概要

ビーストバリア内乱とは、ザールック2998年から3330年まで続いた、国を二分させる大規模な内乱である。

内乱までの経緯

ビーストバリア国は、明確な法も議会もなく、それぞれの将軍が自由に発言することで国の方針を決めていた。
そのため、時に方針をめぐる対立は、将軍たちの感情的な対立にまで発展することもあった。
それまでも、個人単位の出奔や反乱は絶え間なく続いていたが、2998年、鬼龍(鬼龍の父で先代)を筆頭とする外征を主張していた巨大な派閥が、自らの主張が通らなかった事により、派閥単位による大掛かりな出奔(実質上の独立)を決意する。
彼らは、先代鬼龍の直轄領であったビーストバリア国領北部に集結すると、ここを拠点に正当なビーストバリア国を名乗った。
ただし、正式な国家として周辺諸国に認められたわけではないので、いつしか「鬼龍軍」と呼ばれる様になり、自分たちでもそう名乗る様になっていた。

実質上の独立国

当初、ビーストバリア国内では、この独立勢力を早期武力制圧する意見があがっていたが、不作によって数年にわたって続いた食糧問題もあり、すぐに動くことができなかった。
鬼龍軍においても、独立直後の国内の統治に奔走され、動きをみせなかった為、しばらくはにらみ合いのまま時が流れるが、3050年にはじめて両軍は激突する。
以後、小規模な小競り合いが続くが、鬼龍軍の侵攻はことごとく撃退されていたため、ビーストバリア本国において、徐々に彼らの反乱に対する扱いは小さくなっていた。
一方で、鬼龍軍は、周辺諸国との繋がりを強め、貿易や外交を行うという、実質上の独立国となっていた。
ただし史書においては、あくまでも「ビーストバリア国内における反乱勢力」である。

内乱の終焉

3318年、アトレティア国の後ろ盾を得てダルスバード艦隊を得たこと、父の後を継いだ二代目鬼龍が指揮をとったこと、そして、アーズ国陣営とアトレティア国陣営の大規模な戦いに巻き込まれたことにより、鬼龍軍は本格的にビーストバリア国を脅かす存在となった。
一時は首都にまで肉薄するが、フレイミスト国、アーズ国を巻き込んだ戦いにより、3330年に鬼龍軍は壊滅、これにより内乱は事実上終結する。

歴史

  • 2998年 先代鬼龍によって独立。
  • 3050年 それまではにらみ合いが続いていたビーストバリア本国と、はじめて軍事衝突が行われる。
両陣営による軍事衝突が散漫的に行われるが、基本的に鬼龍軍が進軍し、ビーストバリア国が撃退するという形となる。 この頃、鬼龍が父の後継者となる。また、アトレティア国という後ろ盾を得た勢いもあり、鬼龍軍が徐々に領内を侵略しはじめる。

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