最終更新: kannrininn 2022年08月08日(月) 20:52:27履歴
鎌田澤一郎は著書で「あの茫洋とした頭脳の悪さで、盲目判を押し、中堅政治将校の思ふがままになって、唯担ぐに便利な将軍…杉山伍長、寺内上等兵の綽名があり、寺内と共にインフレ元帥の敬称があった」と述べている。鎌田は続けて「天皇から日華事変、太平洋戦争の無謀について、含蓄に富む注意を受け乍ら、それを黙殺して戦争を進め『又天ちゃんに叱られた」と言って退下して来る有様であった」「彼が北京で司令官たりしときの堕落ぶりは、寺内寿一のそれとともに許しがたいものがあり、事を知る国民は今に尚浩嘆これを久しうするといふ有様である」とも書いている。*1