冷戦時代の核実験や民間防衛をめぐるカルチャー

ロシア右翼

アレクサンドル・ドゥーギンの「ロシアには検閲と弾圧が必要だ」(2023)


ロシア政府系メディアRIA Novostiが2023年7月28日に、アレクサンドル・ドゥーギンの「ロシアには検閲と弾圧が必要だ(России нужны цензура и репресси)という意見記事を掲載した。

その論点は以下の通り:
  • 現代の社会には検閲と弾圧が存在する。
  • 検閲と弾圧は明確に定義されたイデオロギーに基づいて行われる。
  • イデオロギーは法律や制度に影響を与え、実践される内容を決定する。
  • リベラリズムが支配的なイデオロギーであり、非リベラルな立場は検閲と弾圧の対象となる。
  • ロシア社会は西側のリベラルな規範に影響されつつも、独自の価値観を持つと主張している。
  • リベラリズムとの文明的対立が進行中であり、ウクライナでの対決が激化している。
  • ロシアでは家庭内では特別軍事作戦や大統領に対する批判が可能だが、公的に反対意見を示すことは制約されている。
  • ロシアには、イデオロギー的な基準はまだ導入されておらず、リベラリズムに偏った規則が存在していることに対して修正の必要がある。
  • リベラルイデオロギーを共有する人々からの大統領や軍の指導部に対する批判も深刻な状況であり、これに対しても厳しい措置が取られるべきである。
  • それがロシアの検閲と弾圧の方針となるべきである。
  • そしてロシア固有のアイデンティティを基にして独自の世界観を確立し、イデオロギー上の敵に対抗する必要がある。


アレクサンドル・ドゥーギン:「ロシアには検閲と弾圧が必要だ」

我々の社会が西側諸国との文明的対立にさらに深く引き込まれ、ウクライナにおける西側諸国との対立が激化するにつれて、検閲や弾圧の問題が緊急性を増している。

どの社会にも検閲と弾圧が存在するという事実から始めよう。それらは常に、明確に定義されたイデオロギー、基本的な態度と原則の体系を中心に構築されている。同時に、イデオロギーは刑法や行政法に厳密に規定されることはない。むしろ、イデオロギーが、法律とその適用をどうするかのイデオロギー的方向性を事前に定める。何が許容され、何が許容されないのか、何が容認され、何が国家権力の介入を必要とするのかは、宙に浮いた法律によって定められることはない。それどころか、法律は支配的なイデオロギーの担い手によって採用され、解釈も与えられ、いつ、誰に、どのような場合に多かれ少なかれ厳格に適用されるべきかという優先順位も定められる。彼らはまた、処罰の適用と制度も監視する。したがって、社会学者ウェーバーは、「ウェーバーは、国家だけが暴力に対する正当な権利を持っている」と正確に見極めた。そして国家はイデオロギーに基づいて構築される。

この意味では現代西洋社会も例外ではなく、基本的にはここ数世紀の全体主義政権(それが共産主義であれファシズムであれ)と何ら違わない。それらの違いはイデオロギーと方法にのみあり、それ以外の点では、いかなる支配的イデオロギーも同様に機能する。イデオロギーに合うものは認められ、そのフレームワークをはみ出し、イデオロギーの基礎(この場合はリベラリズム)に異議を唱えるものは、検閲と弾圧の対象となる。

リベラリズムは、リベラルの理論・価値体系・実践に対する批判・疎外・悪魔化に対して、検閲政策を構築し、それらに関するものすべてを、いかなる情報・ネットワークプラットフォームからも削除し、非リベラルな価値体系の担い手たちをも排除して、非合法化する。これは「キャンセルカルチャー」「ウェイキズム」などと呼ばれる。

現代のリベラルイデオロギーは、人種、ジェンダー、さらには人間という種への帰属(トランスヒューマニズム)を含む集団的アイデンティティに属するあらゆるものを、個人の自由な選択の結果であると見なす。それを否定する者たちは犯罪者となる。したがって、古典的な家族の支持者、愛国者、集団主義の教義の担い手が迫害される。リベラリズムの欠如が疑われる人は、主要なチャンネル、マスメディア、さらにはソーシャルネットワークへのアクセスを拒否される。同時に、たとえエリート層の人物であっても、リベラルアジェンダから逸脱する(全体主義アジェンダにつけば)、ただちに、追放され、検閲され、弾圧されることになる。の中でも誰かがつまずいたり、リベラルな(完全に全体主義的な)アジェンダから逸脱したりすると、即座に村八分、検閲、弾圧が起こることになる。有名なアフリカ系アメリカ人ラッパーのカニエ・ウェストが、「White Lives Matte (too)」というイノセントな言葉が書かれたTシャツを着た。一夜にして大衆の目に彼は取るに足りない、過激派、社会的危険分子に変わってしまった。支配的イデオロギーに反する者はすべてただちに弾圧される。

もちろん、リベラル体制だけが全体主義であるわけではない(ファシズムも共産主義も全体主義だった)が、もし彼らが全体主義であるなら、例外はない。このことは認めなければならない。

これにより、検閲と弾圧それ自体の必要性については問う必要はなくなった。残るは、我々の現代ロシア社会にといて、いかなる検閲と弾圧が必要かを見出すこと。それらは避けがたいが、いかなるものだろうか?

我々は西側諸国と文明戦争を繰り広げており、その戦いではリベラルイデオロギーが勝利している。我々は伝統的な価値観を肯定しており、国家側がそれらの価値観を守る必要性から、大統領は大統領令809号を制定した。そして、慈悲、祖国への愛、正義、強い家族、物質に対する精神の勝利、連帯など価値観は、リベラリズムとほとんど共通点がない。したがって、我々の検閲と弾圧は、現代のリベラル西側諸国とは異なる基準から進められなければならないことは明らかである。この場合、反対意見と闘い、それに基づいて弾圧を行うための西側の基準を単純に「コピー&ペースト」することは、まったくのばかげたことになるだろう。

しかし、我々の社会には、過去数十年間に支配的だった西側のリベラルな固定観念の名残が依然として非常に強く残っている。我々はもはやリベラルイデオロギーの世界にはいない。さらに我々はリベラル陣営の国々と戦争状態にあり、ロシアは独自の価値観を持つ別個の文明であると宣言しているが、それでも(時には惰性で)西側の規範に導かれている。

リベラルにとって、典型的な敵対者は、国家(右翼)または階級(左翼)の集合的アイデンティティを認める人々である。したがって、リベラリズムと個人主義、そして今日ではグローバリズム、LGBT、批判的人種理論、多文化主義、トランスヒューマニズムに対するいかなる反対も、すでに「思の犯罪」とみなされ、主たる検閲と弾圧となっている。同時に、リベラルは、結局のところ、彼らはイデオロギーの覇権者である。好ましいというだけでなく、支配的世界観の規範的な担い手であると考えられている。リベラルはすぐに敵を「ファシスト」(右翼)または「スターリン主義者」(左翼)のカテゴリーに分類する。そのとき敵の運命は、うらやましいと思えない。今日、「ゼレンスキーの神格化」、ウクライナのナチスへの共感(彼らは非リベラルなロシアに対してリベラルな西側のために戦っているので、彼らはまったく「ナチスではない」)、そして義務的なロシア恐怖症が、普遍的に義務付けられているリベラルな価値観に加えられている。

我々の国家的検閲をどう構築するか、客観的に避けられない弾圧の基準として何を選択すべきか?

これまでのところ、軍事作戦について大統領と軍を批判することを禁止するという原則を導入している。きわめて明確でトランスペアレントな基準だ。特別軍事作戦自体に対する公的な批判の禁止に関する規定もすでに採択されている。そして、紛争が深刻になれば、これらの基準はより厳格に適用される。

人々は心の奥底や家族の食卓で、特別軍事作戦や軍や大統領について自分の「反対意見」を持つ余裕がある。リベラルな西側諸国では、家庭での会話の中で、親が多文化主義、トランスジェンダー、ゼレンスキー、不法移民、特に貧しいウクライナ難民のいずれかを批判してもよいと子供たちに伝えることはすでに一般的となっているが、それには、何らかの結果を伴う。しかし、我々は今までのところ、この規則に対する公的違反について論じている。家族内では完全な自由があり、言いたいことを言う。しかし、私はまだそれを乱用していないだろう。

イデオロギー的な基準はまだ導入されておらず、ここでは我々は依然として前時代のリベラリズムの惰性の虜になっている。我々は西側諸国を模倣し、我々の社会の保守的愛国主義者と左翼社会主義者層を「信頼できない」というカテゴリーに押し込んでいる。リベラルな西側諸国から模倣した軽蔑的な特徴が時々彼らに適用され、そこでは1990年代にロシアのエリートの間で栄えた軽蔑的な用語「赤褐色」が使われた。赤褐色は「リベラルではない」、すなわち。それが左翼か右翼のどちらか(時には同時に両側を)を意味していた。この時代はとうの昔に過ぎ去ったが、法執行機関、FSB、ロシア政府の政治ブロックを含め、その時代に定められた態度は部分的に維持されている。我々がリベラルであれば、これは理解できるだろう。しかし、我々はリベラル勢力と戦争状態にある。したがって、検閲ガイドラインを修正し、イデオロギー弾圧の根拠をより明確に定義する時期が確実に来ている。

確かに、ロシアの右翼にも左翼にも、大統領や国防省指導部を批判し、時には特別軍事作戦の必要性すら疑う人物がいる。これは禁止されており、国家は容赦なく処罰しなければならない。しかし、ロシア全土で日夜、志願兵の根幹を構成し、志願兵を支援する人々の中核を構成する、イデオロギー的かつ社会的に活動的な人々は、ほぼ例外なく右翼的あるいは左翼的な愛国思想の持ち主であることは、注目に値する。つまり、特別軍事作戦はイデオロギー的に、リベラル以外のイデオロギー以外を公言する人々の肩にかかっている。イェゴール・レトフを言い換えると、次のようになる。「銃撃下の塹壕の中にリベラルはいない。」そして、無神論者も同様だ。したがって、罪を犯した人々の中に右翼保守派や左翼社会主義イデオロギーが存在することは、彼らの罪を重くする要因ではなく、(もちろん、取り除くことなく)罪を軽くするものだと考えるべきだろう。

そしてその逆も同様である。大統領や軍の指導部や特別軍事作戦全体に対する批判、およびこの方向での対応する行動がリベラル、つまり文明の敵である我々のイデオロギーを明らかに共有する人々からのものである場合、この場合は これはまさに深刻な状況である。そして、(右翼愛国者と左翼愛国者、すなわち同じ「赤褐色」に対する獣のような憎悪として容易に認識できる)リベラルイデオロギーそのものの存在は明らかに「反逆の可能性がある!気をつけろ、リベラル過激主義!」という警戒信号である。ミリブロガ―であるウラドレン・タタルスキーを残忍に殺害し、他の平和的で罪のない人々に重傷を負わせたリベラルテロリスト、ダリア・トレポワの事件は極めて示唆的である。もちろん、すべてのリベラルがテロリストであると確信しているわけではないが、彼らのイデオロギーはまさにこの方向に向けられている。結局のところ、ロシアで禁止されているワッハーブ派やサラフィー派の文献を読んでいるイスラム教徒全員が、敢えて殺したり、シャヒードのベルトで自爆したりするわけではない。しかし、法執行機関がそのような本を見つけたり、イスラム教の中心地で原理主義が説かれているという情報を入手したりするとすぐに、厳しい予防措置が講じられることになる。リベラルに対しても同じことをするのは理にかなっている。彼らは、ポパーの著書『開かれた社会とその敵』や、ジョージ・ソロスの黒い聖書や、リベラル悪魔主義者アイン・ランドに対する不健全な関心を読んだり伝えたりしたという事実を記録し、すぐに注目した。そして、リベラルメディアを禁止し、外国代理人と認定することは、すでに正しい方向への一歩である。リベラルになる前に、まずそのための代償が何であるかを、よく考えないといけない。

リベラルな人はロシアの愛国者にはなれない。なぜなら自分を「世界市民」であり、西洋文明の価値観の担い手であると考えているからである。米国やEUでは、特に反リベラル勢力と戦争している場合には、リベラルが何らかの形で国家を支持できる。しかし、ロシアではそのような状況はありえない。もちろん、元リベラルの人や(知識や理解の不足により)誤って自分を「リベラル」だと思っている人もいるだろう。彼らは別だ。しかし、実際の戦争をしている敵のイデオロギーを共有することは、すでに犯罪への第一歩である。大祖国戦争中に『我が闘争』(ロシアでは発禁)を読み、その主な条項を共有したソ連人を彼らがどのように扱うかを想像してみてほしい。そしてポパーを読めるか?「ドーシチ」*(ありがたいことにロシアでは放送禁止)を見れるか?そして、逃げ出した「モスクワのこだま」を聞けるか?ちなみに、「モスクワのこだま」はモスクワ談話を中継するのをやめたため逃亡した。「モスクワのこだま」は、モスクワでは何も言わなくなり、他の話を伝えるようになった。

現在、始まったばかりの検閲と弾圧が、最も明白な課題に対応しようとしている。 しかし、これらは第一歩だ。そして、西側諸国との対決状況において、何を許容し、何を許容しないかという基準を、完全に西側から模倣することは全く愚かなことだろう。西側が許容することの一部はロシアでも許容される。 しかし、いくつかのことはもう許容できない。そして、我々が許容することの一部は、西側では許容されない(たとえば、スプートニクを聞いたり、RTを見たりするなど)。そして我々の側では、Instagram* と FB* (ロシアでは文化文明的侵略の手段として禁止されている) を見たくはない。西側では許容されるが、我々は許容しない。検閲と弾圧戦略の違いの中で、文明のアイデンティティを花開かせよう。ちなみに、中国では「許容されること」「許容されないこと」が、基本的にすべて異なる。イスラム諸国やアジアでもそれなりに。すべてが許容される社会などというものは存在しない。しかし、何も許容されない社会もまた存在しない。何かは許容される。

すべてのリベラルを予め外国代理人に指定することは可能だ。しかし、これはまだ[大統領府直属]捜査委員会に求められていない。ましてや護送車でもない。外国代理人としての認識さえない。ただ予め、メモを取ったに過ぎない。

全般的に、ヨーロッパ近代の3つの政治イデオロギー (リベラリズム、共産主義、ナショナリズム) をすべて超えて、国民と国家の基本的価値観に基づいて独自の真の主権的世界観を確立する必要がある。そして、そこから出発して独自の検閲と弾圧戦略を構築する。公然にせよ非公然にせよ、ロシアのイデオロギー上の敵に対して、団結、力、忠誠の名の下に、対抗しよう。

*外国代理人に指定されてマスメディア

[ Александр Дугин: "России нужны цензура и репрессии" (2023/07/28) on RIA ]






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