基本情報


略歴

レヴァイア国西方に広がる、ハウンド平原に暮らす騎馬民族、ハウンド族の出身。
実家が牧場を営んでいた為、子供の頃から馬と共に育ち、馬を操る技術は非常に高い。その技術を生かして帝都で早馬による伝令をの任務についていたが、山道を減速もせずに駆け下りるアリサを、狩りの最中に偶然見た皇帝セルレディカが、彼女を気に入り騎馬部隊に編入させた。
その後、個人の馬術だけではなく、騎馬部隊を操る能力も開花させ、将軍として成長していくこととなる。

1253年、ウネピの戦いに参戦するが、戦場で出会った敵将ヴェルナの馬を見て病気だと確信し、使者を送って薬を届けた。これが、総司令官ラディスに咎められ、「アリサは優しすぎる性格、敵将のことを知ってしまうと、戦場で戦えなくなる」と、共和国戦線への異動を命令された。
その後は、戦場に出ても支援に徹した為、大きな手柄は、ゴゥドレヴァイア国への移動を阻止したくらいである(このゴゥド自身が囮だった為、実質上は手柄にはならない)が、同世代の将軍達は彼女の手腕を高く買い、彼女の後方支援を頼もしく思っていた。

戦局の激化によって、彼女は再び戦場に立つ様になり、1255年9周期23日目フェルグリアの戦いに参戦し、ミズハの本陣への火攻め工作をキリカと共に食い止める。
翌年の第3次モンレッドの戦いにも参戦、ラヴェリアの突撃により部隊は崩壊するが、自身は茂みに隠れ、ラヴェリアに矢を射る、この矢は伝令に当たり、ラヴェリア本人には届かなかったが、その伝令が「カオス部隊壊滅」の報告を伝えられなかった為、ラヴェリアはこの後実りのない無駄な突破を仕掛けたことになる。
その後、クァル・アヴェリの戦いにも引き続き参戦した。

本人は優しい性格で戦いをあまり好まないため、戦場ではやや消極的な点もあった。
その為、セルレディカ死後は、将軍職を辞して馬医者となったが、直後に起きた帝国内乱戦争、そして故郷の近くで起きたティルの戦いで戦いが本格化したことを知り、神聖帝国の一員として復帰する。
1258年ハルバートの戦いにも参戦、ルディの本陣を守った。
1259年、帝国内乱戦争の終結により、ラグライナ帝国将軍として、帝位に就いたルディを盛り立てていくこととなる。

肩書きは馬医師であったが、人間に関する医学の習得にも励み、衛生兵として負傷兵の救護も行っていた。
1263年、豪雨の中、馬の集団食中毒の救護に奔走し、多くの馬の命を救うが、その無茶から自らも肺炎を患い、3日後に病没した。

人物

  • 騎兵は槍による突撃が一般的だったこの国では珍しく、騎馬弓兵による一撃離脱を得意とし、主力部隊としてではなく仲間の援護部隊に徹底し、その到着のタイミングと、敵を怯ませ、味方を救出する呼吸は帝国随一とまで称えられた。
  • 無駄な殺生を嫌い、はじめは戦場での消極的な動きが目立つなど、将軍としては甚だ不向きな性格であったが、殺戮ではなく、仲間の命を救うためと自分を納得させて戦闘を行っていたと、戦後に証言している。
  • 部隊指揮では、仲間の命を守るため部隊の安全を最優先にしていたが、少々自己犠牲が強いところもあり、個人の行動では無茶な行動が目立ったといわれている。
  • 馬に乗る上で利点な小柄な体格であったが、本人は身長に触れられることを嫌っていた。また、気性が悪い荒馬に乗ることを好んだが、ある時「それは誰も乗りたがらない死に馬を減らすためか?」と聞かれた時、「気の荒い馬と、気の弱い私が組めば、ちょうどよくなると思います」と答えたという。
  • 血統を重んじる帝国において、他国出身の将に対する偏見と差別は根強く残っていた。アリサもとある貴族に「南方の異民族出身の蛮族」と悪態をつかれたことがあったが、同じく他国から仕官しているバーネットがその貴族にその場で決闘を申し込んで叩きのめし、復讐を訴える貴族の父を逆にセルレディカが一喝したという逸話がある。

関連項目

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