「ノモンハン事件記録」より抜粋

(8月24日)十四時頃右第一線(※歩兵第72連隊)は敵陣地に突入したるものゝ如く連絡全くなし左森田旅団方面の連絡も亦全く絶えて戦況稍々不安を伴へる時敵戦車数輛は我第一線を濾過し師団(※第23師団)司令部付近に□出したるを辛うじて野砲一中隊にて□退す。間もなく各々約三十機よりなる敵の三箇編隊が超低空にて師団司令部を掃射し反復射撃を加へ来り若干の損害を出せり
十六時頃友軍爆撃機上空に現出し師団司令部の大行李を誤爆してトラック十数輛将兵相当多数を殺傷せり
日没後辛うじて右第一線小林少将の本部より電話連絡あり十二時頃敵陣地に突入したるも敵戦車の逆襲を受け旅団長行方不明連隊長負傷大、中隊長殆んど死傷せりとの悲報と共に森田少将よりの連絡あり左第一線は此の日の重点正面なりしに拘らず水なきと敵火激しきを理由として未だ突撃しあらず敵前約五百米にて停止しありと
師団長の面上憂色深く第六軍参謀長(※第6軍参謀長藤本少将と関東軍辻参謀が第23師団長に同行していた)亦途方に暮る
日没直後突然右第一線方面より雪崩を打って退却する将兵一団あり
辻参謀は直にその過中に赴き之と共に右第一線に到る戦況惨たり到底爾後の攻勢不可能と認め之を指導して二十五日払暁迄に師団司令部の位置に後退終結して師団予備隊となす
二十五日森田部隊方面より攻撃を再興せしも指揮官に積極的戦意なく且戦力も亦不足して遂に奏功に至らず
二十六日攻勢を一時中止して…
右翼フイ高地は…二十四日夜守備隊長井置中佐は命令なくして陣地を放棄し東方に退却せり…
6A(※第6軍)が必勝を確信せし攻勢移転はかくしてその目的を達する能はず而もホルステン河北岸に於てはすでに防御主線の外翼崩壊しその核心も亦漸く危殆ならんとし来れり*1

歩兵第64連隊第1大隊戦闘詳報と死傷表

八月二十六日の状況
左翼中隊は敵と至近距離にありて手榴弾戦白兵戦と格闘を続けしも遂に機関銃陣地を突破せられ機関銃隊長○○大尉以下多数の戦死傷者を生じ…又第二中隊付近の戦闘激烈を極め同中隊も白兵戦により対戦し中隊長××大尉以下十七名の戦死傷者を生ず
一二、〇〇頃と一五、〇〇頃二回に亘り戦車を有する敵歩兵約二ヶ小隊本部後方に侵入し本部は副官指揮の下に書記伝令(※大隊本部から各中隊等に出す連絡員)命令受領者(※各中隊等から大隊本部の命令を受けるために出す連絡員)等全員を以て之に応戦…

八月二十七日の状況
〇七、〇〇我陣地後方より敵の砲撃を受け続々として機甲部隊並に狙撃部隊攻撃し来り全線敵軍の占領する所となり赤旗を植立しあり…

八月二十八日の状況
支隊は右翼陣地を突破せられ右第一線たる第二大隊は本日の戦闘に於て殆んど全滅し尚支隊本部も包囲せられ…*2

1939年8月20日〜31日 歩兵第64連隊第1大隊死傷表*3
戦闘参加人員
将校准士官以下馬匹将校准士官以下馬匹将校准士官以下馬匹
本部448417210
第1中隊3109136138
第2中隊3115230135
第3中隊4108247232
第4中隊2110139147
第1機関銃中隊498291342202
大隊砲小隊1447194
速射砲中隊378114112
第6速射砲中隊3288
247423810224102062

歩兵第72連隊戦闘詳報と死傷表

(戦闘詳報8月24日の項)
…然るに十時三十分頃に至り一時後退せる敵戦車十数台は再び進出し我が右側方より猛烈なる砲撃を加ふ。又正面よりする機関銃の射撃益々熾烈にして雨霰の如く此頃より我が死傷逐次増加し連隊副官○○少佐も亦戦死し其の外将校の戦死傷続出す…
砲兵及速射砲連隊砲は勇敢に側方戦車に対し射撃々退せるも我も亦敵弾に依る損害相次いで出で或は砲手斃れ或は砲を破壊せらる…通信隊は各本部攻撃前進に伴ひ熾烈なる砲弾下を潜りて追随構成をなし断線を補修しつゝ死傷続出し…敵砲弾に依り通信線切断せられ且つ大隊本部通信所員たる分隊長以下相次いで斃れ一時通信不能に陥れり。架換を区署〔ママ〕しありし通信隊長代理××中尉も亦負傷す…
連隊旗手△△中尉も之が為壮烈なる戦死を遂げ軍旗は軍旗中隊たる第五中隊の▽▽軍曹代りて棒持す…十五時敵戦車五、六代我が右側方より巧に地形を利用して陣地内に進入し来る。敵狙撃兵の射撃能く戦車の攻撃に連繋し我が肉迫攻撃手も狙撃の為斃れたる者多く地形上速射砲最前線に追及せず肉迫攻撃資材も亦其用をなさずして敵戦車の蹂躙する所となる。
畏れ多くも軍旗を砂中に埋めて守護すること数次に及ぶ(※天皇から直接手渡される軍旗=連隊旗は、絶対に敵に取られてはいけないとされていた)。死傷続出し兵員減耗して一時極めて苦戦の状態に陥る。此の時兵団長負傷せられ幹部も亦相次いび(?)殪る。此所に於て連隊長は軍旗を一時第一線より後方に奉移するを適当と考へ…軍旗を奉移す。連隊長続きて軍旗の位置に移らんとするや猛火を浴び負傷せり。
(略)
連隊長は仮令如何なる状況に立ち到るとも連隊は全滅を賭して現陣地を確保するの悲壮なる決心の下に…*4

(8月28日)
天明に至るや又敵の砲撃猛烈にして我が掩体付近に熾んに落達す…
(8月29日)
天明と共に敵の砲撃は開始せられ時間を経るに従ひ益々熾烈となり…十五時敵は又戦車を以て攻撃し来りしを速射砲連隊砲は応射したるも高地上よりする敵狙撃の為砲手相次いで死傷するの状況なり。殊に戦車砲は砲撃、狙撃と連繋して我が掩壕を各個別に砲撃し為に損害著しく増加せり…遠距離よりする戦車砲撃に対しては対戦車火器僅少なる現状に於て唯切歯扼腕するのみにて日没に及べり。…此の日第一大隊副官◇◇中尉及大隊砲小隊長◆◆中尉▲▲軍医中尉も各負傷し後退の止むなきに至れり。
(8月30日)
亦朝来戦車十二、三台を以て我を攻撃し…死傷相次いで出で当時勇敢無比に奮戦しありし◎◎少尉も遂に敵弾に壮烈なる戦死を遂げたり。…漸次我が対戦車火器破壊せらるゝや敵戦車は益々大胆に我が陣地至近の距離に近迫せり。我が第一線部隊及配属工兵肉迫攻撃班は猛然と起ちて敵戦車に肉薄し遂にその一台を破壊せり。
十三時敵戦車の攻撃し来るもの二十台に及び我が陣地内の掩壕に一弾一弾と猛射し且つ迫撃砲を以て西南北の三方面より猛烈なる射撃を浴せ我が陣地射弾を蒙らざる所なき状態に至り死傷続出の惨状を呈するも…*5

歩兵第72連隊死傷表(1939年8月21日〜25日)*6
戦闘参加人馬生死不明
将校准士官以下馬匹将校准士官以下馬匹将校准士官以下馬匹
連隊本部1014933232
第一大隊31541371192991504准士官以下12
第二大隊264642514166471411准士官以下11
連隊砲469222910124
速射砲221731
通信隊37714161112准士官以下4
配属部隊3501426
312932621356527


歩兵第72連隊死傷表(1939年8月26日〜31日)*7
戦闘参加人馬生死不明
将校准士官以下馬匹将校准士官以下馬匹将校准士官以下馬匹
連隊本部477
第一大隊13293284501459准士官以下3
第二大隊7147214441134准士官以下5
連隊砲1361615511
速射砲2164425
通信隊15513117115准士官以下2
配属部隊4571917准士官以下1
31139 10613111

ようやくソ連軍戦力を知った関東軍

「ノモンハン事件記録」より抜粋

辻参謀は八月二十六日夕新京に帰還し戦場の実相に関し軍司令官以下に報告す
此の報告に依りて始めて敵の兵力が我が判断に比し更に格段の差異あるを発見せり辻参謀が第一線より引揚げに際し戦場に在りし敵将校の屍体より獲得せる地図を携行せしがそれによる敵兵力は
第一線 狙撃三師団、戦車五旅団、軍□砲兵数箇師団
第二線 狙撃二師団、戦車一〜二旅団
なるが如く判断せらる
戦車も亦曽て火焔瓶にて炎上せしめたるが如き軽戦車に非ずして中戦車の強力なるもの現出し特にその砲戦車の威力は頗る注目すべきを知る
我に比し正に三倍以上の優勢なり此の兵力は当時参謀部第二課の判断の二倍に達するものなりき*8

関東軍の最後のわがまま

日本本国の参謀本部は9月3日付の命令で関東軍に対し兵を引くように命じたが、この命令を受けて関東軍は今度は「戦場掃除」「屍体及兵器の収容」の名目で第2、第4、第7の3コ師団による「夜襲」を行おうと考えた。
翌4日には参謀次長自身が満州・新京に飛び関東軍司令官に対し口頭で戦闘中止を指示したが、これに対しても関東軍は死体・武器を回収させてほしい、駄目なら自分たちを解任してほしいと要求した*9。秦郁彦は関東軍のこの動きについて「戦場掃除の名目であくまで攻勢発動に固執した」*10としている。

9月3日、参謀本部から関東軍へ兵を引くようにと命令

昭和十四年九月三日十五時五二分陸軍発 関東軍司令官宛 発信者参謀総長
 
大陸命第三四九号発令せらる
命令の要旨
一、情勢に鑑み大本営はノモンハン方面国境事件の自主的終結を企図す
二、関東軍司令官はノモンハン方面に於ける攻勢作戦を中止すべし
之が為戦闘の発生を防止し得る如く先づ兵力を哈爾哈河右岸地区繋争地域(ハンダガヤ付近以東を除く)外に適宜離隔位置せしむべし(以下略)*11

関東軍は命令を受けても戦場掃除名目で夜襲を計画

大命の「攻勢作戦を中止」の字句を謹んで按ずるに…大規模の攻勢を中止するものにして短切なる戦闘動作により屍体兵器を奪還する事をも中止すべき大御心にはあらざるべし…夜襲により2D4D7D(※第2、第4、第7師団のこと)を以て数夜を費して行ふ時は23Dの旧戦場を掃除することは確信を有し得
此の際集結したる23D(兵力約三千)は之を直接屍体及兵器の収容に任ぜしむ*12

9月4日、中島鉄蔵参謀次長が直接満州に来て植田謙吉関東軍司令官に口頭で命令伝達するも、植田が抵抗

九月四日次長は参謀総長代理として…到着軍司令官室に入り書類を以て大陸命第三四九号を伝宣す。植田軍司令官は「謹んで之を拝受する」旨答ふ
(略)
軍司令官は次長に対し攻勢作戦は大命に基き中止するも第二十三師団の屍体収容の為戦場掃除を行ひ度と軍の企図を説明せしが次長は「之をお許しにならぬ事が大命の趣旨なり」と答へて同意せず
(略)
(植田司令官は)戦場掃除案も御同意なき以上自分が此の儘職に止まるを許さず一刻も速かに後任軍司令官をご任命になり事件を収拾せられん事を希望す*13

9月5日、関東軍司令官と参謀連が再度「戦場掃除」要求

9月5日12時10分発 宛名総長(※参謀総長) 署名軍司令官(※関東軍司令官)
軍は第二十三師団が七旬に亘る苦闘に依り旧戦場には今尚数千の屍体を収容し能はざる現状にあるに鑑み第三軍をして哈爾哈河右岸の戦場掃除を為し得る限り実施せしめたる後部隊を大陸命に依る紛争地域外に撤収することを企図しあり
右企図に関し認可あり度意見を具申す
万一認可せられざるに於ては…将来到底軍を統帥し得ざるに依り速に本職を免ぜらるる如く執奏を乞ふ*14

9月5日17時10分発 宛名次長(※参謀本部次長) 署名参謀長(※当時の関東軍参謀長は磯谷廉介中将)
幾千の屍と多数の兵器とを敵手に委し之を放置するが如きことが単に皇軍の光機ある伝統に拭ふべからざる汚点を印するのみならず関東軍現実の統率をして収拾すべからざる情態に陥らしむるに至るべき戦場の実相を篤と御考慮の上軍の企図を認可せらるゝ如く重ねて配慮あり度し…以上の企図をも認められざるに於ては関東軍主任幕僚として其の職責を全うすること能はざるに依り軍の全幕僚は其の職を免ぜられ度申出でたるも差当り本職の外左記の者は直に各其の職を免ぜられ追て其の責任を明にせらるゝ如く取計らはれ度し
左記
矢野少将(※関東軍参謀副長)
寺田大佐(※関東軍参謀)
服部中佐(※関東軍参謀)
村澤中佐(※関東軍参謀)
辻少佐(※関東軍参謀)
島貫少佐(※関東軍参謀)*15

結局、参謀本部はこの要求を拒絶した。なお死体回収などの「戦場掃除」は停戦後に行われた。

昭和14年9月6日午前9時45分発 軍司令官宛 発信者参謀総長
…意見具申の企図は大命の趣旨に鑑み之を採用せず。然れども貴官の心情は明六日朝謹で上聞に達すべし*16

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