視団の駐留を認める一方、国家人権委員会に関しては、監視活動自体の必要性は認めつつも、椎名がSSSメンバーの地位を保持したまま国家人権委員として問題に介入することが不信を招いている原因とみられた。

 こうして、2010年9月に入り、音無・ゆり・岩沢・椎名の4者会談の結果、以下の条件により第二次停戦合意が成立した。
  • 音無結弦は行政長官として、直井文人は行政副長官として当面留任するが、実務は執り行わない。
  • 仲村ゆりが行政長官代理として、岩沢まさみが行政官房長として実務を執り行う。
  • 椎名枝里は国家人権委員に在任している間はAB開発特区に入場しない。また、当事者であるから、国家人権委員会においてもAB開発特区に関連する事案の取り扱いを行わない。
  • 当面の間、葉鍵国自衛隊および停戦監視団の駐留を認める。
  • 2012年3月までに住民選挙を行い、公選による長官の選出を行う。

 なお、この合意を受け、国家人権委員会は椎名をAB開発特区問題の担当から外し、少年?を後任の担当者とすることを決定した。

破談


 2010年9月下旬、音無政権側は、再び県都中央部に展開し停戦合意は破綻。葉鍵国自衛隊は鎮圧を試みるが、突如チャーら、ギルドメンバーを中心とするグループ(チャー派、またはギルド派)が「音無独裁政権・南部傀儡政権の同時打倒」を掲げて仲村派から分裂の上、蜂起し、事態は収拾不可能となる。

 音無政権側で和睦を進めてきた日向からすれば、面子を潰される事態であったが、もともと音無・直井サイドからすれば、日向は穏健路線を偽装したい(または偽装せざるを得ない)ときに都合よく利用できる道化でしかなく、このときも穏健路線を偽装してSSS側が目的達成ムードに入り、再び内部分裂を始めた隙を狙うことを考えていたのである。

 また、一ノ瀬ことみ元首相はこれを受け、翼人部隊投入による音無政権支配区域への大規模空爆作戦を提案するが、住民への被害が余りに大きすぎる極めて非人道的な作戦であるとしてSSSサイドから激しい非難を受け、作戦は撤回された。

 こうして、SSS仲村派・岩沢派は県都南部への撤退を余儀なくされ、杏さん党・甘党・葉鍵社民党・ことみん新党・新党魁の支援によって県都南部にある国際会議場(停戦監視団拠点)と国家人権委員会の支部、およびその周辺のみに勢力を置くことができた。

 ギルド派はオカル党と共に錬金術の研究を重ね武器生産能力をさらに向上させ、武力面においては単独で音無独裁政権と拮抗できるまでになったが、SSSの他のグループと連携して音無独裁政権を打倒することは考えておらず、結果的には音無独裁政権・南部SSS勢力双方に対するパワーバランサーとして働くことになる。
 
 こうして音無独裁政権・ギルド派・仲村派・岩沢派と諸勢力が乱立し、仲村派においては親杏さん党のメンバーと完全自主独立を目指すメンバーが、岩沢派においては葉鍵社民党の支援要員と公芽衣党の支援要員が対立し、これに中央政府サイドの諸勢力が絡み抗争を拡大させていった結果、特区内の内線は泥沼化していった。


 その結果、県昇格への目処は全く立てられる状態に無く、後から開発完了したクドわふたー県Rewrite県の後塵を拝する事になってしまった。
 特に、同じように内戦状態にあったRewrite地区が、政治決着で早々に停戦合意・県昇格したことと比べると、停戦の目処が全く立たないAngelBeats!特別開発地域の状態は異常と言える。
 この為、中央政府官僚の一部からは、開発を企画・主導した外国資本に責任を取らせ、葉鍵国から分離してアニメ合衆国領としてしまうことで事態の幕引きを計るべしとの意見も出されている。

 

2012年以降の動き

 2011年末に、同じように内戦状態にあったRewrite県で国会議員補欠選挙が実施されたことから、AngelBeats!特別開発地域も、少なくとも住民の公民権その他の諸権利を守る為の措置を執るべきとの声が出た。
 これを受けて、藤林杏内閣が、AngelBeats!地区を暫定的に鍵特別区の1行政区とすることで、住民が葉鍵国民としての保護と諸権利を受けられるようにすることを決定した。
 美坂栞内閣も、音無独裁政権は認めないという立場では一致しており、この決定を追認する方向で動いている。その為の法案が審議中(2012年2月現在)であり、成立すればAngelBeats!地区は暫定的に「鍵特別区AngelBeats!行政区」として鍵特別区知事の管轄下に入ることになる。また、選挙区も鍵特別区が所属する鍵連合区に入ることになり、総選挙若しくは補欠選挙への参加が可能となる。
 
 一方で、鍵派の中には「AngelBeats!を鍵と認める事自体が間違っている」と主張するものもおり、鍵特別区への編入に反対するものもいる。
 また、鍵特別区に編入することで、音無結弦が選挙を経て合法的に鍵特別区の知事に就任してしまう可能性を指摘するものもいる。
 

主な人物


人名/生業、政治家の場合は人名/所属政党の順に掲載。

音無独裁政権

※音無政権は葉鍵国中央政党との特別な協力・支援関係は無いが、国家社会主義葉鍵十字党が接触を図っているとの噂もある。

SSS(仲村派)
SSS(岩沢派) ※4

SSS(チャー派)
その他
※1 立華奏は無所属であるが、七瀬留美に対し「キムチと麻婆豆腐の融和が出来るならあなたたちの仲間になっても良い」と杏さん党入りを示唆しているとも取れる発言をしている。だがさすがに意味不明な発言である為、七瀬留美も頭を抱えている。

※2 高松は筋肉繋がりで井ノ原真人と交流があり、その関係で食福会に籍を置いている。また、フィッシュ斉藤は斉藤ネットワークが眠主党支援を決めている為、眠主党に籍を置いている。仲村派は杏さん党の全面支援を受けてはいるが、ゆり自身はメンバーがどこに籍を置くかはメンバー各自が勝手に決めることとしており、杏さん党入りを強制も推奨もしていない。この為、他党在籍は事実上のリーダー公認である。

※3 TKのリトバス社会大衆党籍は自称であり、リトバス社会大衆党本部は「そのような名前の党員はいない」と回答している。ただTKの経歴は不明である為別名義で在籍している可能性もあるが、誰も追求しようとしない為真相は不明なままである。

※4 岩沢派は、支援を受けている関係から葉鍵社民党と公芽衣党にメンバーを割り振っているが、各メンバーともそれぞれの党に特別に入れ込んでいるわけでは無い。(但しユイは、白チーズ系と親交を持ちつつあるようである)




           ∧_∧
         < `ш´>
       _φ___⊂)_   このページは未だに未完成である。
     /旦/三/ /|    有志諸君による有意義な文書の編集を望む。
      l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l  |
      |超葉鍵政界|/

このページへのコメント

この区域の正式呼称は「〜開発特区」なのか「〜特別開発地域」なのかどちらなんでしょー?

ttp://wiki.livedoor.jp/xatosi/d/%bb%e0%a4%f3%a4%c0%c0%a4%b3%a6%c0%ef%c0%fe
この項目や、

ttp://aknakajima.web.infoseek.co.jp/log/1265973820.html
58 BP紙:SSS、「Angel beats!臨時政府」結成を宣言
60 BP紙:一ノ瀬内閣、AB臨時政府を承認
62 選管 AngelBeats!開発特区からの立候補認めず

の過去ログを見ると、「〜開発特区」のほうが元から使われていたようですが…

あと、既にある「ゆり」の項目はどうしましょー?

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Posted by 茂ちー団員(Key特別区在住) 2011年08月17日(水) 01:30:04 返信

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