冷戦時代の核実験や民間防衛をめぐるカルチャー

ロシア右翼

ソルジェニーツィンのロシアとは何者なのか(1990)


ロシアとは「キエフ・ルーシ」であり、それ以外を力で押しとどめておく必要はない... と書いたソルジェニーツィンの記述:
ロシアとは何であるか
ロシアとは何であるか

今やこの「ロシア」はとことん悪者扱いされて、何かにつけて非難されている。そして、ソビエト連邦という怪物がアジアやアフリカの小さな土地を盗ろうと押し入った時も、全世界で「ロシアだ、ロシア人だ」とひんしゅくをかったものである。

それにしても、ロシアはいったい何であるか。今日のロシアとは、そして明日のロシアとは(こちらのほうがもっと重要だが)、今は、誰が自分は将来のロシアの一員になるだろうと考えているのだろうか。さらに、ロシア人自身はロシアの国境をどの辺にみているのだろうか。

四分の三世紀ものあいだ、全世界に鳴り物入りで喧伝した「社会主義的民族友好」をわれわれの頭にたたきこんできた共産主義政府は、民族問題をもつれさせ、複雑なものにし、混乱させてしまった。そのために今や革命前のロシアで最後の数十年間に、一部の不幸な例外を除いて、ほとんど達成された平和な民族共存状態、まさに惰眠をむさぼるような、民族の区別さえつかない混合状態に戻る方法が、わからなくなってしまったのだ。こうした問題を整理して、民族関係を調整することは、ひょっとすると、まだ間に合うかもしれない。だが、嵐のようにわれわれを巻きこんだ現在の混乱のなかではとても無理であろう。もっとも将来の平和と見通しを考えた場合、分離を求めている民族は分離させるべきである。とくに、全国いたるところでみられる民族衝突で国民が疲れはて、他のことなど念頭になく、ひたすら他民族だけを憎悪しているこの忌まわしい状態を考えればなおさらのことである。

2DKや3DKの各部屋に一世帯ずつ入居している共同住宅に住むことが、時として、いかにつらいことであるかは、われわれの多くの者が承知していることである。今やまさにそのような緊張した状況に、わが国の民族はおかれているのである。

さらに、多くの周辺共和国では、分離を求める遠心力があまりにも強くなりすぎて、もはや暴力や流血なしでは止められない状況になっている。それほどまでの代償を払って、離れようとしている者を引きとめる必要はあるまい! わが国では今や混乱があまりにもひどくなっていて、いずれは「ソビエト社会主義」の崩壊が余儀なくされるだろう。これは避けられないことだし、選択の余地もないし、あれこれ想いめぐらす必要もない。やるべきことは、ただ素早く動き、災難を先まわりして、なるべく人災を少なくすることだけである。

さて、私の見解では、今ただちに大声で、しかも明確なかたちで、次のごとく宣言すべきである。すなわち、バルト三国、外コーカサスの三二共和国、中央アジアの四共和国、さらに、ルーマニアとの統一を求めているならばモルダビアを含む十一共和国を、間違いなく、しかもあと戻りしないように分離すると宣言することである(分離の手続きについては後ほど述べる)。

カザフスタンについて。今日のその広大な領土は、共産主義者たちが、ろくすっぽものも考えずに、でたらめに定めたものである。すなわち、遊牧民の家畜が年に一度通る場所が、つまりカザフスタンの土地とされたのだ。その当時は、どこに境界線を引こうが、いずれは一つの民族に融合されるのだから、大して重要なことではないと考えられていた。洞察力のあるイリイッチ一世(レーニンのこと)などは、民族の境界線の問題を「重要性では十番目」と名づけたほどである(このようにして、ナゴルノ・カラバフ自治州もアゼルバイジャン共和国に編入されたのだ。共産主義者としてはどうでもよかったのだが、当時はソビエト政権の友好国であったトルコの都合に合わせなければならなかったのだ)。そして、1936年までカザフスタンは、ロシア連邦共和国内の自治共和国であったが、その後は連邦を構成する共和国に格上げされたのである。カザフスタンの土地は、シベリアの南部地方、ウラルの南部周辺地域と広々した中央アジアの砂漠地帯からなっており、ソビエト政権時代になってからロシア人と囚人と強制移住させられた民族によって開発され、人が住めるようになったのである。今日でも、これほど拡大されたカザフ共和国にあって、カザフ人は人口の半分をかなり下回っている。カザフ人の大部分、その安定した民族的中核は、東から西ヘカスピ海の近くにまでいたる、南部諸州のかたちづくる大きな弧を描いた地域に集中している。実際、この地はカザフ人がほとんどである。もし、この地域をもってカザフ人が独立を希望するなら、神さまもそれを祝福するだろう。

さて、この十二の民族を差し引けば、 古代からの呼び名であるルーシと呼べるような土地が残ることになる (「ルースキー」(ロシア人)という言葉は、何世紀にもわたって小ロシア人と大ロシア人と白ロシア人とを指して使われてきた)。あるいは、この土地をロシア(18世紀からの名称)あるいは、より正確に今はロシア連邦と呼ぶことができる。

それでもなお、この土地には大小あわせて百以上の民族と種族が残る。そしてここで、この残った土地で、われわれ全員が偉大な英知と善意を結集することができるし、またそうしなければならないのだ。この時点から、われわれは各民族の実り多い友好体制を築き、各民族の文化の全一性とその言語の保存に 努めることが可能であり、またそうしなければならないのである。

[ソルジェニーツィン (木村浩 訳):"甦れ、わがロシアよ」(NHK出版協会), 1990, pp.10-14 ]

大ロシア人への言葉

大ロシア人への言葉

すでに今世紀の初頭に、わが国の偉大な政治家であったS.E.クルイジャノフスキーは次のごとく予言していた。「本来のロシアには、周辺民族を同化するだけの文化的な力も精神的な力もない。それはロシアの民族的中核をお弱めるものである」

だが、この予言がなされた時のロシアは、豊かで繁栄した国家であった。その時はまだ何百万人もの国民が片っ端から殺されることもなく、ロシアの優れた人材を狙い撃ちした虐殺もなかった時代である。

それにしても今は、この言葉の重みは千倍にもなっている。われわれには周辺地域を支える力はないのだ。経済的な力もないし、精神的な力もない。われわれにはこの帝国を支える力はないのだ! なくともいいのだ。それはわれわれを打ちのめし、生命力を吸いとり、われわれの破滅を早めているだけで、そんな重荷は早く肩から降ろしたいものだ。

今や、目覚めようとしているロシアの民族意識が多くの場合、大国的な思考、帝国のまやかしの虜となって、本来ありもしない大げさな「ソビエト的愛国主義」を共済主義者たちから受けつぎ、「偉大なソビエト大国」を誇りに思っているのをみると、私は憂慮にたえない。この「偉大なソビエト大国」は、鈍重なイリイッチ二世(ブレジネフのこと)の時代に、何十年もの制作力を際限のない無用な(そして今や無駄に廃棄されている)軍備にもっぱら使い果たし、われわれを辱め、凶暴で貪欲で無節操な侵略者、武器の重さで膝がガクガクして今にも力尽きて倒れそうな侵略者のイメージを世界中につくりあげてきたのだ。「そのかわり、われわれは大国なので、どこの国もわれわれのいうことを聞くのだ」というわけだが、これこそがわが民族意識の最悪の歪みではないか。まさにそうであるのに、われわれは死にかけている今も、心から共産主義を支えている始末である。たとえば、日本などは運命を甘受し、国際的使命も、魅力ある政治的冒険も放棄しえた途端、繁栄を達成したのである。

今やわれわれはきっぱりとした決断を迫られている。すなわち、誰よりもまずわれわれ自身を死に追い込んでいる帝国を選ぶか、それともわが民族の精神的・肉体的救済を選ぶか、そのいずれかである。周知のことだが、わが国では死亡率が増大して、出生率を上回っているのである。このままでいけば、わが民族はこの地上から消滅するのだ! この大帝国を維持することは、わが民族そのものを死滅させることなのである、いったい何のために、このおうな雑多な民族を混合させる必要があるのか。ロシア人が自分の本来の顔を失うためなのか。われわれが努力しなければならないことは、この大国を広くすることではなく、その残った部分の民族精神の純度を高めることなのである。一見、犠牲にみえる十二の共和国を切り離すことによって、ロシアはかえってその貴重な内部発展のためにみずからを解放し、自分自身に注意を払い、自分自身に専念することができるのである。いや、今日のような民族混合の状態のなかで、はたしてロシア文化の保存と発展を期待することができるだろうか。いや、そうした期待はますます小さなものとなり、ますますはかないものになってしまう。

残念なことに、この「ロシアを不可分にして保つ」という幻想を、わが尊敬すべき不屈のロシア人亡命者たちは、70年ものあいだ、貧困にあえぎ、困難に打ち克ちながら、抱いてきたのである。1914年の「ロシア不可分論者」にとっては、ポーランドもわが国のもので(「面倒をみてやる」という皇帝アレクサンドル一世の愚かな考え方によるものだが)絶対に「返して」はならないものであった。だfが、今は、もはやそんなことを主張する者はいないだろう。まさかポーランドとフィンランドを切り離したために、ロシアは貧しくなっただろうか。いや、かえって背筋がピンと伸びただけである。もし「腹の脂肪となってからだを重くしている中央アジアという重荷」を切り落とせば、われわれはもっとまっすぎに背筋を伸ばすことができるのだ。この重荷もまた、元をただせば、皇帝アレクサンドル二世の思慮を欠いた侵略の結果であった。いや、これに費やした努力を中途半端に終った改革の完成に注ぎ、真に国民的な地方制度を創設すべきだったのである。

今世紀のわが国の哲学者イワン A. イリインによれば、国民の精神生活はその国の領土の広さ、あるいは、経済的な豊かさより重要であり、国民を健康にして幸福にすることは、国威を発揚するいかなる外的な目標よりも比較にならぬほど大切なのである。

しかも周辺地域はもはや事実上離れてしまっている。われわれは何百万人というロシアの難民が、そこから逃げるようにして帰ってくるのをいたずらに待つ必要はないのである。

「われわれはロシア人であることを誇りに思う」「われわれは果てしない祖国を誇りに思う」「われわれは・・・を掘頃に思う」といったせりふをおうむ返しに繰り返すことをやめるえきである。われわれがこれらすべてを誇りに思い、しかもそれが当然だと考えているうちに、わが国民は1917年(もっと広くいえば、1915年から1932年まで)の精神的な破滅に陥ってしまったことを理解しなければならないのだ。それ以来、われわれは情けないほど変貌してしまった。もはやいかにして昔日のロシアの国力と権威を取り戻すべきか、などと将来の野心的な計画をたててはならないのだ。われわれの父祖たちは、死の戦場で「武器を捨て」、自分の田舎で隣人たちを掠奪するために、脱走した。すでにその時、彼らはわれわれにかわって、百年先の、いや、ひょっとすると二百年先の、選択をしたのであった。われわれは独ソ戦のことを誇りにすることはできない。この戦争でわれわれは敵国を十倍上回る三千万以上の戦死者を出した。しかも自分たちに対する専制政治を許したのである。われわれは「誇りに思ったり」他人の生命に手をかけたりすることをやめて、自国民が重い病いにあえいでいることを率直に認め、その回復のためにに、またそのための知性の働きを神に祈らなければならないのである。

もしこの数十年間、ロシアが本当にその生命力を他の共和国諸国に注いでいたならば、これらの共和国を切り離すことは経済的な損失にもならないだろう。かえって、体力の節約になるだけである。

[ソルジェニーツィン (木村浩 訳):"甦れ、わがロシアよ」(NHK出版協会), 1990, pp.15-20 ]





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